1992年6月28日大阪空港

一番いいデザインって・・。

6月29日フランクフルト→ミュンヘン→ガルミッシュ・パルティンキルヒェン

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 1992年6月28日。お天気は晴れ。車を家に置きに来てからの帰りのことを考えて、大仲君が午後4時前にバイクで家に来てくれた。母と私の2人を乗せ、3人で出発。道は実はラッシュとは関係ない日曜日だったこともあり意外と空いていて、4時半ごろには大阪空港に着いてしまった。まっちゃんと、わざわざ見送りに来てくれると言ってくれた美紀とはルフトハンザのチェックインカウンター付近で5時頃に待ち合わせ。到着を待つ。
 暫くしてまっちゃんが到着。嫁入り前の大事なお嬢様のまっちゃんは、ご両親その他のお見送りつきだとばっかり思っていたので、一人で現れたことにびっくり。また、どうせ長時間乗る機内ではお肌のためにメイクを落とすんだから、と、既にすっぴんの潔さにびっくり。
 美紀が到着。わざわざ空港バスで来てくれて感激。すんなりとチェックインが済み、時間があるので飛行機の発着の見える喫茶店で時間を潰す。例によってまっちゃんの面白い話で盛り上がる。

 いよいよ時間となり、出国手続きへ。出発便のボード前で(その割に出来た写真をみたら、肝心のわがLH743便の部分が写ってなかった。)記念撮影をして、いざ出発。う〜ん。いよいよだ。
出国手続きを終え、ゲートに向かう売店で、ちょうどポパイの男前特集が売っていたので、向こうでのネタのひとつに、ということで、買う。
 いよいよ飛行機に乗り込む。ウエルカム・ドリンク(?)のサービスが「シャンパンかオレンジジュースか。」のチョイスのところにビジネスクラスを感じる。当然シャンパンを選んで、この旅の前途を祝して乾杯!この便は混んでいてなかなか取れなかったという割に、ビジネスクラスはさすがに空いていて、余裕がある。以前、海外赴任者が呼び寄せる家族の一行とおぼしき集団が乗っている飛行機に乗り合わせ、小学生ぐらいのリュックを背負った子供達がビジネスクラスの座席を占拠していて「ひょ〜。(お前らエコノミーでもまだ十分余裕があるやろうが。大体今からビジネスクラスに乗ってしまって後でエコノミーに乗れるんかいな。の意。)」と、思ったことがあるのだが、今回はほんとに周りは殆ど外国人の人など特に「エグゼキュティブ」な感じ。そんなこともあろうかと、一応カジュアルな格好ながら、そしてコットンながら、厚手のブレザースタイルの金釦つきジャケットを羽織ってきたので少し落ち着いていられるが、若いもんが...って感じで場違いの様な気がしてちょっと落ち着かない。私って意外と小心者なのだ。でも、席も前の方に用意してもらえたし、これからの行程を考えると、やはり張り込んだ甲斐がありそうな予感がする。
 離陸前にまっちゃんは週刊文春を読んでいた。たしか私が「この頃、週刊誌がつまらない。」とか「中ではこの頃週刊朝日が表紙なんかのリニューアル後のデザイン、頑張っているような気がする。」とか「文春の表紙のデザインは嫌い。」的なことを言ったのだと思う。とにかくそれに対してまっちゃんは「でも、文春は一番売れていて確かに面白いし、表紙も一番いいデザインに選ばれてんねんで。」と、いうようなことを言った時に、「何で沢山の他人ひとが面白いとか、綺麗と思ったからといって自分も綺麗と思わなあかんのかなあ。別に他人ひとがそれを面白いとか、綺麗と思うのは人それぞれやし勝手やけど。」と、強く思った。
 いよいよ離陸だ。エンジンをふかしている轟音がする。飛行機が陸地を離れるために、もてる力を全部出して加速していく。そして、音と速度が最大最速になった時、機体がふわっと宙に浮く。いつもながらこの瞬間がたまらない。新しい世界への旅立ちにどきどきする。特に今日は特別な気分だ。
