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実際に旅が始まるまでの経過は次のとおりだ。「この日は何をして、だれから返事が来たか。また、その時の心情は。」ということを綴っていたので、まずはその記録を引用したい。
挨拶文は英文で
March 23, 1992
和文で
こんにちは!お元気ですか?
私は1990年末、体調を崩して会社を辞めてから、アートイベントをプロデュース するプロジェクトに参加したりしながら、今年末には新しいビジネスを起こす予定を
していて、今、準備中です。
この15年の間に(あの夏のキャンプから、今年で15年目です。信じられます か?)世界にはいろいろな変化がありました。また、私も含めて、皆さんにもい
ろいろな変化があった事と思います。そしてまた、何か、あれから変わらなかっ たこともあると思います。
そうした事を見つめるため、この夏、旅をしようと思います。
そんな理屈はさておき、とにかくもう一度皆さんに会いたいので出かけていきま す。
6月か7月に行く予定をしています。
もし、この計画に興味を持ってくださり、私に会いたいと思われたなら、ご都合、 正確な住所・電話番号を手紙・ファックス・電話でお知らせください。お返事待っ
てます。
皆さんに会えることを楽しみにしています!
と入れて、出来上がり。
(クリック→拡大)
これを人数分両面コピーして、「Dear 」の部分に名前を入れて、「Love from」の後に英文で 「愛をこめて」の後に和文でサインをして、 4つ折りにして、印刷物として出すことに。
3/24 ようやく完成。初めは当時仲の良かった人のみに送付するつもりをしていたが、(1)15年前の住 所しか判らないので、着くかどうかがまず問題である。(2)人間、いい意味でも悪い意味でもどん
なふうに変化しているかわからない。という2つの理由で、結局参加した全員に送付することを 決める。
3/27 「日本は平和で、脳天気でいいよな」という感じでシラけられること、届かないこと、は覚悟で
京都中京郵便局より外国向け料金別納郵便でエアメールで投函。
4/04 今度の旅にはドイツ語がポイント、と思い、リンガフォンのドイツ語初級コースを購入。
4/06 ドイツのキルステンから写真入りで返事が来る。「ただいま教師を目指して勉強中。是非会おう!」 とのこと。早速返事を書く。
同時に同じくドイツのシルビアに送ったものが宛先不明で返送されてくる。
キャンプ当時シルビアとはとても仲がよく、キルステンとはそれほどでもなかったことから人間の 縁の不思議さを感じ、また、全員に出して正解だったと思う。
4/08 オーストリアのリーダーだったウリに送ったものが宛先不明で返送されてくる。
世界地図帳を購入。
4/13 ポーランドのクリストフ、ルーマニアのマリウスから返事が来る。
最も行ってみたく、最も着かないことを恐れた国からだけに喜びもひとしお。また、二人ともお となしい印象の人だったので意外に思う。特にマリウスがなかなか思いだせない。(ほとんどの
人を覚えているのが自慢だったのに。)クリストフは30歳。証明写真のような写真を同封してく れていたが、さすがにジュニアカウンセラーだった当時と比べるとかなり老けた印象。「是非ポー
ランドを案内したい。自分の電話はなくて、父は持っているが英語が話せないので、また手紙を くれ。」とのこと。マリウスは27歳。エンジニアをしていて、「もちろん覚えてる。とにかく嬉
しい。会いたい。待っている。」ということで、独身ということが強調してあり不気味に思った ので、当時のアルバムでルックスを確認後、当時書いた帰国報告書に全員の一言評を書いていた
ことを思いだし見てみると、「(短)卓球台をすぐ乗っ取る。(長)ドイツ語ができる。親切。 優しい。スポーツ万能。」とあり、安心する。でも、現在どうなっているかを確認するため、返
事を出すときにできれば写真を送ってくれるよう頼む。
4/14 『標準ポーランド語会話』『ルーマニア語の入門』購入。
他の人から返事がこなくても、この3人だけは絶対訪問するぞ!と決意し、現在にいたる。
4/20 ギリシャのイバンゲリア、パラスケビ、オーストリアのクリスチャンから同時に第一報が。ドイ ツのキルステンから第2報がある。(同時にカナダのスティーブン、ギリシャのマリアに送付分
が戻ってくる。イバンゲリアは昨年77年夏のキャンプ地グラーツを訪ね、当時キャンプディレク ターだったイングリットに会えたらしい。また、同じくディレクターだったクリスが去年病気で
亡くなりショックだった。とあり、驚く。イバンゲリアの手紙には“クリスト”となっているの で人違いだと願いたいが、次の手紙で確かめざるを得ないだろう。パラスケビは8歳の子持ちら
しい。英語が話せないので、手紙でいつギリシャに着くのか教えて欲しい。空港まで迎えにいく。 とのこと。子供の頃でなく、今、言葉によるコミュニケーションが取れないかもしれないのに会
いたいという心意気に感激する。クリスチャンは3年前に結婚し、グラーツを離れ、チロル地方 に住んでいて、この3月に女の子が生まれ、今いるところは狭いけれども3人で待っているので是
非!とのこと。感激する。
キルステンからの2報目には、とにかく色々なところを案内したい。ドイツは今、東西ドイツ問 題、EC問題等々いろいろな問題を抱えているが、こういったことについては、夏に会って話し
たいとのこと。シルビアについては消息不明で、当時のドイツチームの人については、リーダー だったウルリケについてしか知らない。もしウルリケとまだ連絡がついていないのなら、夏、二
人で訪ねて行って驚かそう!と、提案される。
4/24 『エクスプレス現代ギリシャ語入門』購入。
ギリシャのレオニダスから返事(顔写真入り)がくる。彼もまた、あの手紙を持っていれば私の 顔は判るので、空港まで迎えに行く、と言ってくれている。
キャンプ当時、ギリシャチームの人達といえば、結構、意地悪、悪戯好き、陰険、という印象が あり、キャンプの後半になってある部分「言葉が通じにくいから誤解されがちだけど、本当は結
構いい人達かも・・・」と、考えを改めたりはしていたのだが、同じ国から3人も(しかもマリ アには届いていない。)反応してくれた国は他になく、何だか率直に言って複雑な気分。でも、
とにかく嬉しく思う。
4/25 カナダのナンシーに出した分が転居先不明で返送されてくる。
ここまでの動きを見ていると、キャンプ当時目立っていた人達(主に英語が話せる人達)ではな く、キャンプ当時目立たなかったor誤解されがちだった(言葉のせいで?)人が即座に対応して
くれているのがわかる。それはどうしてだろうか?
