8月5日(水)メキシコシティーに到着。  8月6日(木)グアダルッペ寺院から『バットマン・リターンズ』まで  

8月7日(金)近場の名所へ。 クィクィルコ遺跡 メキシコ国立自治大学 三文化広場 チョルラのピラミッド

 8月8日(土)ティオティワカンのピラミッド→トゥーラ  8月9日(日)チャルマと山の上のピラミッドと教会へ。  

8月10日(月)ソチミルコ→正餐→メキシコを発つ。   遺跡について                

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 到着ロビーに着いたのは夜11時頃。カルロスはキャンプ当時19歳と、最年少のリーダーだった時と比べると随分おじさんっぽくなったような、あまり変わっていないような感じだ。初めて会う奥さんのグァダルッペは小柄でとてもチャーミングな人。でも、話すとハスキーヴォイスで非常にしっかりした印象を受ける。駐車場に行き、カルロスの車のアメ車、ポンティアックに乗せてもらう。
 ここはカナダよりやはり少し暑く、夜なので暗くてあまりよく判らないとはいえ、人口密度も高そうな感じで、何となく人々の肌の色も大きさも自分と近いような気がして、先程までの違和感はどこへやら、カナダで十分休養を取ったこともあるのか、急速に自分が生き生きしてくるのが感じられた。

 先程も書いたように、夜なのであまりどこを走っているのかは判らないが、それでも何となくちょっとスラムっぽい一角を越えた途端、コロニアルスタイルの歴史の重みを感じられる分、日本のそれの浮き上がった感じとはちょっと違うのであるが、どっしりとした門構えの白亜の豪邸が出現し、その辺の位置関係が昔訪れてショックを受けたフィリピンのマニラと似ているな、と、思ったら、それが目的地であるカルロスのご両親のお家だった。
 日本の古くて大きい建物のそれにも似た、大きな木の門の中にある人だけが出入りできる小さな門の中央にでている縄の結び目を引っ張って音を立てると、中から小錦を超コンパクトにしたような感じのメイドさんが出てきてくれ、車を中に入れる為に大きいほうの門も開けてくれた。中に入ると、周りに鉢植えが置かれた車が6台くらいは余裕で入る石畳のスペースがあり、"「(Lをパタンと向こうに倒した)"の形に一部回廊を持つ家が建っていた。正面にメインの入口があり、そこから入ると、遅い時間だったにも拘わらず、カルロスのご両親と妹さんが迎えてくれた。
私達が今日から泊めてもらう部屋は元々妹さん達の部屋だったらしく、"「"のIの部分に当たり、床にはサーモンピンクとグレー(私の大好きな配色!!)が主体の素晴らしいペルシャ絨毯が敷かれ、木製のちょっと凝った作りの2段ベッドが置かれ、書き物が出来る机もあり、続きにはゲスト用の洗面所とお風呂があり、それがまたタイルが白が主体の中に黄色にグリーンの九谷焼きのような配色のものが効果的にポイントに使われていたり、タイルの貼られ方が何となく凸凹していて味があったり、鏡の枠、洗面ボウル、石鹸入れ、歯ブラシ立てがすべて同じこの辺り独特のものと思われる陶器で統一してあったり、水栓の金具が真鍮製で魚のような形をしていたり、ここのところシンプルモダンや、「きっちり」を見慣れていた目には、何とも新鮮で、その広さに優雅な気分になったと同時に非常にリラックスすることが出来た。
今日はもう遅いからお風呂に入って早く寝れば?明日は好きなだけ寝ていてもいいわよ。ということで、早速お言葉に甘えてシャワーを浴び、眠らせてもらう。こんなにリラックスすることが出来たのはいつ以来だろう?とにかく心地好さと旅の疲れとでぐっすりと眠る。

 8月6日(木)。ほんとうにぐっすりと眠ることが出来たので、朝起きて、10時頃に身支度が出来ると、メインの建物の昨日来た門の方とは反対側にある、青青とした芝生や木々に時折見られる濃いピンクの花場長本当に美しい庭(パティオ)があり、その手前のテラスに朝食が用意してあった。
白いクロスを敷いたテーブルにはガラスのピッチャーに入ったたっぷりのミルク、搾りたてのオレンジジュース、大皿に盛られたデニッシュペストリー、各自に用意されたパンとハム入りのスクランブルエッグ・チリ(唐辛子)ペースト添え、コーヒーが所狭しと並べられていて、白いテラス用の椅子に座っていただく。カルロスのお母様は、もうご自分の朝食は済まされていながらも付き合って、色々とお話しをしてくださる。何にでも"チリ"を添えて、たちまちメキシコ風になるということだった。

 カルロスが8歳の双子の息子、カルロスとオマーを連れて迎えに来てくれる。二人ともとてもキュート。いたずらなようで、しっかりジェントルマンしていたりする。今日はカジュアルな服装ながら、私達と初めて対面するからか、一応髪の毛はちゃんと横分けにして梳かしてあったりした。こちらでは親の名前を継ぐことはよくあることで、ミドル・ネームで区別したりするようだ。この双子の兄弟の場合、兄の方が親の名を継ぎ、カルロスのお父さんはもともとアラブ系の人だそうで、その"アラブ感"を絶やさないため、弟には"オマー"というアラブ系の名前をつけたということだ。そういえば、夕べコーヒーをいただいた時、ルーマニアやギリシャと同じく、ターキッシュコーヒーだったので、あれ?、と思っていたのだが、それはメキシコ一般で一般的なのではなく、カルロスの家ならではなのか、と、思った。
カルロスはメキシコの歴史や伝統、文化にものすごく誇りを持っているので、できるだけ多くのものを見ていって欲しい!と、意気込んでくれている。また、日本にも何度か来たことがあるらしく(連絡してくれたらよかったのに・・)、日本も気に入っているようだ。そういえば、キャンプの時の日本のナショナルデーの際の、私達からすれば「なんじゃこりゃ?」という出来映えの「スキヤキ」ですら気に入っていたようなので、「あれは、全然本当の「すき焼き」ではなく、私達としては不満だった。」と、言ったところ、「例えばメキシコのタコスもアメリカ経由で世界的に知られているものと、本物とは全然違うので、その気持ちはよく判る。今回は、「本物」をできるだけ見せたい。」とのこと。今回の旅全般にそうだが、一応行く土地土地の観光ガイドブックは事前に買ってはいたけれど、観光には特に期待せず、仮にするとしても、地元の人の見せたいものを優先して彼らの言うがままに動こう、と、思っていて、メキシコシティーに関しても「真っ白」な状態で来ているので、カルロスの言うままに動こうと思う。

 今日は近場に行くので、駐車場難を避け、公共交通機関で移動。まずバスに乗るようだ。バス停へと歩く。こちらの路線バスは日本では「中型」程の大きさで、乗り込むときから苦労するくらいぎっしり満員だ。地元の人と一緒でなければとてもじゃないけど乗れない、と、思った。
適当なバス停で降り、そこから歩いてメキシコ観光の第一歩はメキシコで一番の教会(後でガイドブックを見ると、ラテンアメリカ最大の聖地とあった。)であるグァダルッペ寺院に行くらしい。小カルロスとオマーが喉が乾いた!と言ったので、途中、いかにもメキシコ的な(と思うのは私だけか?)スタンドに立ち寄り、彼らはコーラを、まっちゃんはミネラルウオーターを飲む。さらに行くと、何軒か今度は新聞、雑誌を売るスタンドがあり、小さなキオスクの様な店内には一面雑誌だらけ。それでもまだ場所が足りず、さらに衝立のようなものを立て、そこに洗濯バサミでいろいろと雑誌や新聞の類を留めている。で、その一番目につく衝立スペースにはたくさんプロレス(LUCHAS)関係のモノがあり、新聞の中には日本のスポーツ新聞をさらにドぎつくした感じで殺された人のはらわたの写真が一面に出ているものまであり、ゲーって感じだった。それはともかくやはりプロレス(ルチャス)は小カルロスもオマーも大好きだそうだ。
最寄りのバス停で降りたはずが、結構歩かなければならない。歩く途中、すれ違うタクシーは、ほとんど世界中で唯一この国でだけ生産が続けられている、昔の「かぶとむし」、フォルクス・ワーゲンのビートルだった。これもすごい。何といっても2ドアの車なのだから。お客は屈んで乗るんだろうな。きっと。

