7月26 日(日)ハンブルグ→ヘンステット・ウルツベルグ  7月27日(月)ヘンステット・ウルツベルグ→フレンスブルグ 

7月28日(火)ジルト島ウエスターランド  

7月29日(水)フレンスブルグ→ヘンステット・ウルツベルグ

7月30日ハンブルグ→カナダへ。

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 SASの乗務員インストラクターも務めるパトリックから、SASは初めて機内食で温かいパンを出した航空会社として知られるので、機内食には期待できるよ。と、聞いていて、ワルシャワーーコペンハーゲン間でもそれは実感済みだったが、このコペンハーゲンーーハンブルグという短時間のフライトでも美味しいスモークサーモンを初めとしたスモーガスボード系(これがワインと合うんだ!!)の機内食が出て、すっかり大酒飲みということがばれてしまい、「折角だし食後酒でも・・。」「じゃあ。」ということで、クルボワジェを頼んだところで最終着陸体勢に入ったので、「これは持って帰ってくださいね。」ということになり、クルボワジェのミニチュアサイズを手荷物にいれたところでハンブルグに到着した。

 ハンブルグでは、約束通り、キルステンが待ってくれていた。彼女の黒いフォルクスワーゲン・ポロで(もちろんマニュアル)、今日の宿泊先となるハンブルグ郊外のヴュルツブルグのご両親のお家に行くまでに、ハンブルグの観光コースを周ってくれることになる。
 内アルスター湖、尖塔を持つ時計塔を持った市庁舎を皮切りに、市内をうろうろする。この辺りも例によって整然としているのだけれど、やはりコペンハーゲンやマルメとは一味違う。ここの方が規模が大きいのが一つの理由なのだろうが、時計塔が他の建物より抜きんでて高く、尖っているようなことは今までにはなかったような気がする。また、橋があり、運河があり、古い建物がある、という要素は同じでも、"可愛い"イメージのベニスなどとは違い、「商都」の雰囲気が漂い、大阪を大きく、重厚にした感じがする。
 また、キルステンが絶対見せたい!といっていた、ザンクトミヒャエリス教会に向かう途中、突然激しい雨が降ってきた。今日は朝から雲行きが怪しいとは思っていたが、この旅で、初めて遭う雨だ。夏とはいえ、冷たい雨。雨宿りも兼ねて教会内に入ると、バロック様式の美しい内装に圧倒される。あまりの崇高さとミサが始まったことで、写真をとるのが憚られた。が、今でもその独特の雰囲気を全身で思い出すことが出来る。雨が小降りになってきたので、近くのカフェテラスに移動。まだ少々冷たいが、ドイツ・このメンバー・再会、と、3拍子揃ったので、ビールで乾杯をし、キャンプ当時のこと、他のメンバーの近況などを皮切りに、色々なことを語り合った。
 キルステンは、キャンプ当時、日本チームの敬君のお気に入りではあったが、私達と仲がよかったのはむしろ柔道が得意で、明るく、私と誕生日が同じことでより親近感を抱いた、ドイツチームのもう一人の女の子、シルビアだったので、そもそもキルステンから最初に返事をもらえたのが驚きであり、シルビアには「この住所には行き当たりません。」ことで、手紙さえ届かなかったのがショックだったという話しをしていたら、「あんまりこういうことは言いたくはないけれど、シルビアは非常にスネーキー(外面と内面が違い、自分の印象を良くするためには嘘をついてでも人を悪く言うことを辞さないような、蛇のような・・)な性格で、キャンプのメンバーに選ばれ、同じチームになってから、帰ってくるまでずっと苦しめられた。」と、いうことを聞き、とてもショックだった。私達が見たところ、シルビアは男の子っぽくサバサバしていて、明るくって、気さく、という印象だったからだ。そういう印象があった人が実はスネーキーな人だったなんて!今、大人になって、キルステンの人柄に触れたところ、私達がもうシルビアに会うことがないだろうという事をいいことに、わざわざ嘘をついてシルビアの悪口を言っているとはとても思えないだけに・・。
 また、今回どちらとも連絡がつかなかった、キャンプの最後に私達日本の女の子がそれぞれ別々の子に思いを寄せていた(ともに報われはしなかったが・・)ドイツの男の子達とはキャンプ以来行き来はなく、消息が判らないそうだ。リーダーだったウルリケとは最後まで今回の再会の可能性を探っていたのだけれども、結局都合がつかなかったそうだ。ウルリケと会えないのは残念だが、これまで立ち寄った空港や、ドイツ発の機内を含めてドイツで「!!」と思う男の人を一度も見かけないことや、『あの人は今』的な番組で何十年ぶりかで出会った初恋の人というのはたいがい別の意味の「!?」だったりすることを考えると、今回会えなくて正解だったような気もした。

 カフェテラスを出たのはかなり経ってからだったので、いつの間にか雨もやんでいて、車を取りに行き、ハンブルグ市内を後にする為最後に港街ハンブルグの中心、ハンブルグ港に行く。私達が着いた時、港は夕映えに包まれてて、帆を畳んだ帆船なども停泊していた。とてもロマンチックな光景だ。今まで立ち寄った、コペンハーゲンやマルメの港とは違い、この規模になると、大阪港や神戸港がイメージできた。