こういう私もあの時東洋人は私達だけだったし、このキャラクターでおしていたためか(?)ま あまあ目立っていて、キャンプはエンジョイしていたとはいえ、言葉では不自由していたことは
確かだ。そのせいで、言いたいことがいえなくてイライラすることもしばしばだった。「だから といって、しゃくなので、“英”語の(受容する方ではなくプロデュースする方の)達人にはあ
まりなりたくなく、でも、(世界に向けて)言いたいことは山ほどあり、今、メジャーな(?) ネイティブ英語圏(?)の人と比べて本当の国際交流の必要性をより感じている。」という辺り
にひょっとして共通点があるからではないかしらん?と思い、今に至る。
4/27 ポーランドのリーダー、バルバラより返事が来る。手紙の件に関しては、たいへん喜んでいる、 と言ってくれた上で、昨年ご主人を亡くし、大学生と小学生の二人の息子さんを自分の手で育て
なければならず、いつか将来ポーランドを訪ねてきてくれたときには会えるけれど、この夏は無 理です。とのことだった。
学資を稼ぐため息子さんが他の国へ出る、と言っているらしく、「コレポンのなかで、もし、ヨー ロッパでの若者の季節労働を取りまとめる組織とコンタクトをとってもらえればたいへん嬉しい。」
とのこと。なにか助けになれれば。と思うが・・・。色々とたいへんななかわざわざ手紙を書い てきてくれたことに感激する。
4/28 ルーマニアのルミニッタから返事が来る。とても喜んでくれている様子。以前から何となく気に なっていた子だけにとてもうれしく思う。「Energeticsの資格を取り」とあるのは何だろう?と思
う。詳しいことは会ったとき話そう、と言ってくれているので、その時に聞くことにしよう。パ ラスケビのところよりは小さいが、6歳の息子がいるとのこと。少し考えさせられる。
このように、だんだんと返事が来て、ツアーの実現が現実のものとなってきたので、企画の段階 から話はしていたのだが、その時は「そんな事ができるのか?」と、懐疑的だった、77年のキャ
ンプに一緒に参加した友人、まっちゃんにもう一度ファックスで途中経過を報告しつつ誘うこと にしてみる。旅は道連れだし、彼女も私と同じように時間が取れる身だし、やっぱりあの当時の
友達と会って、色々な思い出などを共有できるのは彼女しかいないからである。また同時に、同 じ京都に住んでいながらここ12年ほど全く会っていない、以前やはり企画段階に誘った時には仕
事の都合で合流できたとしてもほんの少しだけだろう、といっていた同じく’77年グラーツチー ムの邦弘くんとの京都でのリユニオンも提案してみる。
まっちゃんからすぐにファックスで返事が来て、「経過を見て、是非行きたくなったので、何と か親を説得してみる。」とのこと。リユニオンもしましょうということで、しめしめ、あと一息!