 遂に、グァダルッペ寺院が見えてきた。見えてきてもまだ建物までの道程は長いので、道々、グァダルッペといえばカルロスの奥さんの名前もグァダルッペで、でも他の国の女の人の名前にはあまりないような気がしたので(例えば、マリアとか、アンナとかはマリー、アン、アンネ、アナとかいうように形は変わりながらも色々な国で見られるのに対して・・。)、何か特別な意味があるのか?と尋ねると、メキシコを救ったという褐色の聖母の名前なのだそうだ。だから私にはちょっと特殊な響きのする名前だけれど(耳慣れないせいで、初めは"ワダルッペ"かと思ったほどだ。)、ここでは大変ポピュラーな女性の名前だそうだ。
 右手の方が1709年に建てられた旧寺院で、左手の方が新寺院だそうで、旧寺院の方は地盤沈下で傾いていた。新寺院はコンクリートで造られたかなりモダンな建物で、個人的にはあまり好きにはなれなかった。裏の石段を登っていくと、さらに教会があり、その石段の側面の端っこがタイルで美しく装飾されているのが印象に残った。
また、後に訪ねた教会にしてもここにしても、メキシコのカトリック教会の一番の特徴といえるのではないかと思うことは、必ず(!)すごい傷を負い、リアルに血を流すキリスト像があることだ。カルロスの説によると、それはカトリックの信仰と土着宗教が密接に結び付いていて、傷ついたキリストはスペインの侵入に耐えるメキシコの民の姿を象徴するのだそうだ。また、聖人の考え方についても、この聖人は勝負の神様。この聖人は恋愛の神様、といった具合で、日本の神社の神様の考え方みたいでとても興味深かった。きっとメキシコの人達はもともと私達日本人が元々そうであったように自然界の全てのものに神を見いだし、八百萬の神を信仰していて、そこにカトリックのキリスト教がやってきて、自分達の理解しやすいように解釈し、教会側もそれを否定すれば浸透しないことからそれを容認する形で独自の形で発展したのではないだろうか。教会内部にはお礼参りコーナー的に、奇跡に感謝する人からの手紙や、その人達の顔写真が貼られる一角もあった。
 ここのある種エスニックっぽいキリストや聖人の像、教会内部の雰囲気は同じカトリックといっても例えばドイツのそれとは全く違ったが、また違った美しさが感じられた。それで、カルロスに「Oh!Beautiful!!」と言っていると、後でまっちゃんに「ドイツの教会も綺麗で、これも綺麗って言うなんて、信じられへん。あっちを綺麗というんやったら、こっちはグロいだけやん。」と言われ、要するにただその場その場で同調しているコウモリのよう。という意味なのだと思うが、私は別に同調しているだけなのではなく、ほんとうにそう思ったのだけど、これってこういう感覚のない人にはきっと判ってもらえないのだろう、と思った。美味しい和菓子も美味しいケーキも好き。とか、美味しい高級料亭の懐石料理も美味しい屋台ラーメンもどちらも美味しいし、比べようがない。というのと同じなのだけど・・。ジャンルは問わず、綺麗なものは綺麗。好きなものは好き。面白いものは面白い。美味しいものは美味しい。と、思うのだけど・・。
また、この寺院では久々にどことなく日本の神社仏閣の周りにあるのと同じノリでお土産物屋もあり、当然のことながら絵葉書は買っていたら、雲行きが怪しくなり、駆け足で退散することとなった。
今度は地下鉄で移動するということで、駅に向かう途中、まだグァダルッペ寺院の敷地内にまた別の美しい煉瓦造りで屋根が青と白のタイル張りでどことなくイスラムのモスクの香りが漂う(メキシコ自体イスラムとは関係ないはずだが、イスラムの影響も受けているはずのスペイン経由のカトリック教会だからこういうことになるのだろうか?)教会もあった。急ぎつつも一応中に入るとやはり血を流すキリスト像があった。

 敷地から出ると、駅までの道程に、今度は黄色いテントがザーッと続くバザールが出現した。「これもメキシコ文化だ!」というカルロスについてサーッと通り抜けつつ観察すると、チリ一杯のタコスや内蔵料理の屋台有り、花屋さん有り、バッグ屋有り、寺院参拝者のためのお土産物屋有り、と、何でもあった。お土産物屋のメインの売り物はキリストやマリア(グァダルッペか?)の絵の額で、大体が立体写真になっていて、角度によってはハートの中央の割れている部分に十字架が刺さっているような記号というか、その絵(sacred heartというらしい。)が浮き出るような仕掛けになっている(そういえば子供の頃見た白雪姫の絵本でお妃が狩人に白雪姫を殺して心臓を入れるように命じた宝箱のような形の箱の蓋の部分にこのマークが描かれていたような・・・。)。メキシコのカトリックでは、このsacred heartというのが重要なポイントなのだそうだ。

 さて、ようやく地下鉄の駅に着いた。今までで見たどの都市よりも派手な看板が上がっている。これなら地下鉄の駅を見落とすことはないと思う。ここの駅の名は"LA VILLA。"どこかから数えて6番目の駅なのか、"6:LA VILLA"という風に表示してある。メキシコでは文盲率が高いらしく、地下鉄の駅には一つ一つシンボルの絵も対応して字の下に表示してあるそうで、この駅の場合、聖グァダルッペ像の絵が(これを見てすぐグァダルッペだと判るというのも凄いな、と思うような絵だが。)表示されていて、他には例えば「コヨーテの場所」という意味を持つ「コーヨアカン」だとコヨーテの絵が。「○○ロザリオ」だとロザリオの絵が、という具合になっているのだそうだ。
地下鉄もバスに負けず劣らず混んでいて、インディオ系の人がとても多かった。と、いうか、メキシコシティー自体、私が予想したより白人(スペイン)系の人が少なく、黒人、東洋人、日本人、も殆ど見かけなかった。インディオ系、というか、インディオがかった人が圧倒的多数という感じ。そしてまた、東洋人が少ないとは書いたが、彼等はとても東洋人に近い感じなので、初めて自分のことを「よそ者」と思わずに済み、居心地がよかった。
車内で、そんなインディオ系の人の一人が私達のことをじっと見ていて何となく気味が悪いと思っていたら、降りる直前くらいに「日本人ですか?」と日本語で話しかけてこられて驚いた。何でも、日本に働きに来ていたことがあるのだそうだ。私達を日本人だと思い、話し掛けてきてくれたくらいだから今でも日本に対して悪い印象は持っていないのだと思うが・・。もう少し早く話し掛けられて、もう少し話したかったような気もした。

 地下鉄を降り、メキシコシティーの中心部まで来たらしい。アメラダ公園を抜け、駆け足で「あれが国立芸術院で、あれが中央郵便局!」と教えられつつ通り過ぎ、これが今はデパートになっている「タイルの家」だと教わる。四角い石造りの、でも、扉や窓枠や柱や屋根の部分にはレリーフで装飾が施されている家の壁面に、びっしりと、手描きの白地(といっても生成りっぽい)に青で素朴な絵が描かれたタイルが貼られている。石のレリーフの内側の青い窓枠もとてもキュートだった。白地に青といってもロイヤルコペンハーゲンや、北ドイツの精緻な面影はなく、ルーマニアで見た感じに近く、とても素朴な感じでありながら、全体はとても上品な感じだった。
さらに歩くと、ものすごい装飾の寺院やまるでアジアの龍のような壁画がある古い教会などを通った。やはり親近感を感じる。

 いくら朝ご飯がリッチだったとはいえ、さすがにお腹がすいてきたので、通りを横に入り、絶対に地元の人しか行かないような、日本で言えば裏通りのうどん・そば屋、といった趣のレストランで、トルタスを食す。味は可もなく不可もなく、全く印象になかった。ただ、上の方のみんなが見られるテレビでオリンピック中継をしていて、マジック・ジョンソンらの所謂アメリカのドリームチームとやらバスケット・ボールをしていた。そういえば、スウェーデンで開会式を見て以来、ドイツでもカナダでもオリンピックのオの字もでなかったので、まだオリンピックをやっているということをすっかり忘れていた。私はテレビでスポーツを見るのが好きな人間なので、昔はオリンピックといえば、ほとんどやっている全部の種目を見られる限り熱中してみていたのだが、今年はそれどころではない、というのも勿論だけど、何かそれだけではなく、昔のように熱中できないほかの理由があるような気がした。単に大人になって他にやることがある、という問題でなく・・・。