 港を後にして、一路キルステンの実家へ向かう。その道中、運転中のキルステンが突然、「そうそう。私はYukiの友達のMikiも知っている。」というので「えっ?」と、思ったら、今回の日程を知っている友達の一人、美紀が、今出したらこの辺だろう、と思って、私が着いたら読めるようにキルステンの所宛てに手紙を送っておいてくれたらしい。キルステンのお家に着いたら読めるのにワクワクする。こういう心遣いは心憎いなあ。
 地図上ではハンブルグのほんのちょっと上、という感じだった"Henstedt-Ulzberg"だが、ドイツは広いので、意外と距離があり、ご両親のお宅に着いたら、もう午後8時半頃だった。ご両親とも夕食を食べずに待っていてくださって、恐縮する。お父さんはお茶目な中にも厳しさがある、といったタイプの、お母さんはノーメークでも都会的で洗練された雰囲気が漂う格好いい人だった。そして、何よりも、お家が外観内装共に素敵なのに驚いてしまった。
 玄関を入るとすぐ左手にワインケラーへの入口があり、 縄の手すりがある地下へ続く階段があり、びっくりしつつも期待を寄せてしまう。そして、入ってすぐ左側のもともとキルステンの部屋だったところを私達の部屋として使わせていただけるということで、荷物を置かせてもらい、時間が時間だったので、早速庭に張り出した、オレンジのテントの屋根のあるテラスの下の白い丸いテーブルに移動して、夕食をご馳走になることに。大きなグラスのような形のモダンな燭台の中にゆらめく蝋燭の炎がとても幻想的で音なっぽいムードを醸していた。
 メニューは暖炉の炭火で焼いた豚肉・ソーセージ・魚などのバーベキューで、私達日本の女の子(=小柄なイメージ)がどれくらい食べられるのか判らないのを考えてのメニューだったそうなのだが、全種類ペロリと平らげる私達を見て、実はみんな内心驚いていたらしい。
 また、初めに、お母さんに「お酒はお飲みになる?ワインはお好き?」と聞かれ、私の日本に広く流通する偏見に由来する、「好きですが、ドイツワインは甘いものが多いですよね。」発言が、自宅にケラーを持つくらいドイツワインに誇りを持ち、造詣が深いお母さんに火をつけたようで、「いいえ、ドイツワインの中でもフランケンワインはフルーティーでもきりっとドライでとても素晴らしいものが沢山あるわよ。うちのコレクションの中でこれはと思うものを何本か持って来ましょう。」という話しになり、ドイツワインの威信をかけた素晴らしいワインをいただくことが出来、とてもラッキーだった。

 夕食の後は教会のオルガニストでもあるお父さんのお仕事場でもあるピアノ(グランド!)の部屋に移動。まっちゃんの発言で私が少しはピアノがいけるということになってしまい、早速何とかの一つ覚えのショパンのワルツで一番シャープやフラットが少ないやつを弾くが、ワインのせいか、私がぶつぶつ言ったようにほんとうに「このピアノが普通の鍵盤より幅が広い」からか、ほんとうに弾きにくく、ポピュラーからクラシックまで幅広い楽譜を持っていらっしゃるお父さんがわざわざ楽譜を探して持って来てくださるがどうしても駄目で挫折。十何年ぶりに弾くというキルステンとバトンタッチする。キルステンは十何年ぶり、と言いつつ学校で体育と音楽を教えているというだけあって上手で、お父さんの娘を見守る目が実に温かく、微笑ましかった。
 私達が使わせてもらえたお客さん用の(!)バスルームは床がグレーがかったピンクのタイル、バスタブを覆う部分と水がかかる可能性のある部分の壁は床と接している一番下の段が黒、その他はマーブルっぽいグレーのタイル製で、ドア、バスタブ、洗面台、オイルヒーター、タオル、バスマットなどは全て白で統一されていて、洗面台上の少しスモークっぽい色をした丸い鏡の枠は床と同系のピンクだった。そして、この辺が流石バスタブの外で身体を洗う習慣がないお国柄!というところ(と、いってもこれまでここまでそうでないと成り立たない!というバスルームは見たことがなかったが)だが、なんと、バスタブと壁の間の梁の部分に出来た空間には何と黒檀色の木製(!)の台が置かれていて、その上には濡れたらヤバそうな豪華な白い花に緑の葉の造花の盛り花が置かれていて、洗面台とバスタブ奥と手前の壁の間にはそれぞれ先程の台と同じ暗い色調のラッカーが塗ってあるとはいえ籐製の棚と篭が置かれていたりして、しかもシャワーカーテンがなかったので、とてもすっきりして格好良かったのだけれども入る側としては濡らさないようにものすごく気を遣った。
お風呂に入ってリラックス(?)した後には、早速ハンブルグで購入した葉書を書き、またしても濃密な一日を思いながら眠った。