と思う。
4/29 同じくキャンプに一緒に行った、NYにいる敬くんにも途中経過を報告。NYからヨーロッパは 近いので、一部でも合流できれば、と、誘ってみる。
4/30 中学時代からの旅行代理店勤務の友人・美香に手配を依頼する由をtel。
何やらファックスが届いたので見てみると、ノルウエーのトロンドのご両親からで、「トロンド は世界中を旅しています。3年か4年は船の上でしょう。」というメッセージだった。「まるで
ヴァイキングじゃない!」と、思った。そして何となく彼らしいような気がした。そもそもトロ ンドといえば、キャンプでも結構いたずらのリーダー的存在で、最後の夜みんなで広間に寝るこ
とになった時に私の隣に来ようと追いかけられて、当時は別の男の子にホの字だった私は逃げま くった・・・という思い出があるのだが、もう少し経ってからアルバムを見た時に、子供の割に
はちょっと太めだとはいえ、金髪、青い目の結構いい顔をしていて、どう考えても当時いいと思っ ていた子よりよっぽど男前だったので後悔したものだった。それにも増して、今回そのセイリン
グを自家用ヨットなんかでやっているんだったら(お家にファックスがあるんなら十分考えられ る。レターヘッドからしてもご両親は何やら自営業っぽいし。)きっとお金持ちに違いないし・・・
きっとスカンジナビア系の大男になっているに違いないけれど、どうしてあの時彼を選んで文通 なんかでキープ・イン・タッチしておかなかったのか・・・と、本気ではないにせよ、ちょっぴ
り思ってしまった。それにしても、世の中いろんな人がいる・・・。
5/5 デンマークのトルベンよりファックスが届く。「コペンハーゲンの中心部にある前より大きいア パートに彼女と一緒に移ってきたとこなので、泊まっていってくれていいよ。」とのこと。日本
だと、彼女と同棲しているところに何のそういう感情がなくても彼の女友達が泊まっていくこと を彼女が許可するってことはあんまりないことなんと違うかな?でも、そもそもお互いの愛情に
自信があれば当たり前だろうし、こういうのってサバっとしてていいよな。と思う。
トルベンといえば、キャンプ当時は小さくて、みんなでウイーンのプラター遊園地まで遠足に行っ たときにたまたまおばけ屋敷に入るときに同じ車に乗ることになり、私にしてみれば。日本のオ
ドロオドロしい歩いて行かなきゃならないおばけ屋敷に比べると全然怖くなかったのに、車の座 席の下に膝を抱えてうずくまって怖がっていたイメージがあっただけに、“彼女と同棲している”っ
てことや、「さすが北欧の人!」って感じのうまい英語でシニカルでありながらユーモアのある 文章に妙に感動する。特に「もし旅程がこの、僕達はデンマークと呼んでいたい国の一部を(こ
こ数年のうちに多分“EEC, region 9”か何かに改名されるであろうけど)通過できるのであれば、 大歓迎します。」という件には、EC統合の持つ問題を垣間見た思いがした。
5/6 大体返事が来揃ったかな?と思い、そろそろ旅行のコースなどを美香に伝えないと、と思うが、 例の世界地図帳では全体像が見渡せないので途方に暮れていたところ、本屋でバーソロミューの
「東ヨーロッパ」の地図なら今回のエリアをほぼカバーできることを発見。空港から友達の住む 所や、一つの国の中で友達の住む所から所への点から点の移動は鉄道を使うことも多いかな、と
思うため、トーマスクックの時刻表と共に購入。美香にファックスできるように調べ始める。
5/7 その結果、次のようなファックスを送ることに。
毎度!昨日バーソロミューの東ヨーロッパ地図とトーマスクックの時刻表を買い、
前頁図1のようになるのだと思う。
airついては勿論例えば直でインスブルック→アテネみたいなのがあればbetterだ けど多分ドメスティックonlyだろうしオーストリアーギリシャ間は
ウイーン→アテネよね〜。
私が買ったのは、’92初夏版のトーマスクックで、5/30まで有効な分で、実際行っ
てる時には×だろうけど、
◎ルーマニア国内の移動に関しては、
人の名
|
最寄り(?)駅
|
key station
|
distance
|
time
|
time table No.
|
Marius
|
Braila | Bucuresti | 199km | 3h03m |
957
|
Luminita
|
Rosiori Nord | Bucuresti Nord | 1h21m |
954
|
|
Giurgu Nord | Bucuresti Nord | 1h45m |
960
|
||
Emilia
|
Brasov | Bucuresti Nord | 166km | 3h |
950
|
Sighisoara | Bucuresti Nord | 299km | 5h20m |
950
|
◎ポーランド◎
Krzysztof
|
Katowice | Warszawa | 321km | 5h02m |
866
|
◎オーストリア◎(ドイツ)
Christian
|
Reutte in Tirol | Innsbruck Hbf | 104km | 2h35m |
787/788
|
Reutte in Tirol | Garmisch-Partenkirchen | Munhen | 3h |
◎ギリシャ◎
Paraskevi
|
Piraeus | Athinai | 8km | 26m |
980
|
◎デンマーク/ドイツ◎
Kirsten
|
Hamburg Hbp | Kobenhavn | 360km | 5h10m |
460
|
Flensburg | Kobenhavn | 123km | 5h |
461
|
※コペンハーゲン←→ハンブルグのairがあれば、その方がbetterかも。
・最寄り駅が今一つ不明の人には至急どちらがbetterか確認します。
・基本的に夜行には乗らないようにしたいと思ってます。早朝はOK。
・果たして7月頭に飛び、(6月29、30辺でもOK)7月末に帰れるかな?
基本的に各国というより各人のところに2泊〜(多くて3泊)3日という風に考え ています。
として、Max
22泊か...。
ま、こんなもんでしょう。(?!)
あとは乗り物の都合だったりするのでプロ(もちろん西村さんのことよ〜)に おまかせしようと思ってますので(現地との連絡は勿論やるし) よろしくお願いします。
ではでは、明日1:00PMよろしく!