 次は、ソカロとテンプル・マヨールに行く、と聞かされ、ソカロに向かう途中、ものすごい大雨になった。そこで、雨宿りの変わりにマデロ通り沿いのオフィスビルの一階でたまたまやっていたメキシコの民族衣装の展覧会を見ることにした。無料だったにも拘わらず、展示の仕方などとても凝っていて、お洒落で素晴らしい展覧会だった。メキシコの民族(の衣装とその技法)の多様さに改めて驚かされた。
 例えば、マネキンは一体一体その部族の特徴を持った異なったものになっていて、それぞれがその部族独特の衣装をまとうようにしてあったし、その布地がどうして出来るかを示すため、いくつか独特の織機の「織りかけ」の様子を見せるコーナーもあった。資料コーナーでは図と説明でメキシコ全体の民族衣装を一覧できるものもあり、それで見ると、'77のキャンプでとても人気のあったメキシコの女の子達が着ていた、まるでウエディングドレスのように白いコットンのレースでスカートが何段にもなったワンピースは"Jarocha deVeracruz"という様式のものだということが判った。ナショナルデーの時、男の子は白の上下にソンブレロを被り、サッシュベルトをし、白のロングワンピースの女の子とペアになり、"チャラッチャラッチャラッ、チャラララランララン。チャラッチャラッチャラッ、チャラララランララン。"という音楽に乗って踊りながら女の子が腰に巻いていたサテンのリボンをほどいて床に置き、二人で足で蝶結びにする、というダンスはみんなの称賛の的だった。リーダーのカルロスは闘牛士のような派手な正装、派手なソンブレロを被り、そのダンスの後、スイカ割りのように、目隠しをした子供が棒で叩き割る趣向の、お菓子の一杯詰まった小馬の張り子人形を引き上げる役目をしていた・・・ということが即座に脳裏に浮かぶのだった。そのメキシコの女の子達の衣装は"チェンジ"の格好の標的だったが、結局同じく一番人気だったアライグマのしっぽの付いた毛皮の帽子付きのカナダチームの衣装と交換されたのだったと思う。ただし、人気を二分していたにも拘わらず、本来移民の国で、特別な民族衣装などあるわけない(ということも今回初めて気付いたのだが・・)カナダのステファニーは、子供会議の議長をしてたことを忘れていたのに続いて、「ところで、私達って何着てたっけ?」と、私に聞く始末。キャンプ以来カナダの民族衣装はアライグマの帽子にちょっとルパシカ風の狩人スタイル。と、インプットされていた私には結構ショックだった。そういえば、私達が浴衣と交換したイギリスの子達(そこそこ仲が良かったので、人気のない衣装ながら、仕方なく変えたのだが・・・。)は紙製の赤白青の花付きのカンカン帽に袖にユニオンジャックのプリントの入った白の半袖Tシャツに白の膝丈のフレアースカート。白のハイソックスに白地に赤と青のストライプのゴム製の鈴の付いたゲートル(?)に同色のステッキ、という出で立ちだったのだが、グレート・ブリテンとしての民族衣装はないので仕方なくそれになったものと思われるが、彼等の出身地であるリーズのあるイングランドの民族衣装っていうのはどんなものなのだろう?

 話が逸れてしまったが、雨のため、思わぬ展覧会を見ることが出来、ラッキーだった。雨が一向に止まないので、一旦家に戻り、夜、再び双子とカルロスと共に、『バットマン・リターンズ』を見に出かける。こちらではまだ映画を劇場で見ることは根強く人気があるみたいで、すごく沢山の人達が並んでいて、怖じ気付く。映画は英語版のスペイン語字幕。多分スペイン語吹き替え(ハリウッド・スターがスペイン語でまくしたてているのも凄そうだが・・。)の英語字幕の方がよく判るだろう・・と、いう、カナダと同じく、「所詮、私のネーティブ英語力はこの程度・・。」ということがよく判った。それにしても、客席の盛り上がりっぷりが、すごくラテンしているのに驚き、さらに、突然、昔の『風と共に去りぬ』くらいの大作のように、唐突に「Intermission」が入って盛り上がりに水を差されるのにびっくりし、みんなはそれが当たり前のように何も気にしていないのにまたびっくりした。
 と、言うわけで、映画はまあまあ楽しかった、に留まったが、「メキシコで映画を見た。」という体験には満足した。
その後、その近くの遅くまで開いている丁度北欧のズブラギの店みたいにファーストフード的にトルティーヤに羊肉(?)が層になって突き刺されて回転して焼かれているのをナイフで削いで入れて野菜と一緒に巻いて食べるタコスを食べて、美味しかった。カルロスによると、こちらではそんな不味いものは食べない、ということだが、ほんとにこちらでは、日本のスーパーでまで売られている、乾燥したパリパリのトルティーヤは全然見かけない。強いて言えばチップスくらいだろうか・・。とにかく焼きたてのトルティーヤは柔らかく、とても美味しいのだった。
とても密度の濃い、ちょっとハードな一日はこれで終わった・・・・・。

 8月7日(金)。 今日はとてもいい天気。朝、ご飯を食べにパティオへ行くと、ここで放し飼いされている土佐犬とボクサーとドーベルマンの間のような黒い犬が2匹私達を出迎えてくれた。私達は客人ということが判っているので、危害は加えないようだが、飛び付いてこられると凄い力で、あまり嬉しいものではない。昔ライオン狩りに使われていた種類らしく、番犬には最適だとは思うが・・。
 昨日オプションで置かれていたチリを取り、辛い物好きなことがバレた私達に出されたのは、朝からいきなりチリの入ったトルティーヤとトロピカル・フルーツ・カクテルだった。でも、目覚めには最高だと思う。トルティーヤはナフキンに包まれ、民芸調の籠に入っているのだが、その籠が、日本の井草で編まれた籠とそっくりで、また驚く。例によって、朝から元気に白いワンピースに白いエプロンの制服できびきび働くオリバーが付き添って世話を焼いてくれる。

 カルロスが迎えに来てくれる。今日は、近場の遺跡・名所巡りをするということだった。
 まずはクィクィルコ遺跡に行くらしい。そもそも私はメキシコの観光名所や歴史、遺跡に関してあまりにも予習不足でこの地に来てしまい、「どこに行きたい?」「どこでも。」の状態で、メキシコにピラミッドがあるということすら知らなかったという有様だった。ピラミッドと言えばエジプトで、インカ、マヤやアステカの遺跡というと、もっと南のペルーやチリに行かなければ見られない(ということ自体ただの思い込みなのかも知れないが・・)、だから、メキシコにそんなに色々ピラミッドのある遺跡があるとは全く期待していなかったのだが、カルロスによるとメキシコにはものすごい数のそれがあるらしく、まず今日は手始めにここなのだそうだ。
 「え、こんなところにピラミッドが?」というくらいの町中にこの遺跡はあった。まず、アロエのお化けのような植物が目に入り、ひょっとして?と、思い、聞いてみたらピンポン!だったのが、それこそがテキーラの原料、龍舌蘭とのことだった。そういえば、カルロスのお父さんのお宅には素敵なホームバーまであるのに、カルロスは、全くお酒を飲まないため、ここまで日本のお酒通の知人に「メキシコに行くなら絶対プルケを飲んで来て!」と言われているこの龍舌蘭から取れる醸造酒・プルケは勿論のこと、日本で私の大のお気に入りの、それもその人の店で教えてもらったテキーラ「オルメカ・アネホ」を初めとするテキーラも全く口にしていない。お酒も大切な文化だと思うのですが・・・。カルロスさん・・。あなたが飲まれないのは判るのですが・・・。私の友人には何人も全く飲めないながらお酒の席には付き合ってくれる人達もたくさんいるのですが・・・。
 遺跡に話しを戻すと、ここのピラミッドは所謂私達がピラミッドといわれてすぐに想像するあのエジプトの砂漠にそびえ立つ巨大な四角錐ではなく、石で積み上げられた途中までの四角錐というようなもので、その手前からそのもの自体にも草が生えていて、正直言って、「えっ?これもピラミッドって言っていいの?」と思ってしまうような代物だった。意味合いも、エジプトのそれのように"王の墓"ではなく、宗教的な催しの際の司祭が立つ台の役割をしていたということだ。だから、これとも意味合いは違うのだけれども、見た目の雰囲気はピラミッドというより日本の天皇陵に近いような気がする。特に私が住んでいる辺りにはそこここに天皇陵があり、その町中に忽然と現れる辺りも似ているような気がした。
敷地内には小さな博物館があり、小学生くらいの子供達が課外授業的に見学しに来ていた。現場で習うと興味深いだろうな、と思う。そういえばうちの近くの天皇陵は小学校の体育の授業のマラソンコースにはなっているが、特にそういう資料館があり、そこに眠っている人のことを実地に学んだ、というようなことはないな・・。この人の場合、時代が近いだけに知っていて当然、という思いがあるのかも知れないが、他にこの人はどういう時代にどういう事をした人かが全く判らない(すみません)人のところにも何の説明もない。そもそも神聖なる天皇のご寝所にそういうものを設けるという発想がないのかも知れないが・・。私がそこで眠っている天皇だったら玉砂利の周りをぐるぐる走って回られるより、自分の業績を勉強してもらった方がよっぽど嬉しいと思うのだけれど・・・。
 その小さな博物館で私の目を引いたのは何といっても、この遺跡から出土された土偶である。私達が歴史の教科書で見慣れたものと全く同じ顔をしているのである。メキシコに来て以来、所謂東洋人は見かけなくても違和感を感じなかったのはこの為だったのか、と、思う。カルロスに話したところ、アジアとアメリカ大陸は昔は陸つづきでそれが分かたれたと考えられるので、当然、とのことだった。