 一夜明けて、7月27日(月)。今日はキルステンのフラットのあるフレンスブルグに移動する。昨日の夜が遅く、特に急ぐ必要もないので遅め朝食をテラスで取る。豪華なブランチで、ハム、チーズの他に小海老のマヨネーズ和え、へリングの酢漬けなどがあり、とても美味しかった。昨夜のデザートの時と同じく、ガラスのコンポート一杯にマスカットやオレンジや桃が盛られ、カイザーロール的なパンが温められてナフキンを敷いたバスケットの中に山積みにされ、ほんとに素敵なテーブルコーディネートだった。が、昨夜、みんなワインを沢山飲んでいたので人気が集中したのはコーヒーだった。
お父さんは早めにテニスに出掛けていっていたので、お母さん、キルステンと私達で食卓を囲んでいたので、丁度結婚前の私達とそのお母さんという組み合わせとなり、結婚談義に花が咲いた。
 そもそも、まっちゃんがお見合いの相手には違う理由をつけて今回の旅行に来ていたというタイミングもあり、この旅行中、どこに行っても必ず私達の年頃と、それぞれの国での事情への興味から、必ず結婚観や結婚についての話が出て、「ステイタス上では似たような(実はまっちゃんの方がしょっているものは比較しようのないほど重く、冷静に考えれば私など何も継ぐもの(=結婚相手側のメリット)はないのだが・・・。)家でありながら、見合い結婚をしなければならない(コンサバ?)まっちゃんの家と、別にそんなことはない(リベラル?)私の家」という好対照もあって、この話題は非常に盛り上がるのだが、今回は特に盛り上がった。
 ドイツでもお母さんの時代頃までは日本の見合いまではいかなくても何らかの形での(主に親戚からの)紹介というのが一般的だったが、今ではそういうのはすっかり影を顰め、代わりに新聞の求人欄に恋人募集というのがあったりするけれど、それで実際結婚にまで至ったという話はあまり聞いたことがないとのことだった。(そういえば、以前オーストラリアにすむ知人が手作りのミンストミートの一杯入ったクリスマスケーキを送ってきてくれた時、それを包んでいた新聞がそういう欄で驚いたことがあった。日本では結婚産業はいろいろと凄い割に、そういうのは馴染まないのだろうか?まあ、そういうところで見かけた人にいきなり電話して会って見るのも気持ち悪いような気がするけれど・・・。もっとお手軽なテレクラなんか(私は絶対気持ち悪いと思ってしまうが・・)は別の意味でもうすっかり市民権を得ているみたいだけれど・・。)
 そして、結納や結婚式などの話になり、ドイツの伝統ではお嫁入りに銀食器やテーブルクロスやタオルといったリネン類を沢山持って行くらしく、わざわざキルステンのお母さんがお嫁入りに持って来たという、5代(?)に渡って受け継がれてきたというテーブルクロスを出して来てくださった。白く、大きな長方形のもので、周囲と四隅と中央のちょうど花などを飾る部分の周りの部分に花のカットワークが施されていて、全て手刺繍で出来ているのだそうだ。こういうものをどれだけ用意できるかで「お里が知れる」ようになっているらしい。
 また、これからキルステンのフラットに移動するのだが、ここに来て初めてキルステンが一人っ子だということが判り、ドイツや北ヨーロッパでは18歳になると独立するのが普通だとは聞いていたが、一人っ子に関してもそれが変わらないのだということを知り、少し羨ましい様な気もした。
 私は大学の時に父を亡くし、その時に、将来母にもしもの事があれば、もう相続税の配偶者控除は受けられないということへの考慮から家と土地を受け継いだのだった。母は別にいざとなったらこだわらないというが、進んで転勤が多い人や、長男の人と結婚しようとは思えない。が、次男以降の男の子自体今では希少価値である上に、ノリが合う合わないの問題で、私が親しくなる男友達は長男でしかも他は女兄弟だけというケースがほとんどで(マリウスまでそうだったのだが・・)、別にだから結婚しようとは思わなかったわけでもなく、ただ男と女としてその気にならなかっただけだが、それにしても一人娘というのはある意味で半分は長男も兼ねているようなものなので、日本の長男の気持ちは判り過ぎ、自分が名字を変えたくないし、家も変わりたくないと思えば思うほど、(家は別として)相手もそうだろうと思うので、ほんとうに、気持ちの判る野郎友達同志の域を出ないのであった。そして、極め付きは色々紆余曲折があり、母方の祖父が創業した会社を受けたときの面接で、「仮に東京転勤になったとしたらどうしますか?」と聞かれたので、「東京はビジネスの中心地ですし、その時は喜んで従います。」と、別にマニュアルどおりという意味ではなく答えたところ、「お母さんはどうするの〜。ワッハッハ。」というリアクションを受け、何じゃこいつら!普段は新婚早々でマンションを買ったばっかりみたいな人を平気で転勤さすくせに!だったら最初から聞くな!と、真剣にむかつき、ということは、仮に私がいくら仕事ができるようになったところで、ここでは東京に行くチャンスはあり得ないのかと思った。と、いうようなことがあったからだ。