 機内食メニューが配られる。色々チョイスできるようだし、飲み物も食前酒から食後酒まで含まれているよう。と、思ったところに「香港」の文字を発見。「この飛行機って香港経由なん?」「知らん。」などと呑気なことをいっているうちに「あ〜結構乗ったなあ。これでヨーロッパも随分近づいただろう。」と思っていた離陸後約5時間後、「当機はまもなく香港に到着いたします。」のアナウンスが。外を見るとあれは紛れもなく雨に煙る香港の灯り。と、いうことはこれは南回りの飛行機。などと、今どきヨーロッパ路線は全部北回りだと思っていた私は、そもそも翌朝の6時に着く、というのを知った段階で気付かないといけないことに今頃気付き、「ひや〜。5時間かけてこんなところにいるのかよ〜。」と、参ってしまった。
でも、今回トランジットだけとはいえ、香港に来るのは13年前、小学6年生の時にきて以来だ。あの頃の思い出といえば、くるみに胡麻がかかったお菓子がおいしくって、飲茶はおいしかったけど、店の人がお皿を配るといえば、手裏剣、いや、フリスビーのように飛ばしたり、コーラをつぐといえば、瓶を逆手に持ったかと思うとまるで「イヤ!」という気合いもろとも真っ逆様にしてゴボゴボ。ということや、日清の「出前一丁」の広東語バージョンのCMの「チャカチャカチャカチャカチャンチャンチャーン、チャカチャカチャカチャカチャンチャンチャーン、チャカチャカチャカチャカチャンチャンチャーン。」という唄が妙に面白かったことや、日本のアニメ(「ハイジ」系のもの)をやっていて、お母さんというところで「マーマ。」と言っていて、あ、ここでも「ママ」なんだ。と、思ったことぐらいで、買い物にもあまり興味はなく、仮にあったとしてもあまり趣味に合うものはなく、タイガーバームガーデンの色彩感覚にはどうもついてゆけず、ごみごみした感じにもどうもついてゆけ(だからそれ以来ご無沙汰してしまっているんだろうけど。)なかった。今来ると、もっと違った面白がり方ができるかもしれないし、返還前に一度来たいな、と思う。
 雨の香港に着く。どうして調達したのか透明ビニールのフード付きレインコートを着てバスに向かう人が何人かいる。「私にも貸してよ〜。」と思う。エスカレーターで空港内部に昇る。昇り切ったところで香港人の係員がてきぱきと「Transit? Frankfurt?」と尋ね、トランジットカードを配っている。いつもながら、こういうところで働いている他の国のアジア女性を見る度に、(植民地支配を不幸とみれば、)不幸な時代の産物とはいえ、英語は流暢だし、なんとなく私達日本人にはない押し出しの強さとテキパキした感じがあって、"世界標準"な感じを感じる。それはさておき、そのトランジットカードを受け取って、待合に向かう。1時間は待たないといけないようだ。ここで降りる人も沢山いて、どうやらこの飛行機の混みの正体はこれが香港経由なところにあるようだった。
 USダラーでも支払えるということなので、とりあえずお茶を飲む。ただ、支払った後、お釣りが香港の小銭で返ってきたときには「アチャー。(当たり前のこととはいえ、こういうのがたまっちゃうのが困るんだ。の意。)」と思う。その後まっちゃんが掛け方をメモっていてくれたので、二人ともコレクトコールのジャパンダイレクトで今香港にいる由を電話するが、うちは案の上最初に指名した還暦デビューの母は、大仲君と美紀とともにご飯を食べに行って、その後どこかに行っているようで留守だったので、小母さんにその由伝言する。
 沢山の人が待っている中、まずビジネスクラスの人から、というアナウンスに有難みを感じつつ再び機内へ。ここからはいかにもアジア的な笠などのお土産をもったヨーロッパ(多分ドイツ)人の人達がわんさと乗り込んできて、ビジネスクラスも満杯に。やはり旅行先として香港は行きやすいけど、日本は行きにくい、とかいうことがあるのかな。と、思う。雨が相当強く降っていて心配される中、飛行機は無事飛び立った。今度こそ一路ドイツ・フランクフルトだ!!