 近場の比較的小さな遺跡はそのくらいにして、次にカルロスの母校であるメキシコ国立自治大学へ行く。カルロスが、「ここに無いものは何もない。」と、言うだけあって、また、「大学都市」と言うだけあって、車で行けども行けども構内が続いているという感じ。世界題2位の規模で、学生数が4(40と聞いたような気もするが、それは有り得ないだろう・・)万人だそうだ。カルロスの話しによると、ここは国立なので、入学金や授業料が1ドルくらいだったとのこと。今でもあまりそれは変わっていないはず、とのこと。本当だとしたら凄い話だと思う。
 美しい壁画が描かれた建物や、面白い場所があるから見せたい、ということで来たのだが、まず、目についたのが、中央図書館の壁画で、サボテンの上に鷲が止まった所からの、メキシコ誕生の絵物語となっているということで、ペルシアンブルー、赤茶色、黄土色、白、グレーでそれが2階以上の建物の壁一杯に、びっしりとモザイクで描かれていた。作者はオゴールマンという人らしい。また、別の建物のモザイク壁画には、大きなヘビ、トウモロコシ、人の顔、掌、炎等々メキシコの民俗史に関係ありそうなものが、少し抽象化されて描かれていた。そして、それらの建物の移動中に見た掲示板の「キーロフ・バレエ」のポスターが気になった。ほんとうに世界中を公演して回っているのだ。構内から一旦外へ出て、別の敷地へ向かう。出口近くに、天にそびえる木に鍛鉄で目鼻を付けたような巨大なオブジェが男と女的に2基あり、カルロス曰く"ダリ"の作品だそうだ。
 もう一つの敷地へ向かう間に、オリンピック・スタジアムが見えた。ここにも大壁画がある。そういえばメキシコオリンピックというのは東京の次だったっけ・・、と、思っていると、カルロスのお父さんは元陸上選手で、メキシコオリンピックのディレクター(の一人?)で、お母さんも陸上の元オリンピック選手だったらしい。へえ〜。と、びっくりする。それであんなによいお家に住んでいるのか・・。そして、今でもお父さんがスーツにネクタイをして何か名誉職的な動きをされているのはそのせいだったのか・・と、納得する。元にしてもオリンピックレベルの陸上選手に会ったのは初めてのことだ。それにしても、オリンピックの最中なのに、オリンピック中継は全然見ていないなあ・・。
 などと、考えているうちに、別の敷地に到着。何の目的の建物なのか聞くのを忘れたが、巨大な元々自然の火山の火口の周りをこれまた大きなコンクリートの三角柱を横に寝かしたものがぐるっと取り囲み、その周りがさらにメキシコの伝統柄が彫り込まれたコンクリートのタイルで舗装され、さらにその周りに色々な抽象彫刻が建てられている、という不思議な空間だった。ここも、到着したときは入口が閉まっていたのだが、開門と同時に小学校から見学しに来たという感じの子供達が一目散に中に入っていき、思い思いに火口内を走り回っていた。先の博物館といい、小学生のフィールドワークが盛んなように感じた。死火山の火口を公園のようにしてある訳だが、何故これが「離れ」とはいえ大学の敷地内にあるのかなどは判らないうちに次の目的地へ移動する。

 次の目的地は、カルロスの奥さんのグァダルッペの実家だ。大学都市の裏手にある割合新興の部類に入る高級住宅街に位置しているだけあって、広いガレージがあり、石垣が塀になり、四角くて白い2階建ての広い建物で、日本のそういうお屋敷町で見るタイプの豪邸だった。カルロスは、ここまで来たのに寄らないのも何だから、という感じで寄るだけだったので、私達は車のところで待っていた。

 これから、三男のハビエルとメイドさんを拾う為に、カルロスの家へ行く。カルロスの家は、フラットだったが、結構広々としていて、親子5人にメイドさんが余裕で暮らせる感じだが、お父さんの豪邸と比べれば普通の新しいフラットという感じだった。ここにしても、子供の世代が親の世代の暮らしぶりを抜く、若しくは維持するのはなかなか困難になって来ているのだろうか・・。
 初めて見るハビエルが登場。丁度一歳半くらいということだが、お兄さんの双子達が黒髪で浅黒い顔なのに対して、栗毛色をまだ明るくしたような髪で、とても色白で全然違う雰囲気だった。キュッとふわふわの違いという感じ。年の差と、その雰囲気の差で、カルロスはハビエルを一番可愛がっているようだった。私個人としてはキュッの二人の方が好みだが・・・。ともあれ、ハビエルとメイドさんを乗せ、これからサマースクールに参加しているカルロスとオマーを迎えに行く。

 途中、カルロスが銀行に寄ったので、その間私達はその辺をうろうろする。その際、駐車場で古い型の日産パルサーを発見。そして、その車には「パルサー」と書いてある変わりに「TSURU II」とかいてあるではないか。以前から双子君達は私達を見る度に「ツル ウノ!、ツル ドス!、ヒカリ!イチバン!」と言うので、「何だろう?これらが彼等の知っている日本語のボキャブラリーという事かな?」と、思っていたのだけれど、これでその謎が解けた。要するに彼等の知っている日本車の名前だったのだ。ここでは何かの理由でホンダ車(やトヨタ車?)は禁止されているらしく、日本車と言えば日産を指すようで、サニ-がツルI、パルサーがツルII、イチバンが何かのバン、ヒカリがRZ1を指すようだった。
あと、床屋さんのウインドウに飾ってあった、ヘアカタログの写真が面白かった。床屋なので左側は男の人用の6パターンの写真(さすがにパンチパーマ、アイパーなどはなかった。(あれって日本独自のものなのだろうか?)。右側に9枚の子供用の写真があり、うち4枚は女の子用で、床屋とはいえ、美容院さながらのふんわりパーマまであった。さすがラテンの国か?
 その後すぐに子供達のサマースクールの場所へ。夏休み中、カルロスとオマーはテッコンドーや水泳を習っているらしいが、この日は青々とした芝生の上でサッカーに興じていた。きっとみんな裕福で教育熱心なお家の人の子供達なのだろう。あと少しで終わるところのようで、通路になっている石畳のところで見ていると、ブルテリアのような、毛がないくらい短くて白っぽい犬がこちらに来たので撫でてやっていたら、そこで寝てしまった。暫くして子供達のプログラムが終わり、人の往来が増え、みんなそこを通るようになったので、踏まれないようにと起こしてみたが、全然起きず、カルロスもオマーもやってきたので気になりつつも、その場に置いて車に向かうことにした。

 子供達と共に、お昼ご飯をいただくため、カルロスのお父さんの家に帰る。昼食の準備が終わるまでの間、双子と共に、家の中を探検し、ホーム・バーのコーナーの上にあるテレビで暫しオリンピックを見る。その後、「できましたよ〜。」ということになり、今日は仕事場からお昼ご飯に帰ってこられたカルロスのお父さんも一緒に、大きな門をくぐり石畳の横にある石造りのステージ状のスペースにあるテーブルで昼餐をいただく。今日のメニューは、ソースには17種類以上のスパイス(その中には何とチョコレートも!!)が入っているという鶏肉の煮込み"Mole Poblano"とトルティーヤ。スープ代わりのトマト風味の野菜入り炊き込みご飯だ。とっても美味しかった!!!
その後、先ほど、スタジアムを通ったときに聞いた、ご両親が陸上の選手だった頃の写真等、家族の大切な写真がそちらに飾ってあると聞いたので、そのステージから門に向かって続いている離れの部分を見せてもらう。すると、そこにはお父さんとお母さんの結婚式の写真。お父さんとお母さんの現役時代の写真。カルロスとグァダルッペの結婚式の写真。その兄弟の結婚式の写真などなどが美しく額に入れて飾られてあった。みんな美しいが、何と言っても美しかったのは、お母さんの結婚写真と陸上選手時代の写真。今でも美しい方だが、往年のエリザベス・テーラーの様で、女優が陸上選手の役をやっているのでは?というくらい、ほんとうに美しかった。
さらに、今までは通過するだけだったのだが、敷地内の外の門の手前に並んだ部分に、カルロスが一年前から始めたお店があり、そこを少し見せてもらうことにする。メキシコの民芸品の他に、車の模型。ロックのCDなど、完全にカルロスの趣味に走った品揃えだった。が、ある意味で私のラ・ネージュのコンセプト(ノンジャンルだが全て私の選択による・・という)に似ていて驚いた。