当時ノルウエーチームだったメッテよりデンマークから手紙が届く。「夏の予定は全然まだわか らないんだけど、ここ2年はボーイフレンドと一緒にコペンハーゲンに住んでるので、都合が会
えば泊まっていってよ。」とのこと。うーんヨーロッパは本当に地続き〜。北欧では結婚する前 に一緒に暮らしてみるのが一般的というのは本当だったんだ。とたまたまこのパターンが北欧か
ら続いたため考える。
5/8 美香と初めて顔を合わせての打ち合わせをする。資料としては十分だが、ちょっと時間がかかる かもしれないとのこと。料金なども安い方法など考えてくれるらしい。とにかく楽しみだ。
ルーマニアのエミリアから返事が来る。(これでルーマニアチームの当時の子供達からは、ドイ ツに移ったイオンを除いてみんなから返事が来たことになる!!)「結婚して、一歳になる子供
がいて、生まれ故郷の小さな町で先生をしています。」とのこと。ドイツに移ったイオンや、キャ ンプディレクターのイングリッドとずっと親交があるらしく、90年にはグラーツを訪ねたそうだ。
その時、クリスとも会えたがすでに病気で、91年の10月に彼が亡くなった...とも書いてある ので、やはりイバンゲリアが書いていた信じたくない話は本当だったのだな。と思う。
ルーマニアのマリウスから写真入りで第2報が来る。渓谷で立って腰に手を当ててポーズをとっ ている写真で、この辺りの山は、とても美しいところなので、是非案内したい、とのこと。小柄
そうではあるが、とにかく顔が「男前」なので驚きつつ、安心しつつ、ひょっとしてこの人ナル なんちゃうん?と思う。が、ブカレストにお姉さんがいらっしゃる、ということもあり、ルーマ
ニアで会う3人の友達のうち、彼に空港まで迎えに来てくれるよう頼むことにし、返事を書く。
5/9 誰もキャンパーのいなかったオーストラリアから封筒に差出人の名前のない手紙が来る。オース トラリア在住の知人の字とは明らかに違うし、誰か今オーストラリアに住んでいるのかしら?と
思いつつ封を開けると、イスラエルのヌリットからで、「昨年8月に結婚し、10月からハネムー ンで世界を周っている」とのこと。「タイからスタートして、ネパールに3カ月居て、ヒマラヤ
にも登って、またタイの北部をバイクで周って、南の島でリゾートして、この1月からシドニー にいて、今はこれから行くつもりのクイーンズランド、ニュージーランドへのの旅費を稼ぐため
ちょっと働いているところ。9月頃にはイスラエルに戻るつもり。」という。何という長いハネ ムーン!!途中旅費を稼ぎ稼ぎ・・っていうところなんかはさすがイスラエルの人!っていうと
ころなんだろうか。なんだか逞しくっていいな。と、同時にヌリットとはキャンプの中頃まで恋 敵で、後に同じ男の子を気に入ったよしみからか妙な友情が生まれて割合長い間文通していただ
けに、イスラエルで会えないだろうというのは残念だ。ただ、湾岸戦争の時、彼女の故郷にミサ イルが落ちて心配していただけに、無事が確認できて何より。と思う。
5/11 待ちに待った、当時のキャンプディレクターのイングリッドからの返事が来る!
いやあ、本当にひょっとして一番の思い出の地グラーツの土は踏めないのじゃないか、いや、仮 に踏めても誰も待っていてくれないんじゃないか。と諦めかけていたので本当に安心した。お母
さんが入院されていたりで、スケジュールがどうなるかが判らず返事ができなかったとのこと。 今はお母さんも回復されてOKとのこと。そしてまた、ここでもクリスが91年10月4日に亡くなっ
たということを知らされる。イングリットから聞いて、彼女の今でも信じられない、と言う気持 を知り、ようやく本当だということを実感する。
グラーツにはキャンプから2年後、両親の延ばしていた銀婚式のお祝いがわりに訪ねたドイツ、 オーストリア、スイスの旅でキャンプ当時リーダーも共に訪ねている。その時はイングリットの
家を訪ね、イングリットのご両親は勿論、駆け付けてくれたクリスにも会えたのに...。クリ スは私達当時の子供からすればほんとうに“大きな”リーダーだったので、グラーツで彼に会え
ないということはほんとうに何か穴があいたような感じがする。
夜、まっちゃんにグラーツにいけることやクリスのことなど報告がてら、最終的に来られそうか どうか、是非一緒に行こうという方向で電話をする。
5/12 朝からまっちゃんよりファックスがあり、益々行きたくなったので、何とか説得してみたい。と いうことなので、7日に美香に送ったファックスを送り、また、邦弘くんとのリユニオンの日程
も今月23日にフィックスすることに。これをきっかけに日本でも古い関係の新しい展開ができそ うで楽しみだ。
深夜、まっちゃんからファックスが届き、ついにお許しが出た!ということ。わたしも嬉しい!! これで旅行の楽しさが倍以上になる!!向こうの友達にも報告しなくちゃ!
