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8月10日(月)メキシコへ向かう機上。  8月11日(火)フランクフルトへ到着。 8月12日(水)フランクフルト

 8月13日(木)ディンケルスビュールへ。 8月14日(金)ディンケルスビュールを散策。 8月15日(土)ミュンヘンへ。

  8月16日(日)ミュンヘン   8月17日(月)ミュンヘン→フランクフルト                                

8月18日(火)フランクフルト→香港経由で19日(水)大阪着。                                       

 

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  先般後にした、メキシコの旅で、純粋な意味での"Do you remember me? Tour"は終わった。だから、メキシコからロサンジェルスへ出て、そこから日本に真っ直ぐ帰ってもよかったのだが、単にメインの航空会社として使ってきたルフトハンザの便がメキシコ--ロサンジェルスやロサンジェルス--大阪がないから、というだけでなく、ここまで駆け足で15年前にあっただけの友達と会い続けた状態から日本での日常に戻っる(私の場合、帰ってすぐに父の法事の主催者の一人になる)には、もともとクールダウンが必要だと思っていて、まっちゃんもそう思ってくれていたので、ルフトハンザの拠点、フランクフルトに戻り、次の大阪行の便があるまで、のんびりしよう、と、このオマケの旅を計画したのだった。
 初めに書いていたとおり、そのオマケの旅は、ただオマケでも仕方ないので、初めの2泊のフランクフルトでは現代美術館を訪ねるのが一つの目的で、その後、私達に最も似つかわしくない、おそらくかなりお気楽に過ごせるはずのロマンチック街道をバスで行き、ディンケルスブールに2泊。そこから本来は私達がたまたまオーストリアのロイテから行くことになったフュッセンに行くのが正当なコースなのだが、それは行ったことがあろうがなかろうが私達には不釣り合い極まりないのでビールの本場ミュンヘンへと逸れ、2泊し、乾杯を重ねて最後にフランクフルトに戻り、空港にあるホテルに泊り、18時発の飛行機に乗り、日本へと帰る段取りにした。また、"Do you remember me? Tour"中はホテルに泊ることも少ないだろうと思っていたので、ここでは最後の空港横のシェラトン以外は小ぢんまりした、ヨーロッパスタイルのホテル、というのをコンセプトに、サイマル・アカデミーのスキル・ライティングのクラスで学んだファックスでの依頼文の技を駆使して(な〜んて、勿体つける程のことでは全然ない!)自分で予約をしておいたので、ホテルというのも楽しみの一つだ。

 メキシコシティーでチェックイン手続きをすると、チケットがあとフランクフルトーー大阪のもの一枚になった。初め、チケットは13枚もあり、とても分厚くて、常に「これは落とせない!」という恐怖と隣り合わせで、一枚減るごとに安堵感を味わっていたのだが、遂にあと一枚になったとは!!まだまだ一番肝心で長距離の一枚が残っているとはいえ、かなりほっとする。チケットの表紙には夥しい荷物のチケットの半券も貼り付けてあるのだが、あの重たい荷物をここまで一度もロストラゲージにすることなく運んでくれたルフトハンザ等の荷物係の皆々様には本当に感謝するのであった。また、まだルフトハンザではマイレージサービスがなかったが、私達がほとんど世界一周に値するくらい乗ること、Cクラスにしたことで、チェックインする度に、「ああ、もう座席は取ってあります。」という格好で大概最前列など非常にいい場所を取ってもらえていて有り難かった。機内食でもワインなど飲み放題だったし・・・・。このフライトを終えると、後は日本行きのフライトだけかと思うと、感慨深いものがあった。
しかし、ドイツ、カナダで壊していた体調がカナダで比較的休養を取ったので、メキシコでは回復していたかに見えたが、メキシコではほんとうにハードに動き回ったので、いざ終わってみると、殆ど放心状態だったのか、このメキシコ--フランクフルト間のフライトについては全然何も覚えていない。