 さて、これから子供達は置いて、再び車に乗り込み、名所巡りへ。独立記念塔を通過し、共和国広場の革命記念碑を見て、三文化広場へ。三文化というのは、一箇所でアステカの遺跡、17世紀の占領時代のスペインの教会、今世紀の高層建築が一箇所で見られるということからきているらしい。
アステカのものとしては、このあいだクィクィルコ遺跡で初めて見たのと似たような石が何かで固めてあるステージ状の遺跡があり、一部は"日"を利用した当時のカレンダーになっていたようで、こちらの干支のように色々な動物が内周に彫られていた。
 そして、その遺跡を中央に見ると、左奥に教会があり、右手に現代の高層ビル建築であるメキシコ外務省があり、それらが一望できる。
 教会の壁はこちらのやり方にしたがったからなのか、あまり手前のアステカの遺跡と変わらない感じの石がセメント(?)で固められたような造りで、窓は天然のオニキス(と、聞いたが、色からするとラピス・ラズリか?)が貼り合わされて出来ていて、中に入るとそこから入ってくる光がブルーで綺麗だった。
 外務省のビルの方は白い壁にモザイクで縦に黒いストライプが入っている特に特徴のない建物だった。カルロスは以前ここで働いていたらしい。この後、近くまで来たのと私達のために休みをとってくれていてその間に何か重要な案件が無いかどうか知るために、今のカルロスの職場にちらっと寄る。それは、私に返事をくれた時に封筒からしてもどうもメキシコの農務省のようだった。また、カルロスはそういう正規の仕事の他に先ほどの店を持つだけでなく、さらに趣味を生かしてカーレース関係の解説やロックをかけるラジオ番組のDJまでやっているようだ。あんまり突っ込んで聞けなかったので、こちらのエリート(カルロスはきっとそれだと思うが・・)の事情をよく判らなりに総合、推測すると、こちらでは、真のゼネラリストを養成するため、ある種のエリートは一つの役所で勤めあげるのではなく、色々な省庁を周り、私的に他の活動をすることも許されている、ということなのだろうか?これが正しいのかどうかは判らないが、スペシャリストのほかに、こういう全体を見られる人がいるというのはいいことだと思う。

 すこし日も低くなってきたが、さらにメキシコシティーから東へ行き、チョルラのピラミッドへと向かう。着いたら丁度門が閉まる時間だったのだが、カルロスが「わざわざ日本から来たのだから。」と交渉してくれた門番の人がたまたま日本にも来たことがある親日派のおじいさんだったようで、いきなり「ありがとう。」などと話しかけられ、「10分なら。」ということで入れてもらえる。
 中に入ると石を積み上げた造りは同じで、今までに見たものの中では最も高く、普通に想像する四角錐のピラミッドの 3分の2くらいはあるか(体積というよりあと3分の1ほど積み上げれば四角錐になる、という意味で。)というピラミッドがあった。今まで見たものの中では一番立派で、もしくは保存状態がいいせいで、底辺には同じ石で造られたピラミッドの守護神である蛇が沢山、外の方を向いて「アー」と口を開けて威嚇していた。また、一段低くなり、堀のようになっている部分にはとぐろを巻いているものもいた。その当時どう見えたかは知らないが、今の私から見ると、それらは可愛らしく、ユーモラスでさえあった。
 空にはうっすら月も見えてきて、10分の間に予期せぬ月とピラミッドが同時に見られてラッキー、大満足。と、思っていたら、確かにこの相当な高さのピラミッドも役割としては祭祀用のステージだったらしく、側面の一部は確かに細かい石段状にはなっているのだが、カルロスは余程のピラミッドマニアなのか、これから登ろう!と言い出し、登り始めてしまったので、私達も登らざるを得なくなってしまった。頂上から向こうの山の方を見れば、メキシコは1パーセントのお金持ちと99パーセントの貧しい人で成っている、と聞くが、その99パーセントの人達の住居とおぼしき家々が山の中にびっしりあるのが見えた。
 そこへ若い方の門番のおじさんが今度こそ閉めるため犬を連れてやってきたので、お礼を言って、ここを後にする。

 そこからはさすがに家路につくのかと思ったら、「来たからにはとことん!」のカルロスはさらに違ったタイプのピラミッドへ連れて行くという。目標はここからほど近い古い教会の裏にあるようで、金曜の夕方で、何かのミサが開かれるらしく、地元の人が続々と集まっていっていた。
 目指すピラミッドは門が閉まっていて、正直言ってこの手のピラミッドに「も〜ええって。」状態の私達はほっとするが、カルロスはむりやり袖の下攻撃で門番を攻略し(そこまでしなくても・・・。)、再び開けてもらい、中に入る。
そこは、まず、四角錐の底状の石を積んだ土台があり、その上から石段が始まり、石段の幅がだんだん狭まって上まで続き、頂きにほこら状の建物があるタイプの小さなピラミッドだった。ちょうど家の近くの御陵の石段を上がって円墳がある感じに似ていた。さすがに時間が時間でミサのために近所の人も沢山集まってきていることもあり、ここでは入口から見て、望遠レンズでフラッシュをたかずに撮影するだけにとどまった。

 かくして、朝から始まった今日のピラミッド見学はこれで終わった。家に帰るまでの道で家の壁が白と緑というこの辺りの典型的な色に塗り分けられているのを見たら何故かほっとした。
さすがにビール禁断症状のまっちゃんのたっての希望で途中で酒屋に寄り、ビールを買い込み、私はプルケとオルメカ・アネホを探すが、プルケは瓶詰されて売られているようなものではないらしく、オルメカはどうも輸出用のものらしく、影も形もなかった。折角ここまで来たのだから、何か珍しいテキーラでも・・とも思ったのだが、日本でもお馴染みのマリアッチなど透明のものばかりで、私の好きなダークタイプ(多分それがアネホ)のものはなかったのでやめておいた。また、一人で飲むのに今から一瓶買うのもあんまりだし・・・。

 くたくたになって帰宅後、台所でチョリソ-入りトルティーヤをカルロスの妹さんとお父さんと一緒に軽く食べて、ピラミッド見学に始まり、ピラミッド見学に終わった一日が終わった。私達がこうなので、ずっと運転して案内してくれたカルロスはもっとお疲れなことでしょう。ふう。

 8月8日(土)。今日は休みの日な為、カルロスのお父さんもご在宅で、早くからカルロスの家族もメイドさんも含めて全員こちらにやってきて、昨日の玄関側の石のテラスで朝食を取るとのこと。そちらに行ってみたが、テーブルセッティングはしてあるものの、何も食べるものがないので不審に思っていたら、オリバーが近くまで出来たての「タマリス」を買いに行っていて、暫くすると、湯気のたったそれを沢山持って帰ってきた。中身がグリーンと赤のミンチ入りの2種類があって(ハラペーニョとチリの違いか?)、トウモロコシの粉が原料で、バナナの皮に包んで蒸してあるらしく、ほとんど中華の粽のようで、とてもおいしかった。ほんとうに、メキシコの食は合っている、と思う。