5/15 横浜の知人宅に滞在している時に、家のファックスをテープ記録にしていたのが何となく気にな り、ちょうどそこにもファックスがあったので留守録を聞かせてもらったところ、1件ファック
ステープ記録があるとのこと。取り出してみるとスウエーデンのパトリックからだった。
やっぱり流暢な英語で、非常に理性的で、北欧の人だなあ!と思う。
書き出しが「君からもう一度便りをもらうなんて!本当にこの手紙には驚かされた。77年のキャ ンプの後、いくつかキャンプに参加し、その度に出会ったみんなとコンタクトを取り続けるのは
ますます難しくなっていった。そこで生まれた関係の幾つかはより強まっているけれども多くは お休みっていうところだ。でも、いい友達って言うのはいつもそこにいるんだ。わかるだろ。時
にはどこかに行ってしまったように見えるけど、いつもそこにいるんだ。
だから君からの手紙を受け取ったとき、びっくりしたと同時に嬉しかった。だって、自分は正し かった!ということを確認できたんだから。つまり、お互い長いこと会ってなくてもまだとても
身近に感じられるってことを。」となっていて、私も驚き、嬉しく思う。
イギリスに住んだり、大学で教えたり、色々なことを経て、今はスカンジナビア航空に勤めてい て、コペンハーゲンからすぐ近くのマルメにいるということ。デンマークのデリゲーションも巻
き込もう!トルベンやギッテとは連絡ついたかい?とのことなので、早速コペンハーゲンにはも う行くことにしているということを伝えようと思う。うまくいけばトルベンとパトリックのリユ
ニオンもアレンジできるかもしれない。
5/16 ポーランドのクリストフから第2報が来る。訪問を心待ちにしてくれているようで、嬉しい。ポー ランドの地図をいれてくれていて、電車ではこういうルートがあり、国内線の最寄りの空港はこ
こだ、というような情報をくれるが、何となく英語のあまり通じなさそうなところで空港から駅 まで移動したり、駅で切符を買ったり...というのが不安なので、もしできれば空港まで車で
迎えに来てもらえませんか?と、お願いしてみることにして、返事を出す。
5/18 今回はヨーロッパ一周か?と思っていたところ、カナダのステファニーから返事が来る。「返事 が遅れてごめんなさい。まだトロントをとばして飛行機の予約を完了していないことを祈ってま
す。」とはいってくれているものの、もうほとんど予定の6月末から7月にかけての日程は埋まっ ているし、ヨーロッパの友達は8月になるとヴァカンスで家を離れてしまうだろうし、何といっ
てもヨーロッパの友達は早くから返事をくれているわけだし...。残念だけどまた機会を見つ けて"Do you remember me?"Tour
Part2でもするしかないか?とも思う。旅費も大幅にアップする だろうし...。と、いうことで、泣く泣くそのように返事をする。
5/20 オーストリアのクリスチャンから第2報が。私が日本で手に入れられる地図ではロイテが確認で きないのではないか、と、心配して、鉄道によるいろいろな来方を教えてくれる。また、キャン
プ当時、彼と同じジュニアカウンセラーだったウリの結婚後の連絡先も教えてくれる。ウリとは いままで連絡が着いていなかったので、それに、どちらにしても立ち寄るつもりのウイーンにい
るようだし、こちらの予定など、連絡することにする。
5/23 6時にメディアショップで待ち合わせて、'77年グラーツチーム、リユニオンin 京都決行!
まっちゃんは大学時代は東京にいたとはいえ、特に私と邦弘くんなんかは実は学年学部が違うと はいえ同じ大学に行き、まあ、まっちゃんも卒業後は同じ京都に住んでいながらほんとうに長い
こと会っていなかったということに、日本にいようが、世界に散っていようが関係ないやん、と、 改めて思う。そしてまた、みんな京都は狭いので共通の知人なんかはいるとはいえ、そもそもしょっ
ちゅう会っていたのは小学5年生のキャンプ前後の数カ月だけだったのに、会ってしまえばそん なブランクがふっとぶことに、今後の旅行の展開に自信を得た。それにしても、今度のことがきっ
かけで、また新しい関係が始まることは愉快だ。
ご飯を食べた後、最も町中にある邦弘くんの家に行き、当時のアルバムを見て、ああでもない、 こうでもない、と、盛り上がる。それにしても以前はみんなそうなんだろう、と思っていたが、
自分の当時の人達に対しての名前なんかの記憶の確かさは結構特別かもしれない、ということが わかる。同じ体験をしても、それがどう印象に残るか、ということは、ほんとうに人それぞれ違
うんだなあ、と実感。たとえば私の手紙に対する反応なんかも、その人にとって、キャンプにど んな意味があったかでも違うんだろうな。と思う。
5/25 ルーマニアのマリウスから第3報が来る。私が訪ねる期間1週間の休みを取ったので、ルミニッタ やエミリアのところに行くのにもアテンドできるとのこと。気合いのようなものを感じる。
5/27 今頃メキシコのカルロスから返事が来る。ただ、手紙を書いてくれた日付は5月の7日というこ となので、郵便のストでもあったのだろうか?「結婚して、8歳の双子の息子と15カ月のちい
さな男の子がいて、もうすぐ34歳になる。両親の家に泊まってくれればいいし、タバタ、クリ スティーナ、アルトウーロ、ホルヘにも連絡をとってみるのでいつ来てもらってもいい。」って
いわれても...。でも、これでアメリカ大陸もカナダだけじゃなくなったわけだし、どうする かまっちゃんと相談しなくては。
また、美香よりようやく7日に送ったファックスのコースにそった形で、便名、時間を入れた形 のモデルプランがファックスにて届く。各フライトについてのオプションはコンピュータからの
打ち出しの印字が薄くてファックスではムリなので、速達で送ってくれた由。明日、それが届き 次第、検討して回答しよう。それにしてもかなり凄まじいスケジュールになりそう。でも、フラ
イトだけでもきっちり決めておかないと、ひょっとして「うちでもう一泊していきなさいよ・・。」 的な展開になったとき、全体のスケジュールが収拾がつかなくなることが予測されるので、とに
かくフィックスしなければ。まっちゃんにもそのまま転送する。
5/28 速達のオプションを検討後、次のようにスケジュールを組み、回答。まっちゃんにも連絡。
DATE
|
FlightNo.
