8月10日(月)メキシコへ向かう機上。 8月11日(火)フランクフルトへ到着。 8月12日(水)フランクフルト
8月13日(木)ディンケルスビュールへ。 8月14日(金)ディンケルスビュールを散策。 8月15日(土)ミュンヘンへ。
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めないのだった。)、街に出掛けるまっちゃんにヨーグルトを買ってきてもらうことを言付け、ひたすら寝ることにする。
熱がまた上がってきたようで、実はここまで月に一度来るはずのものがずっと遅れていて、ルーマニアでの行状を考えると「赤ちゃん?」とも思っていたので、これまで控えていたのだが、心の中で「ごめんね。」と言いながら、遂に日本から持ってきた風神の絵のついた富山の薬売りの頓服を飲み、眠る。
暫くして、バスルームに行くと、いつもの初回と比べてかなり多い血の固まりが出ていた。これがただ遅れていたものが始まっただけなのか、初期の段階の流産だったのか、そしてそれが頓服の服用によるものなのか、ここまでの疲れによるものなのか、今となっては知る由もないが、それが赤ちゃんだとして、済まなかった、と思う一方で、遅れていたものが来たので取り敢えず安心した。今回に限らず、常にする時には万一妊娠しても後悔しない・・という気持ちをもっている私ではあるが、今回の場合特に、ほんとうに結婚する気持ちがある上に、ルーマニアの人との国際結婚なだけに、ただでさえ周囲の理解を得にくい部分があるだけに、「できちゃった結婚」は避けるべきだと思っていたからだ。
その後、また眠り、まっちゃんが買ってきてくれたヨーグルトを食べ、また寝た。始まるべきものが始まったので、体調も幾分落ち着いたかのようだった。
明けて、8月14日(金)。今日は昨日のことがあり、体調はかなりよくなったので、実質今日と明日の午後までしかここにはいないので、ディンケルスビュール散策をすることにする。
馬が通った当時の石畳を初め、殆どが15〜16世紀のままの佇まいを残していて、小さくても確かに美しい街だ。私達の泊っているドイチェスハウスにはジャグジーのある部屋まであるらしいが、おそらく他の建物でも、外観はそのままに、中身は近代的に、というような工夫がされているのだろう。きっとその努力は並大抵のものではないと思うが、だからこそ人々を惹付けてやまないのだと思う。21世紀になっても変わらぬ努力をしていくのだろうか?
ドイツやオーストリアではよくある光景だが、どこの家も、通りに面した窓の下には必ずプランターの花を飾っている。ここではドイチェスハウスのような鮮やかな緑の葉に鮮やかな赤い小さな花を沢山付ける花を飾っているケースが多いが、中には吾亦紅のような花と紫の小花と淡いオレンジの花を寄せ植えしたものを飾っているところもあり、とてもお洒落だった。全体が鮮やかなコントラストの中のパステルカラーだからこそ際立っているのだろうけど・・・。
また、コペンハーゲンで目についた、ここにも当時からの、か、それをアレンジしたのか、お店の売り物をモチーフにした建物から垂直に突き出しているサインがみられた。全体として、コペンハーゲンのものと比べると、繊細なものが多かった。お菓子屋さんの何とかいう木の形のバウムクーヘンの上の面に砂糖衣がのっているやつのサインがとてもおいしそうだった。
ここにもポーランドのクラクフと同じく、いざ、という時にはここを閉めて街を守った城門があったが、ここのは驚くほど小さかった。
ゆっくりと見て回って、帰って一休み。ここには流石にルームサービスがないのと、折角だし、ということで、久々にきちんとした格好をして入口を入ってすぐ右手にある着いた時から感じがよさそう!と思っていたレストランに夕食を食べに行く。所謂ドイツ料理という感じではなく、もっと繊細な感じで、期待以上だった。特にキルステンのところで学んで、頼んでみたフランケンワインとマッシュルームスープが美味で、明日の昼もここに来て食べようと思った。
回復の兆しを感じつつ、眠りに就く。
8月15日(土)。今日はディンケルスビュールを後にしてミュンヘンに向かう日だ。
朝食後外に出ると、週末のせいか、向かいの教会で結婚式があるようで(でも昨日は修復中ということで見られなかったのだけれども・・・)、教会の前の道のこちら側の前に、ハイラックス・サーフ的な四駆のトラックが置いてあり、荷台の上に何か意味ありげな蔦のような蔓についた葉がたくさん敷き詰めてあり、その上には2体の高さ1.2メートルくらいの大きなわら人形が立たせてあり、それぞれの前にはオレンジとピンクの花のアレンジメントが一つずつ飾られていて、左側の人形には黒い帽子、右側の人形には肩からトラックの荷台の下まで白いオーガンジーの布が掛けられていた。これは一体何を意味するのだろう?また、私の結婚式と関係しているはずという推測は当たっているのだろうか?