 6月29日。現地時間の早朝、6時。ヨーロッパの第一歩、フランクフルトに降り立つ。疲れよりも嬉しさが上だ。次に乗るミュンヘン行きの飛行機の出発時間まであと一時間しかないので、急いで次のゲートの場所をテレビモニターで探す。どでかい空港なので苦労しながらなんとか地下に降りたり上に上がったりしながら目当ての場所に辿り着き、登場手続きをする。そもそも出発前に美香が「ルフト(ハンザ)の人が、今回は沢山乗ってもらえるのでマイレージサービスとかをやってない分、気を付けておきます。といったはった。」と言っていたが、その手続きの際、係の人が「あなたの座席はすでに予約されております。」と言って、ピーッと発券してくれ、「ああ!(こういうことかしら...助かるわ。)」と思った。
 これで一安心したので、ここからまたジャパンダイレクトで二人ともドイツに無事ついたことを連絡する。私の方はやっと母がつかまり、昨日の展開はやはり私の予想どうりだったことが分かる。まっちゃんの方は、今あるお見合いの話を延ばすにあたって、「アトランタにいる姉が急病で、看病のため行っているので...。」ということになってるので、そのつもりでよろしく。と、お母さんから言われ、げんなりしていた。お見合い市場では、世界中の友達を訪ねて歩く活発なお嬢さんは敬遠されるのだろうか?(まあ、そうだろうという気もするけど...。)でも、本来の姿を偽って気に入ってもらったとしてどうなるのだろう?暫くならそれもいいかもしれないけど、それで長いこと共に生活するのは辛いんじゃないだろうか?
ゲート近くの待合に進むと、時間からしても路線からしてもこうなるしかないのだろうが、スーツ姿のドイツ人ビジネスマンばかり。所要時間からして中で機内食が出ないため、ここに新聞の棚や、コーヒーのディスペンサーや、金属製の何段かある篭がついた棚で、くるくるまわせるようになっている篭の中に色々な種類のチーズやバター、ヨーグルト。クラッカーやカイザーロールサンド、りんごやバナナといったフルーツが入っていて、乗客は自分の好みの朝食をアレンジして、自由に袋に詰められるようになっていた。合理的でいいシステムだなあ。と思う。私もさっき最後の機内食で朝ごはんを食べたところな上に、ブロイラー状態だったにも拘らず、懐かしく、きっとおいしいに違いないドイツのカイザーロールサンドの誘惑には勝てず、ハム入りのそれと、ヨーグルトとバナナを取ってしまった。
 飛行機に乗り込むと、やっぱり向こうの国内線だけあって、アジア人のおのぼりさんらしき人は丸っきり私達だけで、ちょっと嬉しいような、恥ずかしいような気がした。これからこの旅の先々でこういうことが増えるのだろうか...。