|
Time(Dep
|
Arr)
|
Place(From
|
To)
|
28JUN
|
LH743
|
1920
|
0605+1
|
OSAKA
|
FRANKFURT
|
29JUN
|
LH116
|
0705
|
0805
|
FRANKFURT
|
MUNICH
|
01JUL
|
LH6044
|
2035
|
2140
|
MUNICH
|
GRAZ
|
04JUL
|
SO044
|
0955
|
1035
|
GRAZ
|
VIENNA
|
06JUL
|
OS873
|
1140
|
1500
|
VIENNA
|
ATHENS
|
09JUL
|
RO272
|
1540
|
1720
|
ATHENS
|
BUCHAREST
|
19JUL
|
RO211
|
1145
|
1330
|
BUCHAREST
|
WARSAW
|
22JUL
|
SK752
|
1240
|
1355
|
WARSAW
|
COPENHAGEN
|
25JUL
|
SK647
|
1455
|
1530
|
COPENHAGEN
|
HAMBURG
|
29JUL
|
LH023
|
1145
|
1255
|
HAMBURG
|
FRANKFURT
|
30JUL
|
LH742
|
1800
|
1755+1
|
FRANKFURT
|
OSAKA
|
うーん。ハードだなあ...。
今のところ、カナダ、メキシコにはPart2で行くことにする。
ルーマニアのルミニッタから第2報が。この国での滞在を居心地のいいものにしたいので、と、 いうことで、当たり前だけど、何時来るのか等詳細を教えて欲しい、とのことなので、早く教え
てあげられるようにしないと!と、思う。
5/30 キャンプの時のホームステイ先のホストファミリーから返事が来る。子供心に美男美女の素敵な ホストペアレンツだなあ、とは思っていたが、何と奥さんの方はバレエの先生で、今は100人の
生徒を抱えるバレエ学校のオウナーで、ご主人の方はオペラ劇場で働いていらっしゃったとは..。 今頃いろいろなことが判って、興味深い。再会が楽しみだ。
夜になり、やはり、"Do you remember me?"Tour Part2といっても何時できるかわからないし、何 となく特にメキシコには今のうちに行っておいた方がよさそうな気がするので、明日カルロスと
ステファニーに電話してみて8月でもOKということであれば8月10日頃には帰れるような段 取りで加えるようにしたいと思い、まっちゃんに連絡してみる。まっちゃんも承諾してくれ、嬉
しく思う。
6/1 深夜、(早朝?)カルロスに電話してみたところ、家族総出演の当然スペイン語の留守電になっ ていてビビる。数回トライしたところつかまえることができ、8月でも全然問題ない!というこ
となので、ステファニーのところもまだ留守電になっていてつかまらないが、どちらも週末なら OKっぽいのでこの際行ってしまうことにして、30JULにHamburg→Frankfurt→Toront,
5AUGに Toront→Mexico city, 9 or 10 AUGにMexico city→Osakaを追加する由をファックスで流し、フライ
トの手配をお願いする。邦弘くんも、8月にアメリカ大陸分だけなら参加できるかもしれない、 ということなので、楽しみだ。
6/2 夜、イスラエルのイシャイからファックスが来る。ファックスで今頃?と、若干不審に思う。そ れに、レターヘッドにある「ダン・パノラマ・ハイファ」って、何の会社なんだろう。家に寄っ
ていっていいと行ってくれつつも、連絡先としては会社のファックス番号をくれているだけなの で、家の住所と電話番号。そして、向こうはこちらを認識できてもこちらが判らないと不気味な
ので、やはり写真を送ってもらう由をファックスで伝える。
ただ、イスラエルは行ってみたかったところであり、何となく地元の人と一緒でないと行きにく そうな気がするのと、フライトもここまでくればメキシコからロス・アンジェルスに飛んで、そ
こから日本に帰るよりも、かえってもう一度フランクフルトに戻って、行きと同じルートで日本 に帰ってきたほうがよいらしく、どうせそこまで帰るなら最後にイスラエル訪問を付け足すのも
同じか、と思い、その方向で明日手配してもらおうと思う。
6/3 最後のイスラエルも含めてようやく全てのフライトのブッキングができたので、急な変更などが あった時のために、向こうで会う予定の友達の連絡先一覧もつけて、次のような手紙をみんなの
ところに送る。
Lots of thanks and love from
message:
6/4 ルーマニアのルミニッタより、第3報が届く。今回はギリシャから彼女の最寄りの駅に着く列車 に関しての情報など教えてくれる。空港まではマリウスに来てもらうことにしていることなどを
書いて、返事を出す。また、昨日の手紙が届けばいろいろ判ってもらえるだろうと思う。
6/5 イスラエルのイシャイより、ようやく彼の現住所と電話番号に関してのファックスが入る。
字が汚いので、ワープロで打ち直し、ファックスでこれでいいかを確認。同時に写真はファック スでは無理とはいえ、とにかくまだなので、催促する。