 話が少しそれてしまったが、これから行くキルステンのフラットは、ワンルームで、しかも一週間後には引越の予定で既に全てが片付けられているということで、寝袋と空気マットを二つずつ積んで行くことにする。また、ドイツから出発する前日にお邪魔するので「ありがとうございました。またよろしくお願いします。」「よい旅を!」と言い交わし、キルステンのご両親宅を辞し、昨日書いた葉書を出すため郵便局に寄った後、アウトバーンを飛ばし、一路100km先のドイツ最北の街、フレンスブルグに向かうのだった。

 ロングドライブももうすぐ終わりというアウトバーンの途中から、突然雲行きが怪しくなり、この旅行に来て初めての凄い土砂降り、それも日本の今頃のものと違い、寒い雨になり、急に冷え込み、この気候の変化と久々に同世代の女の子とだけいる気楽さからここまでの疲れがどっと出たのか、私は風邪を引いたようで、ちょっと熱っぽくなってしまった。

 フレンスブルグに入り、キルステンのフラットのある白い2階建てのアパートメントに着いた。キルステンのフラットは確かにワンルームで、入ってドアを開けて左手にバス・トイレと洗面化粧台があり、右手に小さなキッチンがあり、奥がベッドやデスク、テーブルなどがあるワンルームになっている。が、壁などが厚いからか、日本のいわゆる学生や若い独身者用のワンルームマンションと比べるとどっしりしていて過ごし易そうな感じがする。
 荷物を降ろし、私はそこで留守番をさせてもらうことにするが、長い道程をひとりで運転して、さぞお疲れのはずのキルステンはすぐにまっちゃんと買い出しに出かけ、この辺りでお勧めの、あの、時々向こうのもので見かける下にゴムのパッキンが付いている栓と瓶本体が金具で繋がっている瓶に入った、元々修道院かなんかで作っていたというビールを20本も買い込んだ上、さっさっとキッシュを焼いてくれた。 食欲だけは衰えてなくて、ビールとお手製のキッシュはとても美味しかった。食器がすべてブルーで統一されていたのにも触発された。何しろ、私は白地にブルー的な部分使いならともかく、食べ物を盛るには暖色系でないと食事が美味しく見えないと思い込んでいて、避けて通っていたからだ。食器とお揃いの燭台。さらには食器と同じブルーの色の羽根を持つ鳥の形をした塩胡椒入れというおまけまで付いて、独り暮らしの小さな食卓は見事にコーディネートされていた。
 オーストリア・グラーツのイングリット宅に次いで、ここにもまるで「リー&ペリン・ソース」かのような入れ物に入った" Soja Sauce"(=もちろn醤油)があって、キルステンがそれを別に日本人の私達がいるからというわけではなくキッシュにかけて、「醤油とチーズは合うのよ。」といい、まっちゃんも「そうそう。」と言っていたのに、その組み合わせを食わず嫌い的に避けていた私は驚いた。

 食事の後、キルステンが留守番電話を聞いてみると、カナダのステファニーからメッセージが入っていた。ここまで母国語ではないもの同志で英語で会話をしてきたので、あらためていわゆるネーティブスピーカーの留守録メッセージを聞き、その速さと傍若無人ぶり(?要するに本人は全く意識していないと思うが、どや!これがネーティブイングリッシュじゃ!わからんのはあんたらが不勉強やからや!この速さと言い回しについてきてみい!」という"それを理解できないかもしれない者に対しての配慮のなさ。"が感じられるのである。)にこれからの旅が思いやられるのであった。でも、ちゃんとした予定がどうなったかを教えて欲しい、ということなので、キルステンに断ってカナダまで国際電話をさせてもらう。そして、ステファニーが捕まったので、私達の予定、基本的に宿泊させてもらうまっちゃんのお友達宅の電話番号を言って再会を誓うのであった。それにしてもカナダ人英語は速いなあ。

 そのステファニーの電話が契期になって、これまでご両親宅ではキルステンと寝室は別々だったのが、今回一緒になったこともあり、キルステンはカナダチームではどちらかといえばステファニーと違う方の女の子ナンシーと親しかったこと。から始まって、あとはもう何をどれだけ話したか書き尽くせないくらいの修学旅行や合宿での女の子の部屋状態と化したのだった。

 7月28日(火)。昨日の雨もやみ、キルステンの提案どおり、Westerland方面に小旅行することに。キルステンはほんとうはもう一つの船でしか行けない島に行くつもりをしていて、そこは天気が変わり易く、嵐になれば何日か帰って来られない事もある、と聞き、翌々日にはここを発たなければならない私はちょっと蒼ざめていたのだが、運良く(!)船に乗り遅れたため、キルステンは俗っぽいところがあまり好きではないらしいが、電車で行けるのでジルト島へ行くことにした。