 きっかり1時間後にミュンヘンに着くと、そこは巨大な、新しい空港だった。メタルやガラスの白を基調に大体モノトーンで統一された中、ところどころにネオンの赤や青、緑、黄色、といった色が活かされていて、とても綺麗。乱暴な例えかもしれないけど、フランクフルトが成田とすれば、ここはさしずめ大阪といったポジションのはず。関西新空港がどうなるのかは知らないけれど、今の大阪空港は一応経済大国とされている日本の大阪の玄関としてはあまりにも情けない。と思った。次はミュンヘン中央駅まで行かなくては。トーマスクックの時刻表の抜粋コピーによると、ミュンヘン中央駅からガルミッシュ・パルティンキルヒエン行きに乗って、そこからロイテ・イン・チロルに引き返すような形でロイテに着けるはず。また、空港から中央駅までもなにか地下鉄のようなものがあるはずなので、インフォメーションで聞くが、結局切符の買い方がはっきりとわからず、荷物も重たいのでタクシーに乗ることにする。
 フォルクスワーゲンワゴンのタクシーに乗る。初めて'77年にウイーンでタクシーに乗った時、同じチームの男の子達が「いやあ、ベンツのタクシーや。」と、言っていたことを思い出す。時間が時間なのか、いきなり渋滞には巻き込まれ、また、どでかい新空港の常なのか、街の中心部までかなり遠そうで愕然とする。タクシーの運転手のおっさんが割と話し好きで、英語もうまい人だったので、いろいろと、ミュンヘンはバーバリア地方で昔バーバリアの王様がどうのこうので...。という話や、ウイーンに住んでいたこともあり、あそこの人の気質はこうこうで...。という話を聞かされ、こちらもウイーンっ子気質と京都人気質も似ているんとちゃうかな?と応酬したりでまあまあ盛り上がりつつ、やっとのことで中央駅に到着。とにかくガイドブックなどで見ていた通りタクシーは高くついたので、次はやはり地下鉄で。と、誓う。降りて、荷物を降ろす際、私達の2倍はあるだろうと思われるようなでかいそのオッサンが「何やこの重たい荷物は?」というような顔つきで、テニス選手がサーブを打つときのように「ウーッ。」と言いつつ降ろすのを見た時には、「私ら、これをあんたの2分の1の体でずっと自分で運んでんねんから、そんな顔しんといてえさあ。」と思った。

 さて、ここまで来たら一安心。切符を買ったら少しほっこりしようと駅の中を下見するとやっぱりビヤホールがありました!!これでまた安心。そこで、疲れた身体を引きずって、おのぼりさんとおぼしき外国人観光客らしい一群(私達とてその通りの境遇でございますが)がたむろしている窓口は時間がかかりそうなので避け、空いている窓口でここまでどこでも英語で通じてきたので英語で切符を買おうとすると、窓口の強面のおっさんに「ここはドイツなんだからドイツ語で喋れ。」といわれ、「うわっ。ウルトラ・ナショナリストがここにも。」と思う半面、「ご尤もです。」と思いつつも、その剣幕に、リンガフォン初級ドイツ語コースで培ったドイツ語の腕を試してみようという気力も萎え、結局最初から並んでいれば今頃はもうちょっと前にいられただろう、という"おのぼりさん大勢窓口"に並ぶ。ここでは英語もno problemで、トーマスクックの時刻表で確認していた通り、まず、今すぐなら間に合う電車があって、次は12時発。ということだったので、ここは迷わず12時発の2等車の切符を買い、一路ビヤホールへ。本場ドイツ、ミュンヘンのビールとソーセージとザワークラウトでここまでの労をねぎらう。
 後は乗るだけ、と、タカをくくってビアホールで羽根をのばしていたので、いざ乗る段になって、指定された28番線がなかなか見つからず、焦る。結局京都駅でいえば、山陰線のようなホームの端の端にこれも「今どき日本にもありませんぜ」というような田舎列車を発見し、それが目指す電車だと判り、落ち着く。ホームからクリスチャンに電話をする。一応国際電話なので、国際電話用の番号を頭に付けて、国番号をつけないといけないのだが、何だか京都―大阪の市外通話ぐらいの気分。でも、何といってもクリスチャンに電話をするのは初めてだし、緊張しながらかけてみたが、いざ通じると、ほんとうに15年振りかしら?という感じで話せ、「ミュンヘンを12時に出るのでよろしく!」と伝えると、すっかりリラックスして列車に乗り込むことができた。