 8月11日(火)。14時35分にフランクフルト空港に無事到着。タクシーに乗り、ホテルへ行くと、もう夕方の4時過ぎになっていた。
 ここでのホテルは"パークホテル。"パンフレットで見ていたとおり、昔からの建物で、比較的小ぢんまりしていて、アットホームな雰囲気だ。ここでタクシーの運転手の人やベルボーイの人が荷物を下ろす時も、大男のくせに、しかめっ面をされ、「あの〜。これ、普段私達が自分達で運んでるんですけど・・。」と、言いたくなった。
部屋は外観と比べると新しい感じになっていて、そこそこ広さもあって、くつろげそうだ。ただ、とにかく機内から疲れがどっとでてきたのか、風邪の症状のような感じで調子が悪く、キルステンから、「Welcome back to ドイツ!でも、あいにく、私は合流できません。」のメッセージを受け取り、すぐに寝込んでしまった。まっちゃんはまあまあの様子だったが、二人とも夕食に着替えてレストランに行く気力は全くなく、私など食欲もあまりなかったが、食べないとよけい体力がなくなりそうなので、例によって、ルームサービスに頼ることに。
メニューに私達念願のタルタルステーキがあったので、トマトスープとタルタルステーキとまっちゃんはビール、私は赤ワインを頼んで食べた。満足の美味しさで、身体も暖まった。やはりタルタルステーキは場所によってはドイツの名物なのか?!とにかく、回復を第一にすぐ寝た。

 一夜明けた。8月12日(水)。私の場合、フランクフルトに泊ることにしたのは今建設中のラ・ネージュを設計した金崎先生から、ハンス・ホラインの最新作(?)であり、ラ・ネージュの設計にも影響を与えた現代美術館の建物を是非見てきて欲しい!と、言われたからだったので、朝から頭が痛かったのだが、ここだけは絶対行っておこう!と、朝、久々のビュッフェスタイルの朝食を軽く済ませた後、コンシェルジュに場所を聞き、歩いて行くことにした。まっちゃんはそれが目的というわけではないので、他に行きたいところがあったら行ってもらってもいいよ、と、言ってみたが、別段他に目的があるわけでもないし、面白そうだし行ってみる、ということで、一緒に来てくれた。

 目的地はホテルからそれほど遠くない所にあった。一目見て、大きさや使っている素材は違うものの、ラ・ネージュのデザインの一番ポイントとなる窓と、ここの窓がそっくりなのに驚く。もちろんこちらはもう出来ているものなので、ラ・ネージュの方が真似をしていることになる訳で、少し嫌な感じがした。 ここの建物は、ベージュ色の壁に、銅の色をしたタイルや少し水色緑がかった窓ガラスや緑青色の樋、ステンレスの銀色の扉などが絶妙に調和し、現代的なデザインでありながら暖かみを感じさせるものだった。中のコレクションもロイ・リヒテンシュタイン、アンディ・ウォ-ホル、クリスチャン・ボルタンスキ-、ジャスパー・ジョーンズ、ナム・ジュン・パイクなどなどといった、私に馴染みのあり、好きな作家の面白い作品ばかりで、とても楽しく時を過ごすことが出来た。中にいた学芸員らしい人もとてもおしゃれな感じで、さすがだと思い、嬉しくなってコレクションの絵葉書をたくさん買ってしまった。
 私は結構ボケていて、大学を卒業して、そういう仕事に興味を持つまで美術館・博物館学芸員というのはああいうところで椅子に腰をかけているおばさんのことだと思っていた。特に京都で京都市立美術館や、国立京都博物館のようなところが美術館、博物館だと思っていたので、どちらも子供の時に植えつけられた「暗いイメージ」があって、社会人になるまで「かっこいいもの」や「きれいなもの」は好きなくせに、そういうところには出入りしない人間になってしまった。こんなに明るくて格好いい美術館があって、いかにもデキます、という感じで尚且つオシャレ(ここのところがその職業の中身が判ってからでも日本でまだもうひとつパリッとしていないところのような気がするのだけれど・・・)な人が学芸員をしていたら、きっと子供の頃からそういう空間に出入りして、そういう職業を目指したかも知れない、と、思ってしまった。