6/7 ドイツのキルステンより第3報が届く。彼女の所への行き方の情報や、近況を教えてくれる。返 事をくれた女の子の中で、私達と同じく未婚なのはこのキルステンとカナダのステファニーだけ
なので、より共通の話題がありそうで、会うのが特に楽しみだ。
6/8 イシャイより、ファックスが入る。汚いイラスト入り
で、「住所と電話番号は間違いない。自分 はこんな感じなので、わかるだろう。心配ない。」
とのことだが、ますます不安になる。余程ルッ クスに自信がないのか、顔を知られたくない のか...。
とにかくザケンなよ!と思う。
とにかく返事くれた他の男の子達とは違う印 象を受けたので、ヌリットと連絡が取れて、彼女に会えないかぎり、今回は訪問 をやめようか・・・という気もしてきた。
まっちゃんにもこのことを話すと、彼女も気持ち悪く思った様子だ。考えなくては。
6/9 美香に連絡し、知人のいないフランクフルトと知人と会えないかもしれないウイーンのホテルだ け押さえてもらっておくことに。他の場所では友達が教えてくれる安いがよい宿や、お家に泊め
てもらうことにしようと思っているので、ちょっと贅沢をすることにする。特にウイーンは、私 達が'77年に最初に泊まったホテルだけに、私はその後も1回泊まったとはいえ、とても楽しみ
だ。
また、美香にも昨日のファックスのことを伝え、ひょっとしたら変更するかもしれないことを 伝えた。
6/10 ルーマニアのマリウスより速達で第4報が届く。よく考えてみると、速達をもらうのはこれが初 めてだ。封筒に夥しい数の切手が貼ってある。向こうの人にとっては大変なことなのではないだ
ろうか?3日に出す前の手紙にまっちゃんも行けることになったことを伝えていたのでそれにつ いての「マスミにも会えるのはとても嬉しい。もちろん僕は彼女を覚えているけれども、マスミ
は僕を覚えているだろうか?彼女に写真は見せたか?」というコメント。とにかく滞在中自分の 出来ることは何でもするから言ってくれ。とのこと。このあたりはルミニッタやクリストフにも
共通していて、東欧の人はとても親切だなあ。と思う。
6/12 美香よりファックスがあり、ホテルの予約はオールOK。フライトもフランクフルト→トロント を除き、キャンセル待ちのものがすべてOKになったとのこと。また、ここに来て、美香の上司
などベテランの人の意見として、これだけ短期間のうちに(52日間に)沢山(16回!!)飛行機 に乗るのであれば、そして、急な変更のことを考えてエコノミークラスのノーマル運賃を考えて
いるのであれば、いっそのことビジネスクラスにすればどうか?と、提案される。ここまで乗れ ば、差額は約30万円、といっても\1.200,000か\928000か、というレベルなので、大いに迷う。
6/15 ここに来て、まっちゃんがイスラエル行きを隠していたこともあり、ご両親に非常に反対されて、 やはり女二人で、しかも受け入れ側のファックスがそんな感じなのであれば、その部分はどうし
ても止めてくれ、ということになったのでそこだけフライトをキャンセルすることに。ただ、フ ライトのキャンセルは問題ないとしても、ホテルをキャンセルすると、キャンセル料などが発生
してくるということで、私達には似合わないかも、と思いつつ、最後にロマンチック街道巡りを してほっこりすることにする。
イシャイには、まっちゃんから手紙を書いてくれることになり、また、まっちゃんは気を遣って 私と美香に焼き肉までおごってくれることに。私も不気味に思っていて、できればパスしたいと
思っていただけに、却ってイヤな役目を押しつけたうえに、そんなことまで...。と思いつつ、 とりあえず焼肉の日程はフィックスする。
6/16 キルステンが私が3日に出した手紙を受け取り、ハンブルグの空港まで迎えに行く!という手紙 をくれる。いつものことながら、日本とドイツの郵便事情の良さには感心させられる。この辺の
きっちり仕方は双璧ではないだろうか。
ロマンチック街道の旅に関してはフランクフルトから2コースのバスが出ているらしく、片方は 途中でそれて、ミュンヘンに向かうらしいので、最後は私達らしくビールのミュンヘンで決める
ことにしする。ロマンチック街道沿いでは以前たまたま取っていた雑誌の綴じ込みのプチホテル ガイドにのっているホテルがあるディンケルスビュールに立ち寄ることに。ミュンヘンのホテル
はガイドブックでヨーロッパタイプのホテルで部屋数が少ないということを基準に選び、以前ス キルライティングという英作文のクラスで何度か書いてみたことがあるので、思い切ってファッ
クスで自分で直接予約してみることに。
6/17 ディンケルスビュールのホテルより早速ファックスにて回答があり、予約完了。なんて便利で速 いんでしょう!と感心する。
ギリシャのレオニダスより第2報。ポーランドのクリストフより第3報が届く。これはどちらもま だ私の3日に出した手紙が届く前に出してくれた様子。あれが届くのを待ってもらおうと思う。
今日は私のこれからの仕事の活動拠点となるスペースの地鎮祭も行われた。初めの段階を留守に して見られないことになるが、順調に工事が進むことを祈る。また、この旅はどんな収穫をもた
らすのだろうか。全て楽しみである。
6/18 ミュンヘンのホテルからも回答があり、OK。これで泊まるところの心配はなくなった。自分で 押さえたこの二つのホテルは特に泊まるのが楽しみ。わくわくする。