 私達の乗った列車は外はオンボロだが、中はなかなか綺麗。何といっても電車内のお手洗いがきれいに使ってあって驚く。どちらも外見より中身を重視する国民性の現れなのだろうか。まっちゃんは早速この旅行のために買ったという赤い表紙のファイロファックスのシステムダイアリーにいろいろなことを記し始める。
 車窓から見える風景もまた私達の長旅の疲れを癒すのにぴったりで、山々や木々の緑や花々の赤い色に溢れていて、時折見える家は幼稚園児が「お家」といわれれば描くような三角屋根に大きな四角い窓の白壁の家で、例外なくテラスには赤い花が飾られ、時には表通りに見える面に鷲の絵が描いてあったりして...。初めての訪問地がここになった偶然に感謝せずにいられなかった。途中停車したりする度ごとに写真に撮ったりしたのだが、この辺りの田舎の風景は豊かというか、田舎は田舎なりに洗練されている、という感じがする。全てが借り物でない本物で、張りぼて様のものは存在しない。都会に引け目を感じている田舎ではなく、プライドのある田舎、そんな感じ。だから全てが清清しく見える。
座席は二人掛が向かえ合わせになっているスタイルで、通路を挟んで隣には大きなデイパックを持った綺麗な女の人が一人座っていて、初めから気になっていたところ、いつの間にか私達と話すようになった。ニコレッテという名の彼女は今回ミュンヘンに子供を置いて、ガルミッシュであるセミナーに参加しに来たところ、ということだった。私達の旅の目的を話すととても興味深そうにしていた。ほぼ同じ年頃で同性なので、他愛無い話に事欠くことはなく、ガルミッシュについたらお茶をしようということになる。

 ガルミッシュ・パルテンキルヒエンに到着。まず、荷物を乗り継ぎ列車の発車ホームに移し、こんなバカ重い荷物誰も持っていかないだろうと判断して、貴重品だけ持ってお茶に行くことに。(ホームとホームを結ぶ階段には狭いながらキャスター付きの荷物用にスロープがついていて、バカ重たくても女手一つで楽々持って上がることができた。これは後、色々な駅で見かけ、中にはその部分がベルトコンベアー状のものもあり、さらに楽だった。日本の駅の不親切さを思い出し、腹が立ってくる。沢山のお役人や企業の人が色んな目的で視察旅行とやらに行っていると聞くが、一体何を見て来たはるんやろう。と思う。)次の列車の発車時刻まであと20分くらいしかないので、お茶といっても当然駅構内のスタンド的なところで飲むんだろうと思ってニコレッテについていくと、いつの間にか外に出てしまい、カフェテラスに座ることに。ウエーターの人に事情を話し、大急ぎでカプチーノをつくってもらう。(ひょっとしてここでもイタリアンがトレンドで、こんなところでもふわふわミルクのカプチーノが飲めるのか?と半信半疑でオーダーしたのだが、やはり出て来たのは紛れもないウインナーコーヒーだった。)その間にも、私達の悲しいさが

で記念撮影をして、大急ぎで食道がやけどしそうな速さでカプチーノを飲み干し、ニコレッテを残してホームへ走る。(ここはニコレッテのおごりとなった。)

 ホームへ着くと、案外余裕があり、私達を待っていたのは赤い車体の電車だった。これもさっきのと同じような田舎列車ではあるが、さっきのは青い車体に青い内装。今度は赤い車体に赤い内装で、一応外装と内装がコーディネートされているのね。と思う。今度は各停で、途中の停車駅では窓のすぐ外で茶色い牛達がクローバーを喰んでいたり、さっきよりさらにのどかな雰囲気。と、思っていたら国境の駅では軍服をきた兵隊さんが乗り込んできてパスポートのチェックがあり、陸の地続きのところに国境があることを実感して不思議な気分になる。その後景色はほとんどずっと、後方には雄大な緑の山がそびえて、前方にはそれより淡い緑の草原が広がる...という状態になり、ああこれが本家アルプスか、と、その雄大さに感動すると同時に、何となく日本アルプスが日本アルプスといわれることにも納得する。
 さて、そうこうするうちに、私達が初めて15年前のキャンプの時の友達と再会するロイテの駅が近づいて来た。果たしてクリスチャンとうまく会えるのだろうか・・・。