 今日は、カルロスの家族全員(カルロス、グァダルッペ、カルロス、オマー、ハビエル、メイドさん)と、ティオティワカンとトゥーラの遺跡に行くらしい。出来るだけ早く出発したほうがいいということで、朝食を済ますとすぐに車に乗り込む。
メキシコシティーの郊外まで車を走らせると、それほど遠くないところにティオティワカン遺跡はあった。車を置き、博物館、土産物屋が並ぶ建物群を通り抜け、いざ、遺跡のある場所へ行くと、まず、その広さに圧倒された。こんな大都会からそれ程遠くないところにこんなものがあるなんて・・。見えるところ一面が遺跡なのだ。
まずは、太陽のピラミッドへ向かう。やはり、ここも祭礼用の台だったらしく、尖ってはいない。が、ここのは巨大なので高さが相当ある。そして、今までのピラミッドと同じく、真ん中は細かい石段状になっているが、その両横はもっと大きな階段になっていて、地面と垂直になった面には守護神である羽飾りのついた蛇の頭(例によって、口を開けて「ガー」といっている。)がもうひとつの四角い魔除けの顔(?)と交互に沢山くっついていた。ところによっては、お供えの意味もあるのか、当時のこの地方の人にとっての重要な食べ物である、トウモロコシや、貝や魚なども彫り込まれていた。
カルロスと一緒なのと、他の大勢の観光客の人もそうしていたので、きっと登るのだろう・・と、思っていたら、やはり登ることに。全員(ハビエルはカルロスやグァダルッペやメイドさんに抱っこや肩車されながら。カルロスとオマーは歩いて。)で登り切った。スカートにツッカケ履きのメイドさんは特に大変で気の毒だった。頂上から下を見下ろすと、当時の住居跡のような遺跡が見えた。
 少し休むと今度は石段を降り(これがまた上りより怖く、特にメイドさんには気の毒なのだった。)、月のピラミッドを目指し、どんどん歩く。途中ちょっと窪んだところに他よりずうっと草や木が茂って続くところがあったが、それはカルロスによると昔の水路の跡だということだ。紀元前200〜150頃に現れて、紀元200〜500頃に最も栄えた都市ということだが、その頃の人の知恵と技術力にただただ驚嘆するばかりだった。
 ずうっと先にある月のピラミッドに行くまでに、ピラミッドとは言えないまでもいくつも石段で出来た高台はあり、その全てに登る羽目に・・。始めパーカーを着ていたのに、自然と脱いでいた。ここのピラミッドや高台の底部は色々な色の大きな石と石の間のつなぎの部分に黒い小石が多数埋め込まれているというパターンだった。
これまでここメキシコで日本人と会わなかった私達だったが、ここではさすがに何人か日本人観光客も見かけた。中にはヒールで来ている人もいて、気の毒だった。まさかこんな規模のところだとは思っていなかったのだろう。
行けども行けどもどこかを起点として対角線状にあるはずの月のピラミッドに見えてはいるのに着かない。それにしても、行くまでに見えた全てのものに登ることになるとは思ってもいなかった。
 さらに月のピラミッドに近づき、怪しげな帽子にヒゲの土産物屋の数も俄然増えてきて、「安いよ!全部で一万円!」なんて("それのどこが安いんじゃ!"と言いたくなるけどもう言う気力がない・・)いいながら近づいてくるのを振り切りながら、遂に月のピラミッドへ到着。下から全体を見ると、石段の入り方が顔のようになっている。
さすがにもう登らないだろう、と、思っていたのに、また登ることになり青ざめる。明日は筋肉痛間違いない。それにしても、子供を含めてみんなタフだ。登り切って、下を見下ろすと、先程の太陽のピラミッドから見えたのとは少し違い(一体どういう位置関係になっているのか?)、この遺跡群がほんとうに対称的にデザインされていることがわかる。先程の水路もそうだったが、一体どういう人がどういう方法でグランドデザインをしたのかがとても興味深い。地面を歩いているだけでは全くどうなっているかが見えてこないのに・・・。
 そこから降りる途中、ツアーに一人で参加していて、この後さらに一人で遺跡巡りを予定しているが、言葉も通じないし、不安、と言っていた日本人の美大生に話しかけられ、こちらもタフなメキシコ人とこれでもか!とピラミッドの上り下りを繰り返していただけに、何だかちょっと和んだりした。彼も一見したところ現地人と区別がつかないようになっていたし、きっとこれから先も大丈夫だろうと思いつつ別れ、こちらももう一頑張りと、石段を降り続けた。
これで一応ティオティワカンの遺跡登りは「上がり」ということにしてもらえるらしく、帰る方向、つまり、もと来た方向をひたすら歩き、来る時には通り過ぎたケツァルパパロトルの宮殿を見ることに。ショートパンツにTシャツという出で立ちでどこにいても判る(日本は無意識のうちにアメリカの衛星都市化しているので(ということに気付いた。)、夏場に旅に出かける時はTシャツに短パンにバックパックというのが定着しているが、それは世界的に見るとアメリカ(及びカナダ)人独特の出で立ちだということが判った。)アメリカ人観光客がツアーで沢山来ていた。ここでは石を積み上げて石柱が何本も立っていたが、そこにも羽飾りの蛇(それがまた絵本でよく見たインディアンの酋長の格好とそっくりなのには何か意味があるのだろうか・・)を始めとする色々な特徴的な模様が浮き彫りにされていた。そして、それらの石柱の上には木で組まれた天井がが載っていて、その石と木の組み合わせが興味深かった。
 最後に土産物屋でアクセサリーや葉書などをちょこっと買って、下手なフィールドアスレチック以上だったティオティワカン見学が終了。
 最後の最後に出口のところで、途中で実際に出来ているところを見て、「ツナ」はここでは鮪ではなくってこれのこと、と、教えてもらって以来機会があれば食べたい食べたい!と、思っていたサボテンの実の部分を袋にいれて売っている人がいたので買い、車へと向かう。
 ここまで飲まず食わずで来たので、出口の売店で買い、駐車場で飲んだスプライトがえらくおいしかった。これから一体お昼は何を食べるのか?と思っていたら、実はグァダルッペがハムのサンドウィッチを用意してくれていて、それを頂き、先程のツナを食べた。ツナは中に種がいっぱいあるので食べにくいが、ジューシーで甘くてさっぱりしていて、とてもおいしかった。種の感じからいうと、あけびをもう少しシャリシャリさせたような感じだった。

 いざ、次の目的地、トゥーラへ向かう。それからかなり長いこと車を走らせ、トゥーラに着いた時にはまた閉門時間があと30分かそこらに迫っていて、急がねばならなくなった。
 ここには「ジャイアンツ」がいる。と、言われてきたのだが、入ってすぐのところは向こうの方に丘が見える草の放牧場のようになっていて、かわいい山羊やロバが何頭かいたり、その後しばらくは高山植物園のように石の間から鮮やかな黄色や白や赤の花が顔を覗かせたり、ムーミンに出てくるニョロニョロのようなサボテン群が見慣れたピラミッドとまではいかない石造りの基礎の上に生えていたりするばかりだったので、いったい何がジャイアンツなのかさっぱり判らなかった。
 が、さらに行き、この場所の中心と思われるところまで来ると、例のピラミッドの上に、見慣れない石柱のようなものが何本も立っているものが見えると、その石柱のようなものこそが「ジャイアンツ」だという。さらに近づき、上に登ってみると、それらはまぎれもなくジャイアンツ=巨人像だった。かれらは戦士で、もともとは神殿の屋根を支えていたのだそうだ。先程の遺跡の羽飾りを付けた蛇がインディアンの酋長の装束に似ていると書いたが、この巨人の戦士達を見ると、大きさはともかく、往時の戦士達はこういう出で立ちをしていたのだろうと思われる。右手のすぐ下、右腿の付け根辺りには武器を携えているようだ。初めに見た遺跡の土偶から民族のルーツが近いということも判っただけに、彼等の顔つきにも親近感を覚えるのだった。今日はほんとうに天気がよかったこともあり、青い空に向けてそびえ立つ巨人達の姿は力強く、頼り甲斐のあるものだった。
 巨人像のあるところから来た方向と反対側を見下ろすと、かつての神殿の柱の跡が広がり、さらにその前の一段(といっても数メートル)下がった草地になっているところにはかつての球技場跡が広がり、全体としていかに壮大なものだったかが判る。 ここの一部の石造りの壁のレリーフは、人間の頭を食べる蛇、(羽飾りの蛇とは別の)守り神的なもの、コヨーテ、ジャガーなどがモチーフになっていた。
 来たのが閉門時間間近ということや、ティオティワカンと比べるとアクセスに難があるからか、こちらの方が観光客が少なく、急がねばならなかったとはいえ、落ち着いて見て回ることが出来たのと、お天気と巨人とのコントラストが抜群だったのと、何よりも巨人達が静かに発する「気」のようなものからか、ここが今まで来た数多くの遺跡の中で、私の一番のお気に入りの場所となった。

 そんな訳で、昨日に引き続きかなりハードだったとはいえ、非常に満足の行く遺跡ツアーを終え、お父さんの家に帰り、今夜はメキシコの夜もあと二晩となってしまったこともあり、子供は預けてカルロス、グァダルッペ夫妻と夜の彼等の地元コーヨアカンへ繰り出す。
 町の中で銀行を通りかかった際、ガラス越しではあるが、何やらマホガニー調の家具が置かれてある様子が見え、日本の実用一本やりとは無縁の上客を大切にする的な雰囲気に違いを感じた。
さらに歩くと金曜の夜なのにも拘わらず、通りかかって足を踏み入れた教会で結婚式に遭遇。祭壇の近くに白いグラジオラスがいっぱいに飾られ、新しいカップルにもこれから幸せになるぞ!という決意が感じられた。
今日は私達が案内するからにはこういうところにも行かなくては!ということで、大勢の人達でごった返す、地元の人達に大人気の屋台村で数ある屋台の中の一軒を選び(というか、選んでもらい)、ちょっと「エイヤ!」で、豚足トルティーヤとゆでトウモロコシというここの人気メニューをいただく。カルロス達が勧めるだけあり、とてもおいしかった。それでお腹が一杯になってしまい、お爺さんが売っていたプリンを食べられず、未だに残念だ。とてもおいしそうだったのに・・・・。

 それからまたお父さんのところまで送ってもらい、また明日、ということで別れる。ずうっと付き合ってもらい、ほんとうに有り難い。自分達だけで来ていたとしたら出来ない体験ばかりだ。

 今日は結婚式を見たこともあり、ちらっとマリウスとほんとうに結婚しようと思っている、というようなことをまっちゃんに話してみるが、「叔父さんはどうするの?」と、私としては結婚しようと思う前の一瞬に考えて、それでも突き進もうと決めた、かつての会社の面接の時の東京転勤をするつもりがあると言った時の「お母さんはどうするの?」発言のようなことを聞かれ、わがままだと結論づけられてしまった、というか、本気じゃないに決まってたからそのことには触れないのか、と、思っていたのに、本気だったのか的に呆れられてしまった。私は人に言われるままのことをして、もしくは止められてやらなくて、後悔したとしても、その人が責任をとってくれるわけではないし、ましてや人を恨んで生きていくのは嫌だし、人も恨まれることを望んでいるとは思わないし、本当に「為」を思ってくれているのなら、その人が幸せであることが一番だと思うはずなので、自分で責任を取れる範囲のことは「やってみる」べきだ、と思っているのだが・・・。実行できるまではもうあまり話さないでおこうと思う。時に人が親切心から言ってくれることは刃にもなりかねず、また、それが親切心から出ているだけに止め難いからだ。

 8月9日(日)。今日は観光客にはあまり知られていないが、地元の巡礼のメッカであるチャルマという少し遠いところへ行き、その後、今までとは違うタイプのピラミッドがある場所へ行き、ソチミルコというまっちゃんはメキシコに来たらここへは絶対に行きたい、と言っていた、水上マーケットへ行く予定だ。またしても、何と盛り沢山なんでしょう!  