 キルステンはその辺りのスノッブさがたまらなく厭だったりするらしいのだが、とにかくここは日頃北ドイツを馬鹿にしている南ドイツの人にとっても(そんな南北問題があったとは!)「ここ」に来ることだけは一つのステイタスになっているという場所らしい。ここに来る電車は車が運べる貨車を連結していて、スノッブな人達は別料金を払ってわざわざ自分のメルセデス等で乗り入れたりするという。私達は車は駅の近くに置いて列車に飛び乗り、中で回ってきた車掌さんから切符を買ったのだが、私達にはよく判らなかったが、キルステンに言わせると、彼の態度も「私はジルト行きの列車の車掌だ!」というものだったらしい。

 さて、駅に到着し、ここジルト名物のStrandkorb(=beach basket)がところ狭しと並ぶ砂浜を見物に行く。そのStrandkorbとは、木製のベンチに同じく木で乳母車なんかにあるような幌を付けたようなもので、大体外側は白や水色の単色で塗ってあって、内側がオレンジとコバルトブルーのストライプで塗ってあり、それを砂浜に海に背を向けた形に置き、一人か二人で座る、というようなもので、ビーチ以外にこの島の家の庭には大概置いてあるのだそうだ。確かにその様子を見物する私達に吹き付ける向かい風は強い上に冷たくて耐えがたいものがあり、彼等がそれを海に背を向けた形で置くところまでは理解できるが、そうまでしてわざわざ浜辺に出るというのは理解し難いものがあるが、その辺りがこれをするのがお洒落!というスノッブなのか、はたまた折角の「夏!海!」だけどここはこの気候・・でも、これさえあればエンジョイできる!そして、ついでにこの島の名物にしてしまえ!みたいな流れで定着したのか・・。とにかく今では絵葉書にもなるくらいだ。また、この島はゲイのメッカでもあるらしい。きっと「お洒落でスノッブなゲイ」のメッカなのだろう。
 街を歩いてみると、ここ、ジルトは日本で云えば軽井沢をもっと大きくして、さらに海があるとでもいう感じの場所で、軽井沢のブランド志向が「?」というべきものだとしたら(あまりよく知らないのにこんなこと言ってすみません。)ここはもっと本物志向でカルティエやグッチなどなどの直営店があったりした。きっとドイツのみならず、ヨーロッパ中からブランド志向のお金持ちが集まってくるからなのだろう。ブランドの店のみならず、一般的にどのお店もセンスがとてもよくて、日本の彼の地ではあまり購買意欲がもたげてくることはなかったのだが、ここではインテリア小物とテーブルウエアの店の木とウールで出来た羊までが大人っぽくて可愛く、見るところ見るところで荷物になるから、と、諦めるのが大変だった。この辺りのテーブルウエア、インテリアの組み合わせもデンマークのロイヤルコペンハーゲンと同じく白地にブルーというのが特色らしい。近いからなのか・・・。
 途中でハーゲンダッツの店を見つける。新しくオープンしたてのようで、キルステンは初めて見るという。日本では沢山あるアイスクリームの店だ、というついでに、積年の疑問、「ウムラルト等ついているけど、あのハーゲンダッツって、いったい何語?」と聞いてみたら、少なくともドイツ語ではないということだった。今度機会があれば語学の達人パトリックに聞いてみねば。

 そこから程近いオープンカフェで一服。ちょっと一休みのつもりが私が会社をやめるまでの経緯などに話が及び、日本では一般職と、総合職というのがあって、私は総合職のつもりで入ったら実は一般職で、総合職の男の人はあるところから上の仕事からしかやらなくてよくて、ある一定のところまでは仕事の総量は同じでだんだん上にシフトして、それ以下の仕事はどんどん下の人にふることができ、また、仕事に見合った給料をもらうことが出きるが、一般職でありながら面白い仕事も任せてもらえると、一見するととてもやりがいのあることに思えるが、それはあくまでも机の雑巾掛けやコピー取り、社内便の発送、伝票書き、といった最下層の仕事もこなすという前提の上に加えられていくので仕事の総量は増えるばかりで尚且つ給料は同じような仕事をしている総合職の男性より低いのは勿論、そのような現実に気付き、会社には給料のため居座る、と割り切った、全く仕事はせずただぶすっと座っているだけの何十年か居座っているお局よりも低いのが現実で、もともと面白い仕事さえさせてもらえていたらお金は二の次だと思っていたが、だんだんそこでしか差が付かないのだということに気付き、そうこうしているうちに身体も壊し・・という話になり、結構長居をしてしまった。

 さらにバスに乗ってさらに北の海へ向かい、スノッブな人も沢山集まるというシーフードレストランに行った。いかにも別荘地のレストランという造りのそこには確かにそういう人がたくさん来ていたが、マリネやスモークサーモンの味も確かで、白ワインとぴったりで、特にここ最近魚には餓えていたので幸せのあまり鱈腹食べてしまい、キルステンに「いつもあなた達の身体のどこにそんなに沢山入るのか不思議だわ!」と呆れられる。