 もともと目的があってきたのはこの美術館だけだったのだが、この美術館の周辺にはこれ以外にも気になる現代建築が伝統建築と共生していたので面白かった。
すぐ近くにはいかにもゴシック建築という感じの教会があり、その反対側にはつい5月31日からこの間の8月9日までムンク展をやっていたSCHIRN KUNSTHALLEという名の真ん中に、薄茶色のタイルが貼られ、上の方には等間隔で沢山の窓がぐるりと一周している大きな円筒形の建物があり、その手前はガラス張りの部分や白い柱と屋根だけで出来たような建物が組合わさっていて、ガラス張りの部分の前には沢山の赤いパラソルのついた白いテーブルと白い枠に赤い背の椅子が出してあってオープンエア・カフェとなっていた。今はちょうど展示の端境期の為、中に入ることが出来ず残念だった。
 その裏側にはおそらく集合住宅なのだと思うが、横に並んだ6棟くらいの建物が、すべて、全体としては調和を保ちながら、一つ一つ全く違った個性をもって建てられていて見ているだけで楽しかった。あとで、私達は裏側を先に見たのだな、と、判ったのだが、門扉や窓の前の泥棒よけ的な機能を持つデザインも全て遊び心の感じられるオーダーメイドでとても素敵だった。裏側も表とほぼ同じなのだが、表側に回ると、裏以上に個性がはっきりと現れ、あるものは、薄黄色の壁に中央を貫く赤茶色の対称的にデザインされたサッシの窓がポイントになっているし、その隣のものは、赤茶色の壁に下の方に帯のように入る黄色と青の格子状に貼られたタイルと、もっと上の方に入った星型の切り込みと、中央を走るチャコールグレーの直線でデザインされた鉄製の枠の出窓がポイントで、その隣は各階の半円形のバルコニー、その隣はステンドグラス、その隣は無数の窓・・といった具合の個性の競演っぷりだった。
 また、そんな風でありながら、それと向かい合う古くからある建物とも釣り合いが取れていて、スウェーデンでもこういう一角を見たことがあるが、こういうことができるのも、もともと都市計画に基づいて集合住宅が高さや色など厳しく規制があって建てられていたからなのだろうと思うし、だからこそ窓の形や装飾といったディテールで差別化を図って、インテリア用品が発達することにもつながったのかと推測する。この新しい住宅群もすべて同じ高さ、同じ幅という決まりがあるようで、全体の色やデザインといったところまで自由度は高まっているものの、決して放縦ではないので、依然として全体としてのラインの美しさも感じられるのだと思った。
 以前、バブルに少し陰りが見えた頃、福岡に世界的に高名な建築家がプロデューサーになり世界の有名建築家が集合住宅をデザインする一角、というのがあり、友人に教えてもらい、美術館と一緒に連れていってもらった時に、なかなか興味深い外観に反して、まだ売りだし中だったので、中を見せてもらうとそこそこ高い値段だったのにもかかわらず、内装に使われている素材があまりにも安っぽいものだったのに驚いたことがある、が、ここはそんなことはなさそうに見える。こんな集合住宅なら一戸建の注文建築にこだわる理由がなくなりそうな気がする。
 一番個性の際だつ温かな色の黄と青のタイルの帯を持つ家の裏口の横の青いタイルの一つにタイルと同じ黄色で、「Jorg Bergemann/Rechtsanwalt/ Notar Anne Brintzer-Bergemann/ Rechtsanwaltin/ Dipl.-Ing.(TH)/ Architektin」とプリントされていたのだが、Bergemann夫妻のプロジェクトで、旦那がプロデューサーか施主、奥さんが設計をしたということなのだろうか?