教会の壁の鐘があるところの真上には青地の下側の半円に黄色でよくある顔をした太陽の下半分が描かれていて、その下にまた半円が描かれていて、白地に青でローマ数字で7、8、9、10、11、12、1、2、3、4、5、6、と書かれていたが、それは日時計なのだろうか?どうやって読むのかは判らないが、そういえば中心から一本の影がすっと出ているようにも見える。
さて、先にチェックアウトを済ませ、最後にお昼ご飯を食べにレストランへ行く。今日のスープは豆のスープで、これも美味しかった。
まず、荷物を持ってバス停に行き、大きな方の荷物を置き、時間の許すかぎり、その辺りの店を周り、私はグレーに茶色とブルーで線の入った円錐形をした小さなオイルキャンドルを買った。その前に私のバス停の場所の探し方のまずさから、まっちゃんが急に口をきいてくれなくなり、一人でどんどん歩いていかれてしまったこともあったが、ここまで色々なことがあり、まっちゃんも本来「仕切る」人でありながらも、今回は私の企画に乗ったことだから・・、と、私を立て続けてくれたまっちゃんに、改めて感謝するのだった。
仲直りも出来、ミュンヘン行きのバスに乗るためバス停に行くと、先に出るフュッセン行きのバスを待ってらっしゃった年配の日本人のご夫婦と一緒になり、沢山すぎるから、と、パック入りの木苺を分けてもらったりしながら話していると、その方々も私と同じ地域に住んでる方だということが判り、びっくりする。ほんとうに世間は狭い。
ほぼ定刻通りに来た、15時30分発のバスに乗り込み、18時55分にミュンヘンに到着。やはりこういうバスの旅は時間がかかる。車中ではひたすらぼーっと、のどかな景色を見たり、寝たりしていた。
すぐにタクシーに乗り、これもまたガイドブックで見てファックスで予約しておいたホテル・ラファエルヘ。
部屋数の少なさとサービスがよさそうだったということだけで決めたのだが、レセプションなどの雰囲気、というよりも、部屋に案内されて、ほんとうにここに泊ることにしてよかった!と、心から思えるほど感動した。私達にはまだまだ勿体ない、と思うような素晴らしい部屋だったのだ。
天井が高い広い空間の壁と造り付けの収納の扉は白、床の絨毯とカーテンは暖かみのあるベージュがかったグレーで(絨毯の方はよく見ると細かいブルーグレーの模様入り)、左側にダブル並の大きさのベッドが間隔をおいて二つ並んでいて、ベッドの足元には私のような下々の者には何と呼んでいいのか判らない、ベッドの4分の3くらいの幅がある4本足の台のような椅子のようなものが置いてあり(足置きなのでしょうか?それとも靴をはいたりするための腰掛けか?)、それぞれのベッドの外側にはスタンドの載っているサイドテーブルが置いてある。右側には手前にデスクと椅子があり、奥にはゆったりした3人掛けのソファとスタンドの載ったサイドテーブルとゆったりした一人掛けの肘掛け椅子とスツールというにはあまりにもゆったりしたスツールがコを90度回転させた形に並び、ローテーブルが真ん中に置いてある。
そして、正面は左右が大きな窓になっているのだが、その間の壁の中央には美しい棚が置いてあるのだが、その扉を開けると、それは実はテレビやビデオの収納になっているのだった。また、全ての家具のファブリック部分はお揃いの落ち着いたブルーグレーの同素材で統一されていて、木の部分は全部マホガニーなのだ。ベッドの上やソファーやデスクの上の壁には同じ額に入った同じ作家の趣味のよいエッチングなどが飾られていて、入ってすぐ右手には棚(棚板は大理石)の上に青と白の中国の陶器の壷が置いてあり、その奥が鏡になっていた。デスクの上には様々なパンフレット類(何と日本語版もあり!)の他に小さな胡蝶蘭の鉢上まで置かれていて、ローテーブルの上にはウエルカム・フルーツまで置かれていて、至れり尽せりだった。オリジナルのマッチやカレンダーの趣味もよかった。