 その後、腹ごなしも兼ね海岸を徘徊。この辺りで監視員のバイトをしていたこともあるキルステンによると、この辺は夏でも本当に波が荒く、水が冷たくなりがちな地形になっていて、泳ぐには危険なので遊泳禁止区域になっているのに、南から来た人の多くは聞く耳を持たず、泳いで遠出しては危ない目に遭っていて、また、そういう人を助けるのは本当に大変だと言っていた。ここまで来れば、もうちょっと北上すればデンマーク、という場所だが、コペンハーゲンやマルメで見た穏やかでビーチに芝生まである海とは全く違った雰囲気だ。ここから見れば北の海。あちらから見たら南の海だというだけで日本海と太平洋ほどの違いになるのだろうか?そういえば、キルステンは人間に関しても、「この海を越えれば、みんなびっくりするくらいきれいな金髪で可愛い人達になるのよねえ。悔しいけど・・。」と、言っていた。私からすればキルステンも金髪で可愛くて大きくて・・と、思うが、確かにここ北ドイツで見る人達とデンマーク、スウェーデンで見た人達はどちらがどう、というわけでなく少し違う様な気はした。まあ、日本の東西南北でも顔は違うと思うくらいだから・・・。
 また、海岸にはキルステンもこんなに沢山打ち上げられているのを見るのは初めて・・。と言うくらい沢山の水色のきれいな色をしたクラゲがいて、中に赤い色が混じっているのは毒があるということで、それには触らないようにしながら水に戻してあげたりして、人が殆どいない荒磯(?)でひとしきり戯れた。

 そこで戯れ過ぎたお陰でキルステンが是非行きたいと思ってくれていた、この地方独特のスタイルのティーショップに向かったところ、あとちょっとのところで閉店してしまった後だった。そのため、外から見ることしか叶わなかったが、広い敷地を囲う低めの石垣の上に低めの生垣があり、白い門の横に白い額に入ったメニューがあり、一歩入ったところに大きな木があり、その中には我が同志社中学のチャペルの窓枠や入口、丸いステンドグラスの枠を白くして、屋根を茅葺きにしたような建物が立っていて、見るからによさそうな雰囲気。でも、私達を閉め出すなんて失礼千万!なので、海を後にして、ウエスターランドに戻ることにする。

 いったんウエスターランドに戻ったところ、バスがなかなか来ないことが判ったので、列車に飛び乗り、この島の典型的な建物が一杯ある地域に行く。この島の中でもこの辺りはキルステンも好きな地域というだけあり、独特の茅葺き屋根を持つ美しい建物があちらこちらに並んでいた。茅葺き屋根といえば日本の田舎だけのものかと思っていたので驚く。このドイツ北部の島々は一つ一つが全く違う伝統、個性を持っているらしく、その島に住めば、その島の伝統的な形式の家を保持することが義務づけられていて、例えばこの島の独特の美しさを見せる茅葺き屋根も、保存が大変な上、保険も高額なため、裕福な人しか維持できなくなっているらしい。実際、多分新しい持ち主が住むにあたって改修している現場を通り掛かったが、とても大変そうだった。また、ある家の蔦で全体がリースで飾られたようになっているドアの上の真ん中に、数字の"50"の金文字が丸い枠の中に入れられ、飾られていた。キルステンによると、それはその家の主が金婚式を迎えているという印だそうだ。素敵な習慣だと思った。

 一通りここの建物群を楽しんだので、最後に先程お茶を飲めなかった腹いせもあり、やはり私達にはこれが似合うって事かな?などといいながら、外のテラスでビールで乾杯する。話しの流れから、日本語の「書く」システムはどうなってるの?それをどうやって学校で教わるの?「きるすてん」は漢字だとどう書くの?のような話から、日本語講座が盛り上がり、気付いたら身体が冷えていた上に、キルステンが車のガソリンが残っていないことに気付き、ガソリンスタンドが開いている時間のうちにフレンスブルグに戻るため、大急ぎで電車に飛び乗り、車にのった後も、ひたすらガソリンスタンドを探す。やっとの思いでガソリンスタンドを見つけたときには40リットルのガソリンタンクに39.32リットル入った。ということは・・・。ちなみにここでは日本のガソリンスタンドでのレギュラーにあたる部分に「Benzin」と書いてあり、ベンジンって、ドイツ語ではガソリンっていう意味なのか。と、思った。
 ともあれ、これで安心して帰ることができる。車の中で、ドイツでは基本的に一日一食しか温かい食事は取らない、という話などを聞き、同じ文化圏に属するオーストリアのキャンプ中に行ったホームステイで、夜はカナッペだけだったことを思い出した。かなり長いドライブの後無事フラットにつき、ずっと運転も案内もしてくれていたキルステンは、「どこかに飲みに行ってもいいよ!」と、言ってくれたのだが、私は何も食べないまま帰るや否や、エアマットの上の寝袋にダウンしてしまい、とても申し訳なく、残念だった。その後別に元気だったまっちゃんとキルステンはどうしたのだろうか・・・。