 良いものを見た!と、思いながら歩くと広場に出て、そこは先程の古い建物群よりももっと伝統的そうな建物がならんでいた。正面が四角の上に三角を積んだ5角形の形をしているのだけれども、上の三角の2辺が、真っ直ぐではなくて、階段状に角々していて、天辺に鐘突き台が立ったりしているのだ。
 広場の方には机や椅子が沢山だしてあって、人々がお茶を飲んだりしていた。そこでお茶を飲みたいとも思いつつ、水とカイザーロールサンドと絵葉書を買い、ホテルに帰り、サンドイッチを食べて、葉書を書いて、郵便局に行き、、ホテルに帰り、熱が上がってきたようなので、毛布を着込み、汗をかいては何度も着替え、ひたすら寝る、というのを明日にバスでディンケルスビュールに出発するために何とか食べられそうなトマトスープとシュリンプカクテルと白ワイン(そういえばお酒は欠かしていないな。)をルームサービスで取って食べてからもひたすら繰り返す。 

 8月13日(木)。昨日の汗かき攻撃のお陰で体調も少しは持ち直し、フランクフルト空港に到着した時に聞いておいた、次の目的地であるディンケルスビュールも通るロマンチック街道行きのバスはフランクフルト駅前のバス停を8時15分発なので、早めに起きて朝食を取り、チェックアウトを済ませ、駅まで行く。

 ある程度予想をしていたものの、ここまで日本人には殆ど出くわさないコースをずっと辿ってきたにも拘わらず、今度はバス停にいるのは日本人と韓国人観光客だけなのである。そして、ここでも韓国人の学生とおぼしき女の子は、ナイト役の彼氏もしっかりいる上に、Tシャツにパンツスタイルにウエストポーチを身体の前に向けて付けているにも拘わらず、しっかりしていそうで、強そうで、狙われなさそうなのに反して、日本人の女の子は一人で尚且つウエイビー・ロングヘアーを風になびかせて、小花柄のスカートはロングフレアーになっているワンピースを着て、華奢なヒールのパンプスをはき、襲って!とまではいかなくても、誰か声を掛けて!と、言わんばかりだったのに、げんなりしてしまった。
 結構快適な大型バスに乗り込んでからも、乗ってくるのは殆ど学生か年配の両国人で、「ここはどこ?」という感じで、出発する。まず、ヴュルツブルグに入り、ロマンチック街道のスタート。車窓から見えるのどかな景色に「う〜ん。私達には向いていない。」と思いつつも先へ進む。

 ローテンブルグでの休憩の際に、その地のホテルレストランで昼食を取ることにして、私はドイツに入ってからも、ここのところ食べていなかったザワークラウトと自家製ソーセージというのを頼んだが、自家製ソーセージのあまりの大きさと脂っこさに、決して体調がいいわけではないので、「出されたものは残さず食べる。」というモットーには反するながらも殆ど食べずに残してしまった。しかし、「行く先々から絵葉書を。」のモットーの方は健在で、レストランにはいる前に、しっかり売店で絵葉書だけは買っていたので、昼食を待つテーブルで書き、投函まで済ませた。

 そんな調子でディンケルスビュールに着いたのは14時45頃。地図を頼りにファックスで予約しておいたドイチェスハウスというホテルレストランに行く。ここは、ガイドブックではなく、たまたま特に旅好きという訳でもない私が、たまたま雑誌COSMOPOLITANの綴じ込み付録の「世界のプチホテル」というのが気になって取っていて、そこで見つけたホテルだ。
グリム童話のお菓子の家のような外観で、全部で12室しかない。重たい荷物を引きずって、入口まで行くが、特にドアマンの人がいるわけでもなく、ドアに行くまでに石段があるので、どうしようかと中まで従業員の人を探しに行くと、ウエイトレス的な若い女の人が出て来てくれて、荷物を部屋まで運んでくれた。自分達よりはデカい人だとはいえ、いつも大男が顔をしかめるのを見ているだけに、何となく申し訳なかった。
 最初に見た窓という窓から赤い花が溢れる石と木で出来た外観もさることながら、私達が案内された部屋も予想以上に素敵なアンティークのインテリアで、特にバスルームが部屋の割にとても広く、洗面台やその上のコップなど置き、石鹸置き、鏡の枠などは全て白いアンティーク風の陶器で花びら型をしていて、これもアンティーク調の二人分が対称に配置されたタオルリング、コップ置き、フックや蛇口やバルブなどなどの真鍮ととてもよく合って、優雅な感じを醸しだしていた。が、部屋に満足すると、やはり体調がすっきりしない中の移動が祟ったのか、気分が悪くなり、絵葉書だけ買うと(それは