 今日はメイドさんの代わりに、前にちらっとお父さんの家の玄関先に来た時には白いスポーツウエアの上下に自転車という出で立ちだったため、てっきり双子ちゃんのスポーツインストラクターだと思っていた、グァダルッペの弟のゴンザロが一緒だ。グァダルッペがすーっとした顔なのに対して、ゴンザロの方は眉毛も太く濃く、全体に暑い感じの顔だ。今日も爽やかなスポーツウエアで、真面目そうな人だ。
 目的地が遠いこともあり、朝早くに出発。どんどん山の方へと行く。途中で、この辺りでしか食べられない青いトウモロコシの粉から作ったブラックトルティーヤというのがあって、とてもおいしいから是非食べてみて頂戴!ということで、山の道のすぐ脇のトタン屋根のバラック的な屋台に立ち寄る。ここがハズレではないことが判っている彼等と一緒でなければ絶対寄らないような感じの店だ。割合広く、中にはインディオ系の小柄な若い女の人がいて、お客の注文に応じて台の上の一応装飾の為に置かれた(か、滑り止めのためか?)ワカメのようなホウレンソウのような草の上に置かれた、アルミの皿に載せた様々な(20種類近くはあると思われる)トッピングと3種類ほどあるトルティーヤを組み合わせたり、他のメニューを出したりしてくれる。
 私にはここでのベストチョイスが何なのか皆目見当がつかないので、グァダルッペのお勧めに従うことにして、この辺りで取れるきのこのスープ・勿論真っ赤でチリ入り・ライム添えとブラック・トルティーヤ豚の脳味噌入りとカボチャの花入り。を食べた。それがどれもお勧めなだけあって、意外なことに、本当においしかった。みんなが飲んだ、きのこスープはライムの酸味がチリの辛味にマッチして、トムヤムクン的な感じ。トルティーヤにとてもよく合い、今はもうブランチの時間帯だが、体を覚醒させるのにぴったりな感じ。ブラック・トルティーヤはそれ自体独特のおいしさで(色と同じで普通のより「濃い」感じがする。)、カボチャの花入りの方は何と形容したらいいのかよく判らないが、あっさりとしていて、豚の脳味噌の方は「くもこ」なんかに近く(と、言ったら"くもこ"が食べられなくなる人続出か?)、ブラック・トルティーヤにはこの中身あり、という合い方だった。
 ただ、飲み物の方はこの辺りまではコカ・コーラ・ボトラーズが進出していないようで、見るからに怪しげな瓶に入ったいかにも「色付きの水」を瓶から直接飲むしかなく、いくつかある中で多少はマシそうだった「デラウエア・パンチ」というぶどう味のものを選ぶが、冷えているわけでもなく、思いだすのを脳が拒否してしまうような味で、さすがに早々にリタイアした。
 結局、これが今日最初の食事で、このブラック・トルティーヤが完全に虫起こしになってしまい、ここから出発する直前に先程からカウンターの女の人の頭上に赤いのと緑のとが吊るしてありずっと気になっていた、チョリソ-入りのものと、グァダルッペが頼んでいてとても美味しそうだったチーズ入りのものを追加し、車の中で食べたのだった。ここは今度来る機会があったら是非残っていて欲しい屋台だった。

 そうこうするうち、チャルマに到着。チャルマに近づくに連れ、花冠を売る人が車に近づいてくるので何か?と思っていたら、これを教会にいくまで被り、教会に奉納するのが習わしらしい。私達も一つ買って、被ってみることにする。
しばらく行くと、巨大な木があり(ご神木か?)、その下を水が流れていて、殺風景ではない類の鉄の柵がしてあるところがあった。これが清めの水で、ここの水で体を清めると罪咎を流し去るという言い伝えがあるらしく、すぐ脇にはここの水を取るための色とりどりの小さなポリタンクが売られていた。その上の方に色とりどりのトランクスを吊るして一緒に売っていたのだが、それは濡らした時の着替え、若しくは、水に入りに行く時にそれにはきかえましょう、ということなのだろうか・・・。みんなジャブジャブ中に入っていた。私達も少し額などにつけてみた。
その右手の方には祭壇があり、踊りを捧げる場所になっているらしく、実際、誰かの遺影の額を持った女の子達のグループがそこまで来て、踊って去っていったりして、驚いた。
 さらに教会の方に行くと、日本のお祭りの縁日のような感じで沢山の店が出ていて、それ自体が驚きだった。手織りのポンチョを始めとして、色々な物が売られていたが、その中の木のおもちゃのお店に売られていた品物はそのまま日本の木のおもちゃといってもいいくらいそっくりで、ほんとうにびっくりした。
 そして、突然、グァダルッペに、「ユキ!あなたの欲しかったプルケだけど、どうする?」と言われ、「えっ?!」と、思って見ると、白い上下に帽子に髭というこの辺でよくあるタイプの人が木で出来たコップと柄杓が吊るしてある木製の瓶を背負い、中に入っている液体を売っているのだった。「どうする?」というのは、「こんな感じで、みんなが口を付けたコップに入れて飲むのだけれど、どうする?」という意味だったのだ。でも、ここメキシコでこれだけ色々なところを周りながらも今まで一度もお目に掛かったことのないプルケを飲む千載一遇のチャンスなのだ。こういうものであれば、瓶詰めにして売っているものなどないということも納得できた。コップに関しては「死なへん、死なへん。」と、思うことにして、試してみることにした。売っているおっちゃんも東洋人女性に売ったことはあんまりないと見えて、その周りの人達も、私がどういう反応を示すのか、興味津々という感じで見ていた。一口飲むと、どことなくツナ的な、ほのかな甘味のある濁り酒のようで、なかなかおいしかった。全部飲み干し、美味しかった!ということを伝えると、みんな嬉しそうだった。ついに、プルケを体験することが出来た。また機会があれば、もうちょっと洗練された形で飲んでみたいと思う。
 教会に近づくに連れ、通路の上をずうっと左右に何本もロープを渡したところに紅白の花の飾りがびっしりと付けられた物が教会に至るまで続いていて、人もどんどんと増え、賑やかになってきた。教会の入口のところで花冠を係の人の竿に通して、中に入る。中は外のアジア的とも言える喧騒とはうって変わって、白に金の装飾で、ステンドグラスやシャンデリアも今までで一番ヨーロッパのカトリック教会に近いおごそかな感じで、その対照に驚く。一番前まで行って、祭壇に近づきたいとは思うが、その教会の建物自体の雰囲気とは裏腹に外にも増して大変な人なので、断念し、途中でUターンして人の流れに逆らって(これもしんどかったが・・。)出た。とにかくものすごい熱気だった。

 チャルマを後にして、「今度は今までとは違うタイプのピラミッドを見せる!」とカルロスは意気込み、山の上へ上へと車を走らせる。
 ここは名前は判らないながらも山の上にあるピラミッドで、日曜日のせいか、人もかなり沢山来ていた。違うタイプのピラミッド、とは聞いていたが、実際には下から舞台までは石ばかりが積み上げられているところが少し違うかな、また、今は首が取れてしまっているがピラミッド基底部の左右にいるのは他の守護神と違ってライオンかな(狛犬か?)というくらいで、あまり大差はなく、ただステージの上にある建物が木の柱に藁葺きの屋根が載っかっているもの(とはいえ、それも復元されたもの)だというところが強いて言えば大きな違いで、ここの日本の神社がありそうな山の雰囲気とも相まって、ここはアジアだと言われても頷いてしまいそうな雰囲気で、きっとメキシコの人にとってはここのエキゾチックな雰囲気は突出しているのだろう。だが、正直言ってピラミッド自体に食傷気味の私にはそんなことはもうどうでもよくって、むしろ向かい側に見える緑の濃い険しい山が日本のそれに見え、安らぎを感じた。ホームシックというのは特にないが、やはりルーマニアでもそうだったが、この手の山を見ると無条件に気分が落ち着くのを感じる。
 私達に出きるだけ多くのものを見せようと思ってくれるあまり、せっかちなカルロスは、ピラミッドを見終わるや否や、「ここから下まで帰る時に一番遅かった人がアイスクリームをみんなに奢らなければならない!」と言い出したため、「え〜?!」と思いつつも「膝に来る〜!」と思いつつも下りの道をひたすら走ったのだった。みんなに奢った記憶はないので、ビリではなかったのだと思う。下のアイスクリーム屋で、ツナ(サボテンの実)味を頼んだら、アイスクリームとシャーベットの間のジェラート的な食感で、走った後の体に美味しかった。
 今度はそこのふもとの方にある15世紀頃に建てられたというスペイン風の教会に行く。ここは石造りの教会で、中央の入口が色鮮やかな花で飾られているのが遠くからでもはっきりと見えた。でも、これは昔は生花で作られてたらしいが、近づくと、今はセロファン製で少しがっかりした。ここは建物そのものよりもその中庭に面した回廊の壁画や天井画が印象に残っている。壁画には当時の教会の主要な聖職者が描かれ、天井画には草花が唐草模様的に描かれていた。聖職者達は歴史の教科書で見る昔日本にやって来た聖職者と同じ髪形、同じ服装をしていて、思わず「仮面の忍者・赤影」に出てくる大泉滉を思い出してしまった。