 一夜明けて、7月29日(水)。とうとうフレンスブルグ最後の日になってしまった。今夜にはご両親のお宅に入り、泊めていただくので、朝食を済ませると、まだ見ぬフレンスブルグの街を見物して移動することに。

 私は昨夜から引き続き風邪気味だったため、何とか温かいものを食べて、風邪を蹴散らすため、朝食用のパンなどの買い物に行った際、近くのスーパーでクノールの即席のスープを買ったのだが、昨日の話からも「温かい食事は一日一回」が普通のキルステンには「朝からスープなんて信じられないって感じ!!」といわれる。日本ではもともと朝味噌汁を飲む習慣があったので、朝のカップスープなんかが定着したのだろうか?今朝も例のブルーの食器を出してくれたが、特に蝋燭で温めるポットウオーマー付きのポットが可愛かった。

 帰ってすぐに移動できるように、荷物をまとめ、歩いてフレンスブルグ見物に出発。
 外壁の左半分だけが蔦でびっしりと覆われたここで最も由緒のある教会を通り過ぎ、キルステンがここで最も好きな界隈というところに行く。そこは、下がグレーに時折オレンジ色が混じった感じの石畳で、回りを同じような色調の小さな煉瓦のような形の石造りの建物が取り囲んでいて、建物の一階部分は大体皆、店になっていて、それぞれ観葉植物や鉢やプランターに植えた花で店の前や戸口を飾っていて、それがまた建物自体の色が地味なだけにとてもよく映える、真ん中には白いパラソルがある、と、いったような場所だった。全体にしっとり落ち着きつつも可愛らしい場所なので、キルステンガ好きだというのもよく判った。途中、キルステンが、ドイツ語で"hof"ってどういう意味だか知ってる?と聞くので、そういえばキャンプの後に立ち寄ったチューリッヒのホテルは"グロッケンホフ"という名前だったし、よくホテルで「○○ホフ」というのを聞くので、「ホテルのこと?」と聞くと、そうではなくて、ここのギャラリーの前に展示してあるここのことを描いた絵が示すように、回りを建物に取り囲まれた中庭のような場所のことをいうのだそうだ。だから、このキルステンのお気に入りの場所も「ホフ」というわけだ。

 典型的な「フレンスブルグ」もしくは「ドイツ」的なものを少しでもお土産にするため、ショッピングも兼ねてさらにその辺りをうろうろする。まず、ちょうどグラーツのものと同じような、有名なお茶屋さんに行き、そこのオリジナルブレンド・ティーと、オーストリアのクリスチャンが好物だと言っていたほんもののドライフルーツなどからなるフルーツティーもあったので、それ(きっと日本で次にはやるのはこれだ!と、思った。)と、「ティーキャンデー」という10cmくらいの木製の先の尖っていない編み棒のようなものの先に細かい氷砂糖が沢山つけてあるもの(紅茶にスプーンで砂糖を入れて混ぜる代わりに、これを紅茶に入れて混ぜて溶かす。--これもとても可愛いので日本でもはやる!と思ったが、自分を含めて周りであまり紅茶に砂糖を入れて飲む人を見かけないことを思えばやはりだめか?)を一袋買い、次に文房具屋で、これをしたためるための薄手のA4サイズのノートを2冊買と独特の動物キャラクターのついた、"y"と"Das war SUPER!"と"Luftpost"のはんこを買い、雑貨屋で木製でピエロが万歳をしてYの字を表しているものを買い、あと、例によって、絵葉書を買い、ショッピング終了。

 最後にお昼も兼ねて、やはり私達には一番お似合い!の地元の人しか行かないようなワインケラーに行く。そういえばこちらに来て以来、一度も北ドイツ名物だと思い込んでいたタルタルステーキにお目に掛かったことがないため、最後のチャンスなので注文しようとするが、なかなか見当たらない。キルステンに言っても「何それ?」って感じだったので、あれこれ二人で説明してようやく「これのこと?」と頼んでくれた、タルタルステーキに目玉焼、というより目玉蒸しが乗ったものが出てきたので、それをいただく。
 そういえばハンブルグの町に着いた日に、「そういえばハンブルグってハンバーグの発祥の地なんでしょ?」と聞いたときにもキルステンは「はあ?!」というリアクションで、「昔、ハンブルグの貧しい農民が乏しい肉で何か料理が作れないかと考え、それを挽肉にして、つなぎに野菜を入れてみたら結構お腹が膨れてイケる料理が出来て・・・。」と、いう話を聞いたと言ったところ、「あっはっは。それはよくできたお話しね。でもね(と、私達を納得させるためにはどうしたらいいか考えて・・)、ハンバーガーの中身が魚になったらフィッシュバーガーでしょ?だから、あれは"ham・burger"と、"fish・burger"という具合に分かれるわけで、ハンバーグとハンブルグは偶然の一致で関係ないわよ。」と、一笑に付されてしまったことがあった。少なくともハンバーグがハンブルグの名物料理ではないようだった。では、あの伝説は一体・・・。そして、ここでのタルタルステーキの通りの悪さは一体・・・。
 キルステンがこの秋に休暇をとって、東南アジアのシンガポール辺りに行こうと思っている、と、言い出したので、シンガポールに行くくらいだったら日本にいらっしゃいよ!と、計画の変更を迫る。日本というと、「行きたくても高い」というイメージがある上に、「英語が通じ難そう」ということ(どちらもほんとうかも)から、敬遠する向きが多いらしい。シンガポールや他の東南アジア諸国の方がもともとヨーロッパの国々の植民地であったことから「安価に手軽にエキゾチシズムが味わえる」というイメージがあり、気軽に行ける。と、いうのだ。日本人ですら日本国内旅行費用の高さなどなどからそちらに行く流れがあるわけで・・・。ますます日本の正しい姿を外国の人に知ってもらうのは至難の技なのか?と思う。が、キルステンは逃すまじ!で、その話を中心に話に花が咲き、これからフラットに帰り、ご両親の家で夕食を取ることになっていたことを思い出すと、とんでもない時間になっていたので、それから早々にお店を辞し、フラットに戻る。