めないのだった。)、街に出掛けるまっちゃんにヨーグルトを買ってきてもらうことを言付け、ひたすら寝ることにする。
 熱がまた上がってきたようで、実はここまで月に一度来るはずのものがずっと遅れていて、ルーマニアでの行状を考えると「赤ちゃん?」とも思っていたので、これまで控えていたのだが、心の中で「ごめんね。」と言いながら、遂に日本から持ってきた風神の絵のついた富山の薬売りの頓服を飲み、眠る。
 暫くして、バスルームに行くと、いつもの初回と比べてかなり多い血の固まりが出ていた。これがただ遅れていたものが始まっただけなのか、初期の段階の流産だったのか、そしてそれが頓服の服用によるものなのか、ここまでの疲れによるものなのか、今となっては知る由もないが、それが赤ちゃんだとして、済まなかった、と思う一方で、遅れていたものが来たので取り敢えず安心した。今回に限らず、常にする時には万一妊娠しても後悔しない・・という気持ちをもっている私ではあるが、今回の場合特に、ほんとうに結婚する気持ちがある上に、ルーマニアの人との国際結婚なだけに、ただでさえ周囲の理解を得にくい部分があるだけに、「できちゃった結婚」は避けるべきだと思っていたからだ。
その後、また眠り、まっちゃんが買ってきてくれたヨーグルトを食べ、また寝た。始まるべきものが始まったので、体調も幾分落ち着いたかのようだった。

 明けて、8月14日(金)。今日は昨日のことがあり、体調はかなりよくなったので、実質今日と明日の午後までしかここにはいないので、ディンケルスビュール散策をすることにする。

 馬が通った当時の石畳を初め、殆どが15〜16世紀のままの佇まいを残していて、小さくても確かに美しい街だ。私達の泊っているドイチェスハウスにはジャグジーのある部屋まであるらしいが、おそらく他の建物でも、外観はそのままに、中身は近代的に、というような工夫がされているのだろう。きっとその努力は並大抵のものではないと思うが、だからこそ人々を惹付けてやまないのだと思う。21世紀になっても変わらぬ努力をしていくのだろうか?
ドイツやオーストリアではよくある光景だが、どこの家も、通りに面した窓の下には必ずプランターの花を飾っている。ここではドイチェスハウスのような鮮やかな緑の葉に鮮やかな赤い小さな花を沢山付ける花を飾っているケースが多いが、中には吾亦紅のような花と紫の小花と淡いオレンジの花を寄せ植えしたものを飾っているところもあり、とてもお洒落だった。全体が鮮やかなコントラストの中のパステルカラーだからこそ際立っているのだろうけど・・・。
また、コペンハーゲンで目についた、ここにも当時からの、か、それをアレンジしたのか、お店の売り物をモチーフにした建物から垂直に突き出しているサインがみられた。全体として、コペンハーゲンのものと比べると、繊細なものが多かった。お菓子屋さんの何とかいう木の形のバウムクーヘンの上の面に砂糖衣がのっているやつのサインがとてもおいしそうだった。
 ここにもポーランドのクラクフと同じく、いざ、という時にはここを閉めて街を守った城門があったが、ここのは驚くほど小さかった。

 ゆっくりと見て回って、帰って一休み。ここには流石にルームサービスがないのと、折角だし、ということで、久々にきちんとした格好をして入口を入ってすぐ右手にある着いた時から感じがよさそう!と思っていたレストランに夕食を食べに行く。所謂ドイツ料理という感じではなく、もっと繊細な感じで、期待以上だった。特にキルステンのところで学んで、頼んでみたフランケンワインとマッシュルームスープが美味で、明日の昼もここに来て食べようと思った。