バスルームも広く、清潔感あふれる白で統一してあり、ドイツでは珍しくないのかも知れないが、日本ではTOTOもしくはINAXとなっていがちなトイレットなどがあの、日本では食器で有名なビレロイ&ボッホ社製だったのに「タクシーがベンツ」的な驚きを感じたのと、シャンプー&リンスなどがモルトン・ブラウンのものだったのに驚いた。
きっとヨーロッパにはもっと豪華で格式の高いホテルは沢山あるのだろうけれども、ここは、自分がもうちょっとエグゼクティブな人になっていたらいうことないのだろうけど、合理性と豪華さと気楽さが自分にはちょうどいいバランスで含まれているホテルだと言えた。(パンフレットを見て、支配人の奥さんが日本人だというのを見た時には少し驚いたが・・・。)
と、いうわけで、旅の疲れも一気に癒されたのだが、何と言ってももういい時間なので、もうドイツの日々も残り少ないので"また"タルタルステーキと白ワインのルームサービスを夕食にし、モルトン・ブラウンのトイレタリーでいい気分に浸りながら極楽のバスタイムを過ごし、眠ったのだった。
8月16日(日)。寝過ごしと言えるくらいよく寝て、すっかりいい気分で目覚め、ついこの間まで死にそうだったのが嘘のような爽快さで、この間空港や駅は通ったとはいえ、私は12年前に来て以来2度目のミュンヘンの街を散策する。
が、今日は日曜で広場の青空市場もあまり賑やかには出ていないし、店も殆ど閉まっていて残念だ。12年前にからくり時計を見て、前のビヤホールでビールを飲んだ(一体いくつやったねん!?))懐かしい旧市庁舎も見に行き、その下のテナントに入っている開いていた店で、髪留めを買う。この辺りの町並みはやはり華やかで、昔の面影もあり、やはりいい感じだ。
通りを歩いていると、お洒落なインテリアの店がいくつもあり、そのうちの開いていた一軒に行き、お土産用のオイルキャンドルを買い、ローゼンタールのテーブルウエアを眺めているうち、自分がローゼンタールのデザインが好きだったことを思い出し、家具もドイツの家具も好きだったことを思い出し、日本ではデザインと言えばイタリア、フランスで、ドイツと言えば、車や電気製品や薬や銀行といった「固い」イメージがあるけれども、改めて、実は(服はも一つなような気もするが・・・)お洒落だったんだ、ということを思い出した。
それにしても店は殆ど閉まっている→そもそもその為にわざわざロマンチック街道からミュンヘンに逸れたのだから、開いている店でビールを飲むしかない!ということになり、ミュンヘン名物のホーフブロイハウスへ行き、「17年前のキャンプでは二人とも最後はドイツの男の子にホの字だったけど、ほんまにいい男はびっくりするほどいいひんなあ!」と、周りを取り囲む男の人(日曜のこの時間帯、客の殆どは正にむくつけき男達だった。)を見てはぼやきながら、もちろん旅の思い出話とソーセージをつまみに飲みに飲み、それだけ飲んどいて、「ホーフブロイは今いち期待外れやったから、レーベンブロイの方に行こか。」といいつつすぐ近くのレーベンブロイのテラスで外が冷えてくるまで、飲んでは語ったのだった。と、いうことしか覚えていない。
夕食も多分またルームサービスを取り、ほとんど脱力状態でミュンヘン最後の夜を過ごす。
8月17日(月)。今朝は、このホテルのパンフレットを見ていた時から気になっていた「和朝食」というのを試してみるが、やはりいくら支配人の奥さんが本物の和朝食を知っている日本人でもこちらの食材には勝てなかったかな?日本食レストランがあるわけではないのだし・・・、という結構お粗末なものでがっかりした。やはり、その地方の気候風土に合った形で食文化は育っているので、ここで日本食を試してみようと思うのは止めようと思った。