 すぐに荷物を車に積んで、出発する。一週間後に引っ越し=もう決して戻ってくることのないキルステンのフラットよ、さようなら。

 車を飛ばし、"Henstedt-Ulzberg"のご両親宅に到着。一日目に続き、この日も着いた時にはすっかり遅くなってしまい、またしてもご両親をお待たせしてしまった。今日もテラスで夕食を用意してくださっていた。
こちらでは松=Japanese treeというイメージがあるらしく、お庭の松の木を指してはしきりに「家にもJapanese treeがあるわよ!」と言われた。

 文字通り、ここでの最後の晩餐だ。一日目に小手調べをされた際、私達が「只者ではない(食欲において)」ことがバレてしまっていたので、今夜はなんと、丸鶏二羽分のローストチキンにポテトグラタン、ザワークラウト、蛸の入っていない蛸焼きのお化けのような、大きな団子の付け合わせが出て、超ヘビーだった。
 ことにその団子は徒にお腹を膨らませる曲者で、私もまっちゃんも「でも、せっかくお母さんが作られたものなのだから・・・。」と、残すまい、と、食べていたのだが、特にまっちゃんは早々にそれを食べ終わっていたら「マスミ!」と、お代わりまで入れられてしまい、ものすごく参っていて、後でまっちゃんが台所の横を通りかかった際に、それが入っていたと見られるレトルトパックを発見して(もちろん私達に出来合いの物を出すなんて!という意味ではなく)、「ギャフン!」と、思ったと言っていたが、私もそれを聞いて、「ギャフン!」と、思った。今更「私達、あまり食べられないんですう〜。」と可愛い子ぶる訳にもいかないだけに、全部食べ切り、非常に苦しかった。
 それにしてもこのこちらの伝統的な料理(本来は狩りで仕留めた獲物であるべきだそうだが)である丸鶏のローストは、足を凧糸でくくったりするわけでもなく、モロ「とり」で、それを万能バサミで裁く様子は何とも大胆で合理的な感じだった。私達からすれば目の前で裁く「鯛の活け造りに匹敵するような」感じを受けたのだが、こちらの人が「鯛の活け造りの現場」の方がもっと残酷に思うのだろうなあ・・。ああ、different culture!ともあれ、ほんとうに、ご馳走様でした。

 その後は、明日の朝、まずまず早く起きなければならないので、葉書を書いて、早々に休んだ。

 7月30日(木)。これから9時前にはこの家を発ち、ハンブルグから10時45分発のLH023便でフランクフルトへ11時55分に着き、13時10分発のLH474便でいよいよアメリカ大陸へ飛ぶのだ。

 今朝はまず、お母さんの許可を得て、着いた時から素敵なお家だな、と思っていたこの家の写真を色々と撮らせてもらう。適度にゴージャスで、適度にシンプルなこの家は私の理想ともいえる。特に入ってすぐに見える家族のプライベートな部屋へと続く螺旋階段はとても可愛かったし、何といっても地下のワインケラーは夢である。(時間がなくて中を見せてもらえなかったのが残念。)

 一通り写真を撮らせていただいた後、お父さんはテニスの練習がある日だったので、お父さん抜きでテラスで朝食をいただく。お父さんが帰って来られるのを待って、最後の記念撮影をし、いよいよ私達の荷物をお父さんのメルセデス(やはりミッション)に積み込む。あれほど厄介な荷物が流石にメルセデスのトランクにはすっぽり収まった。初めての快挙だ。
いよいよ、出発。お母さんが「いつでも帰って来なさいね!」と言ってくれ、キルステンが言っていた、すぐに開けっ広げに打ち解けるわけではないが、一度打ち解けると心からフレンドリーな北ドイツの人の気質を垣間見た思いがした・・・。

 ハンブルグ空港に着くとすぐ郵便局を探し、切手を買い、キルステン父子の協力の許例によって大切手貼り大会を行った後、無事投函。時間も差し迫っていたので、キルステンと日本での再会を誓いつつ、お別れする。ほんとうに、有難うございました!