 回復の兆しを感じつつ、眠りに就く。

 8月15日(土)。今日はディンケルスビュールを後にしてミュンヘンに向かう日だ。
 朝食後外に出ると、週末のせいか、向かいの教会で結婚式があるようで(でも昨日は修復中ということで見られなかったのだけれども・・・)、教会の前の道のこちら側の前に、ハイラックス・サーフ的な四駆のトラックが置いてあり、荷台の上に何か意味ありげな蔦のような蔓についた葉がたくさん敷き詰めてあり、その上には2体の高さ1.2メートルくらいの大きなわら人形が立たせてあり、それぞれの前にはオレンジとピンクの花のアレンジメントが一つずつ飾られていて、左側の人形には黒い帽子、右側の人形には肩からトラックの荷台の下まで白いオーガンジーの布が掛けられていた。これは一体何を意味するのだろう?また、私の結婚式と関係しているはずという推測は当たっているのだろうか?
教会の壁の鐘があるところの真上には青地の下側の半円に黄色でよくある顔をした太陽の下半分が描かれていて、その下にまた半円が描かれていて、白地に青でローマ数字で7、8、9、10、11、12、1、2、3、4、5、6、と書かれていたが、それは日時計なのだろうか?どうやって読むのかは判らないが、そういえば中心から一本の影がすっと出ているようにも見える。
 さて、先にチェックアウトを済ませ、最後にお昼ご飯を食べにレストランへ行く。今日のスープは豆のスープで、これも美味しかった。

 まず、荷物を持ってバス停に行き、大きな方の荷物を置き、時間の許すかぎり、その辺りの店を周り、私はグレーに茶色とブルーで線の入った円錐形をした小さなオイルキャンドルを買った。その前に私のバス停の場所の探し方のまずさから、まっちゃんが急に口をきいてくれなくなり、一人でどんどん歩いていかれてしまったこともあったが、ここまで色々なことがあり、まっちゃんも本来「仕切る」人でありながらも、今回は私の企画に乗ったことだから・・、と、私を立て続けてくれたまっちゃんに、改めて感謝するのだった。
 仲直りも出来、ミュンヘン行きのバスに乗るためバス停に行くと、先に出るフュッセン行きのバスを待ってらっしゃった年配の日本人のご夫婦と一緒になり、沢山すぎるから、と、パック入りの木苺を分けてもらったりしながら話していると、その方々も私と同じ地域に住んでる方だということが判り、びっくりする。ほんとうに世間は狭い。

 ほぼ定刻通りに来た、15時30分発のバスに乗り込み、18時55分にミュンヘンに到着。やはりこういうバスの旅は時間がかかる。車中ではひたすらぼーっと、のどかな景色を見たり、寝たりしていた。
すぐにタクシーに乗り、これもまたガイドブックで見てファックスで予約しておいたホテル・ラファエルヘ。
部屋数の少なさとサービスがよさそうだったということだけで決めたのだが、レセプションなどの雰囲気、というよりも、部屋に案内されて、ほんとうにここに泊ることにしてよかった!と、心から思えるほど感動した。私達にはまだまだ勿体ない、と思うような素晴らしい部屋だったのだ。
 天井が高い広い空間の壁と造り付けの収納の扉は白、床の絨毯とカーテンは暖かみのあるベージュがかったグレーで(絨毯の方はよく見ると細かいブルーグレーの模様入り)、左側にダブル並の大きさのベッドが間隔をおいて二つ並んでいて、ベッドの足元には私のような下々の者には何と呼んでいいのか判らない、ベッドの4分の3くらいの幅がある4本足の台のような椅子のようなものが置いてあり(足置きなのでしょうか?それとも靴をはいたりするための腰掛けか?)、それぞれのベッドの外側にはスタンドの載っているサイドテーブルが置いてある。右側には手前にデスクと椅子があり、奥にはゆったりした3人掛けのソファとスタンドの載ったサイドテーブルとゆったりした一人掛けの肘掛け椅子とスツールというにはあまりにもゆったりしたスツールがコを90度回転させた形に並び、ローテーブルが真ん中に置いてある。
そして、正面は左右が大きな窓になっているのだが、その間の壁の中央には美しい棚が置いてあるのだが、その扉を開けると、それは実はテレビやビデオの収納になっているのだった。また、全ての家具のファブリック部分はお揃いの落ち着いたブルーグレーの同素材で統一されていて、木の部分は全部マホガニーなのだ。ベッドの上やソファーやデスクの上の壁には同じ額に入った同じ作家の趣味のよいエッチングなどが飾られていて、入ってすぐ右手には棚(棚板は大理石)の上に青と白の中国の陶器の壷が置いてあり、その奥が鏡になっていた。デスクの上には様々なパンフレット類(何と日本語版もあり!)の他に小さな胡蝶蘭の鉢上まで置かれていて、ローテーブルの上にはウエルカム・フルーツまで置かれていて、至れり尽せりだった。オリジナルのマッチやカレンダーの趣味もよかった。
 バスルームも広く、清潔感あふれる白で統一してあり、ドイツでは珍しくないのかも知れないが、日本ではTOTOもしくはINAXとなっていがちなトイレットなどがあの、日本では食器で有名なビレロイ&ボッホ社製だったのに「タクシーがベンツ」的な驚きを感じたのと、シャンプー&リンスなどがモルトン・ブラウンのものだったのに驚いた。
きっとヨーロッパにはもっと豪華で格式の高いホテルは沢山あるのだろうけれども、ここは、自分がもうちょっとエグゼクティブな人になっていたらいうことないのだろうけど、合理性と豪華さと気楽さが自分にはちょうどいいバランスで含まれているホテルだと言えた。(パンフレットを見て、支配人の奥さんが日本人だというのを見た時には少し驚いたが・・・。)
と、いうわけで、旅の疲れも一気に癒されたのだが、何と言ってももういい時間なので、もうドイツの日々も残り少ないので"また"タルタルステーキと白ワインのルームサービスを夕食にし、モルトン・ブラウンのトイレタリーでいい気分に浸りながら極楽のバスタイムを過ごし、眠ったのだった。