とても快適だったこのホテル。朝食のテーブルも、ほとんどがバリバリのビジネスピープルがビジネストリップの間のリラクゼーションを求めてここに来ているという感じの人達ばかりだったので、次にここに来るときは絶対もうちょっとそういう雰囲気が身に付いてからにしよう、と、思いながら、チェックアウトを済ます。
あのロマンチック街道を経由するヨーロッパバスでフランクフルトに帰るのはもう懲りごりなので、今回は最近出来たばかりのいわばドイツの新幹線、Inter
City Expressでフランクフルトに向かうことにした。
12時くらいに駅に着くと、運良く12時44分発の切符が取れ、今となっては自分達の庭のような、今回ロイテに行くのに初めて立ち寄ったミュンヘン中央駅にて、今度はスタンドでビールで乾杯し、豚のシュニッツェルサンドと水を買って乗り込んだ。
車内は清潔でデザインもよく、荷物を置くスペースにも困らなかった。食堂車やビュッフェも充実していて、これやフランスのTGVに乗ると、日本の新幹線がいかにそっ気ないかがよく判るという感じがした。こちらの方は、早さも追及する一方で、中には人間が乗って、旅をしているということを忘れていない感じ。以前、東京で、ラッシュアワーに座席がなくなり、全員総立ち状態で詰め込まれる車両が出来たと聞いた時、驚いたが、日本では客の方もむしろそういうものやそっ気ない新幹線を求めているのだろうか?
快適に16時13分に、これもまた懐かしいフランクフルト駅に着くと、タクシーに乗り、空港のシェラトンホテルへ。最後の一泊に日本でもお馴染みのアメリカンスタイルのホテル・・ということで、"Do
you remember me? Tour"モードから日常のモードへの切り替えにちょうど良さそうである。
もうぐうたらをやめられない私達は、またここでもルームサービスに走り、私はアボカドとシュリンプのカクテルと、オニオングラタンスープを食べ、シャワーを浴び、寝た。
1992年8月18日(火)。いよいよ、この"Do you remember me? Tour"も今日が最終日だ。
最後に焦らなくていいように空港に近づいておく為に空港のシェラトンに泊ったわけだが、実はフライトは18時。チェックアウトは12時で結構時間潰しが大変になった。
ビュッフェスタイルの朝食を取り、「あっ、珍しい、コーンスープだ!」と思ってよそったものが実は私の数少ない食べられないものの一つオートミールでさすがのビュッフェスタイルで自ら取ったものを残すのは恥!と思っている私も残してしまった。すみません。
荷物も完璧にパッキングして、チェックアウト。
フライトまでまだまだ時間があり、チェックイン手続きなどまだまだとは思いつつ、この荷物を普通に預けたり、引きずったままうろつくのは憚られるので、このチェックイン開始までの約4時間をどうしたらいいものか?と、思っていたら、まっちゃんが「Cクラスのチェックインカウンターに行ってみたら何とかなるんじゃない?」と提案してくれ、行ってみたところ、荷物が預けられて大助かりだった。これまでにもやっぱりこちらにしてよかった!と思ってあまりあるエグゼクティブクラスの恩恵を幾多受けてきたが、これは一番助かった。
身軽になったので、空港内のカフェテリアでビールとシュリンプカクテル(私ってこんなに海老好きだったのだろうか?)でランチにして(冷静に考えると変な取り合わせだなあ。)、フランケンワイン、ウイスキー、と生ハム、サラミ、チーズはこっそりお土産に買い、ダイエットコーク(人間やることが終わって時間が余るとつくづく普段しないことをするのだなあ、と、思う。)を飲むなどして時間を潰して、出国手続きを済ませ、搭乗ゲートに向かうと久々にこの間のロマンチック街道行きのバスどころではない大量の日本人と列を作り、徐々に夢は冷め、経由地の香港での蒸し暑さで気分はすっかりアジアモードになり、8月19日、17時55分。無事、大阪国際空港に降り立ったのだった。