 さあ、今度は日曜の夜で盛り上がるソチミルコへ!と、車を走らせると、雨が降り出したので、予定を変更して帰りの道沿いにあるトルティヤの美味しいレストランへ行くことに。初!に(スペインではないから当たり前か。)サングリアを頼み、アボカドと鶏肉のトルティ-ヤなどをいただいた。こちらで自分達で辛味の加減ができるように必ずついてくる小皿に入ったハラペーニョとチリの緑と赤のサルサ(ソース)にはすっかり馴染み、お代わりをもらわないといけなくなるほどになった。ほんとにおいしい!!

 食事が終わると、雨もまだ降り続くので、すぐに帰り、実は今日が最後の夜だということで、浴衣を着てみせることに。まっちゃんは、私以上に疲れていたので、自分の代わりにグァダルッペに着せよう、ということになり、グァダルッペに着てもらうことに。
 グァダルッペは「一度着てみたかった!」と、とても喜んで提案に応じてくれた。グァダルッペは背は私達より少し小柄で、何よりすごい小顔なので、とても華奢なイメージがあったのだが、いざ着付けてみようと思うと骨格が意外なほどしっかりしていることがわかり、驚く。でも、こちらでは中国系か日本系と間違われることもある、というだけあって、ものすごく似合っていた。
 まっちゃんはこれでお役御免のつもりでいたのだが、結局「マスミも着てくれないと!!」と言われ、着る羽目になり、二人でみんなと記念撮影に応じる(何だか凄く偉そう!)。時々今の雇い主のカルロスのお母さんの前で、私の家で働きたい、と言って私をはらはらさせたオリバーも今までは一緒に撮ろう!と言ってもなかなか照れて写ってくれなかったのだが、このときばかりは制服の白いワンピースはそのままで、いつもくくっている髪を下ろして写ってくれた。
そうしてメキシコ最後の夜が更けていってしまった。

 8月10日(月)。いよいよメキシコを発つ日だ。ただ、飛行機の便は19時50分発のため、夕方までまた私達に家族全員で付き合ってくれるという。

 まず、朝食を済ませてすぐ、夕べ雨で諦めたまっちゃんの念願のソチミルコにみんなで行く。ただ、週日の午前中ということで、港には日曜の夜だった夕べの名残のような沢山の船が飾りを取って、中の椅子を逆さに伏せて、繋がれていた。結局、この間の教会の入口の花飾りのような黄色、赤、緑、青を基調とした色鮮やかなセロファン製の花飾りがついた船には乗れたものの、この時間から船を出しているのは私達だけで、当然水上レストランやマーケットも出ていなくて、ただただ静寂で、どこかのアジアの国に来たような一時間の川巡りだった。また別の機会に賑やかな時に来たい!

 ソチミルコを離れ、今度は公営のメキシコ各地から集めた名産品を売る店へ連れて行ってくれる。カルロスの家にあるものやこれまでに色々なところで見たもので大体の感じは判っていたが、とにかく安くてなかなかセンスがいいのに驚く。ここが純粋な意味での"Do you remember me? Tour"としては最後の目的地なので、もう荷物が増えることもあまり 考えなくてもよくなったので、久々にかさ張る、ラグとトレーを買った。
 次に、カルロスの自宅近くのコーヨアカンへ行き、今日の隠れたメイン・イベント。郵便局に行っての大切手貼り大会をし、無事、長い滞在中の各所から買っては書いた絵葉書を投函する。
 まだ、時間があるからということで、まだ昼のコーヨアカンは見ていないから、と、ここのメインの教会に行く。珍しく形が左右非対称だった。入口の木の扉のレリーフが凝ってあって、上から1対ずつ下まで額縁のようなものが彫られていてそこまではみんな同じなのだが、よく見ると、その中に彫られている人物の胸像のようなものが全部違う顔、違う持ち物、格好をしていた。どういう意味があるのだろうか・・。

 教会を後にすると、「これも文化の一つ!こういうところにも子供の頃から連れて来ないと!」と、カルロスが熱く語る、昔ながらの(一部青空)市場に連れて行ってくれた。
 その青空部分では、おそらく生産者である農民の人達が直接出来たものを持って来て、青いビニールシートの上に並べて売っていた。キャベツや、豆やトウモロコシや、唐辛子などなどが山積みにして売られていた。
屋根のある建物にある店の中で一番目を引いたのは、何と言っても唐辛子屋さんで、チリだけでも100種類近いものが売られていた。韓国には行ったことがないのだが、どっちがどうだろう?
 スナックコーナーもあって、私はここでもトルティーヤを食べた。なかなかおいしかった。この間のコーヨアカンの夜の屋台以来ずっと気になっていた、豚の皮を揚げたお菓子「チチャロン」がここにも売っていたのだが、大きさが大きすぎるのと、これまで何度も見かけながらも誰も買っていないので、買って、自分だけで食べるには大きすぎるのと、やはりカロリーが気になるので、ここでも試すのを断念してしまった。今度は絶対試すぞ!!
 駐車場に向かう途中ハイラックス・サーフてきなトラックの荷台に家族らしい人が立ちながら一杯乗っている光景を見て、ひゃ〜!さすがラテン!と思いつつ家路につく。

 帰って来たらお母様自らがお食事の支度をされていて、メインのダイニングルームが美しくセットしてあったので、どなたかお客様がいらっしゃるのかと思っていたら、私達や、新婚旅行でサンフランシスコからこちらに来たという親戚の新婚夫婦のための正餐の用意だということが判り、大感激する。
 また、これは私宛てに手紙では?と言われてみると、宛名には私の名前は入っていないものの、また、美紀がこの辺りのはず、と、思って手紙を送ってくれていたのだった。こちらは郵便事情が今いちなので、7月30日に出したものが、今届いたのだった。でも、本当に、ぎりぎり間にあってよかった。もうじき会えるであろう人達の日常や、お気に入りのブランドの新作コレクションの話などで、口元がほころんだ。
 さて、話を戻すと、テーブルには水色地に白のストライプが時に入り、水色が長く続く部分には織り柄の入ったクロスが敷かれ、その上に、食器は全てお揃いで白地に青で柄の入った磁器の皿が2枚重ねられ、その上にボウルが乗り、なかにはフルーツパンチが入っていた。カトラリーも少し工芸的な装飾が入っていて、それぞれに綺麗な赤のガラスのタンブラーが置かれ、中央にはお庭の鮮やかなピンクをした花が入れられ、その両側に、沢山のアボカド、揚げトルティーヤ、チリのサルサ等などが別々の皿に盛られていた。今度はお客さん用の磁器であるにも拘わらず、同じ色使いでもドイツや北欧の磁器と雰囲気が違うところが面白かった。
 これからそこに、カルロス夫妻、サンフランシスコ育ちの親戚のお嬢さんとそのアメリカ人のご主人の新婚夫婦、カルロスの妹さんとそのご主人、カルロスのご両親、まっちゃんと私、という10名が座り、食事をいただく。メキシコではこうして親戚が一同に会して食事をするのがよい伝統として残っていると聞くが、その中に入れていただくことが出来て光栄だった。
 その後、並んでいたもの以外にも焼きたてのトルティーヤに様々な具が用意され、どれも美味しく、初めてで興味深かった揚げトルティーヤも春巻のようでおいしく、全て平らげた。そして、食後のカクテルとして、ホームバーのオウナーであるカルロスのお父様が自らマルガリータを作ってくださり、このメキシコ旅行中最初で最後のテキーラ体験となり、これで思い残すことがなくなった。

 さらに、まだ時間があったので、門の隣りにあるカルロスの店に行き、カルロスはル・マン24時間レースを頂点とするC1クラスの耐久レースが一番好きなようで、珍しくそのクラスの車のミニカーがたくさん揃っていて、私が携わっていた懐かしのオムロン・ポルシェ962Cもその中にあったので、記念にそれと、溶岩でできた(火山の石?)小さな花瓶を買い、これでほんとうに思い残すことがなくなった。

 みなさんに見送っていただき、カルロスの愛車の一つ、青いフォルクス・ワーゲン・ビートルに乗り、空港に向かい、思い出深いメキシコの地を後にするのだった。