 8月16日(日)。寝過ごしと言えるくらいよく寝て、すっかりいい気分で目覚め、ついこの間まで死にそうだったのが嘘のような爽快さで、この間空港や駅は通ったとはいえ、私は12年前に来て以来2度目のミュンヘンの街を散策する。
が、今日は日曜で広場の青空市場もあまり賑やかには出ていないし、店も殆ど閉まっていて残念だ。12年前にからくり時計を見て、前のビヤホールでビールを飲んだ(一体いくつやったねん!?))懐かしい旧市庁舎も見に行き、その下のテナントに入っている開いていた店で、髪留めを買う。この辺りの町並みはやはり華やかで、昔の面影もあり、やはりいい感じだ。
 通りを歩いていると、お洒落なインテリアの店がいくつもあり、そのうちの開いていた一軒に行き、お土産用のオイルキャンドルを買い、ローゼンタールのテーブルウエアを眺めているうち、自分がローゼンタールのデザインが好きだったことを思い出し、家具もドイツの家具も好きだったことを思い出し、日本ではデザインと言えばイタリア、フランスで、ドイツと言えば、車や電気製品や薬や銀行といった「固い」イメージがあるけれども、改めて、実は(服はも一つなような気もするが・・・)お洒落だったんだ、ということを思い出した。

 それにしても店は殆ど閉まっている→そもそもその為にわざわざロマンチック街道からミュンヘンに逸れたのだから、開いている店でビールを飲むしかない!ということになり、ミュンヘン名物のホーフブロイハウスへ行き、「17年前のキャンプでは二人とも最後はドイツの男の子にホの字だったけど、ほんまにいい男はびっくりするほどいいひんなあ!」と、周りを取り囲む男の人(日曜のこの時間帯、客の殆どは正にむくつけき男達だった。)を見てはぼやきながら、もちろん旅の思い出話とソーセージをつまみに飲みに飲み、それだけ飲んどいて、「ホーフブロイは今いち期待外れやったから、レーベンブロイの方に行こか。」といいつつすぐ近くのレーベンブロイのテラスで外が冷えてくるまで、飲んでは語ったのだった。と、いうことしか覚えていない。
 夕食も多分またルームサービスを取り、ほとんど脱力状態でミュンヘン最後の夜を過ごす。

 8月17日(月)。今朝は、このホテルのパンフレットを見ていた時から気になっていた「和朝食」というのを試してみるが、やはりいくら支配人の奥さんが本物の和朝食を知っている日本人でもこちらの食材には勝てなかったかな?日本食レストランがあるわけではないのだし・・・、という結構お粗末なものでがっかりした。やはり、その地方の気候風土に合った形で食文化は育っているので、ここで日本食を試してみようと思うのは止めようと思った。

 とても快適だったこのホテル。朝食のテーブルも、ほとんどがバリバリのビジネスピープルがビジネストリップの間のリラクゼーションを求めてここに来ているという感じの人達ばかりだったので、次にここに来るときは絶対もうちょっとそういう雰囲気が身に付いてからにしよう、と、思いながら、チェックアウトを済ます。

 あのロマンチック街道を経由するヨーロッパバスでフランクフルトに帰るのはもう懲りごりなので、今回は最近出来たばかりのいわばドイツの新幹線、Inter City Expressでフランクフルトに向かうことにした。
12時くらいに駅に着くと、運良く12時44分発の切符が取れ、今となっては自分達の庭のような、今回ロイテに行くのに初めて立ち寄ったミュンヘン中央駅にて、今度はスタンドでビールで乾杯し、豚のシュニッツェルサンドと水を買って乗り込んだ。
 車内は清潔でデザインもよく、荷物を置くスペースにも困らなかった。食堂車やビュッフェも充実していて、これやフランスのTGVに乗ると、日本の新幹線がいかにそっ気ないかがよく判るという感じがした。こちらの方は、早さも追及する一方で、中には人間が乗って、旅をしているということを忘れていない感じ。以前、東京で、ラッシュアワーに座席がなくなり、全員総立ち状態で詰め込まれる車両が出来たと聞いた時、驚いたが、日本では客の方もむしろそういうものやそっ気ない新幹線を求めているのだろうか?

 快適に16時13分に、これもまた懐かしいフランクフルト駅に着くと、タクシーに乗り、空港のシェラトンホテルへ。最後の一泊に日本でもお馴染みのアメリカンスタイルのホテル・・ということで、"Do you remember me? Tour"モードから日常のモードへの切り替えにちょうど良さそうである。
もうぐうたらをやめられない私達は、またここでもルームサービスに走り、私はアボカドとシュリンプのカクテルと、オニオングラタンスープを食べ、シャワーを浴び、寝た。

 1992年8月18日(火)。いよいよ、この"Do you remember me? Tour"も今日が最終日だ。
最後に焦らなくていいように空港に近づいておく為に空港のシェラトンに泊ったわけだが、実はフライトは18時。チェックアウトは12時で結構時間潰しが大変になった。
ビュッフェスタイルの朝食を取り、「あっ、珍しい、コーンスープだ!」と思ってよそったものが実は私の数少ない食べられないものの一つオートミールでさすがのビュッフェスタイルで自ら取ったものを残すのは恥!と思っている私も残してしまった。すみません。
 荷物も完璧にパッキングして、チェックアウト。

 フライトまでまだまだ時間があり、チェックイン手続きなどまだまだとは思いつつ、この荷物を普通に預けたり、引きずったままうろつくのは憚られるので、このチェックイン開始までの約4時間をどうしたらいいものか?と、思っていたら、まっちゃんが「Cクラスのチェックインカウンターに行ってみたら何とかなるんじゃない?」と提案してくれ、行ってみたところ、荷物が預けられて大助かりだった。これまでにもやっぱりこちらにしてよかった!と思ってあまりあるエグゼクティブクラスの恩恵を幾多受けてきたが、これは一番助かった。
身軽になったので、空港内のカフェテリアでビールとシュリンプカクテル(私ってこんなに海老好きだったのだろうか?)でランチにして(冷静に考えると変な取り合わせだなあ。)、フランケンワイン、ウイスキー、と生ハム、サラミ、チーズはこっそりお土産に買い、ダイエットコーク(人間やることが終わって時間が余るとつくづく普段しないことをするのだなあ、と、思う。)を飲むなどして時間を潰して、出国手続きを済ませ、搭乗ゲートに向かうと久々にこの間のロマンチック街道行きのバスどころではない大量の日本人と列を作り、徐々に夢は冷め、経由地の香港での蒸し暑さで気分はすっかりアジアモードになり、8月19日、17時55分。無事、大阪国際空港に降り立ったのだった。