デンマークのトルベンから手紙が、スウエーデンのパトリックからファックスが届く。トルベン はファックスの送信がうまくいかなかったので郵送したらしい。丁度私達がコペンハーゲンに行
くころ、パトリックもコペンハーゲンに行く用事があるようで、第1報のときのパトリックとデ ンマークのデリゲイションのリユニオンはますます実現の方向になりそう。頑張ってアレンジし
よう。
6/19 ルーマニアのエミリアより第2報が届く。私達の提示したスケジュールでOKだということで、最 寄りのブラショフまでの行き方など教えてくれる。マスミも一緒に来られて嬉しい。とのこと。
ほんとに今回、まっちゃんと一緒に行けるようになってよかったと思う。
6/20 カナダのステファニーは週末しか都合が良くない、ということで、まっちゃんはトロント在住の 中学時代からのお友達にお友達にコンタクトをとってくれていたところ、OKということで、比
較的長く滞在するカナダで週末以外はそこにステイさせてもらうことに。ご主人は日系カナダ人 で、まだ小さい赤ちゃんがいはるとのことで、申し訳なく思う。
6/22 オーストリアのウリから返事が来る。とても驚きつつ喜んでくれた様子。ただ、私達がウイーン に行くつもりの週末に丁度2番目の子供の洗礼式を予定しているようで、会える時が限られてい
るようだ。詳しくは向こうに着いてから連絡することにしよう。それにしても何とかつかまえら れてよかった。新しい住所を教えてくれたクリスチャン様様だ。
ポーランドのクリストフから第4報が。あの手紙が届いたらしく、空港まで車で迎えに来てくれ れるとのこと。ご丁寧にもし何かあったときのために電車の時刻も書いておいてくれていた。と
ても丁寧な人だな。と感心する。
ルーマニアのマリウスよりまた速達で第5報が届く。「たった今、(3日に出した)手紙を受け取っ たので。とり急ぎ日程など了解したことを伝えたくて返事しました。とにかく飛行機が着くとき
には空港に迎えに行っているのでヨロシク!」とのこと。
キルステンにしろ、クリストフにしろ、マリウスにしろ、やはり初めに素早く反応してくれた人 は後の対応も気合いが入っているなあと思う。特に東欧のように電話などの通信手段があまり民
間に行き渡っていなさそうなところの人はほんとうに丁寧なような気がする。
計算が複雑なため遅れていた旅行の料金がようやく出る。結局Cクラスを使うことにしたので、 飛行機の運賃が\1,080,350、旅行社をとうしたホテル代が\69,500で締めて\1,149,850也。これだ
け飛行機を駆使していろいろなところを周るのだから、当然。というところだろうか。
出発を約一週間後に控え、この日、航空券、バウチャーなど全てを受け取り、保険もかける。航 空券の厚さにこれを途中で無くしたら!と、ぞっとすると同時にいよいよだ!という気持が込み
上げてくる。その後、壮行会、お世話になりました会を兼ねて、今日はまっちゃんおススメの店 でまっちゃん、美香、私の3人で焼き肉。女3人でこれだけ飲み食いするか?と店の人が呆れるほ
ど飲み食いする。まあ、日頃から世間で安いといわれている店でもそこそこになってしまう私達 が揃ったので当然かしら。それにしても、ありがとうございました。これからもよろしくお願い
します。の心境である。
夜帰ってみると、イスラエルのイシャイからファックスが。"See you soon."とあるのでまだまっ ちゃんからの手紙は届いていない様子。常に用件を一つだけ、といった調子のファックスをよこ
す人だが、今回の用件は「レイチェル・トンプソンとジュリーの住所を教えてくれないか。」二 人はイギリスチームの女の子ではあるが、今回訪ねることにはなっていない=現住所ははっきり
しない人だということはわかるはずなのに...。ますます「変なヤツ〜。やめてよかった〜。」 と思う。
6/25 ああ、出発まであと3日。遂に(?)東京銀行まで外貨両替に行き、軍資金を整える。全体の予 算はほぼ片手。今回は東欧ではトラベラーズ・チェックがまだ一般的ではないようなので、米ド
ルキャッシュを約\100,000、米ドル建トラベラーズ・チェックを約\300,000、ドイツマルクキャッ シュを\90,000の割で持って行くことにする。これにカードがあれば十分だろう。
6/26 ほぼ最終的に荷造りを終えると、やはりとんでもない荷物になったので、車で空港まで行きたい が、母は運転できないし、帰りに車に乗って帰ってくれる人がいないと困るので、前からいざと
いう時には頼まれてもいい。と言ってくれていた、同じ伏見に住む、中学から一緒の男友達に運 転&見送りを正式にお願いすることに。フライトが7時20分なので、ラッシュに巻き込まれるか
もしれないことも考慮して、5時頃にはつけるように4時頃にピックアップしてもらうことに決め る。
それにしても、実際に動きだしたのは3月からで、長年の夢への出発がすぐそこに迫っているなんて信じられない気分。何事も諦めずにやってみることが大切、というところかなあ。大体こういうことをするつもり、と人に持ちかけたとき、私は大マジメで本気なのに、誰も本気にしてなかったもんなあ。まあ、こういうことは今に始まったことではなくって、結構いい年になってから、まるで中学生が憧れの口も聞いたことのない先輩にチョコレートを渡すように、隣の商社の喋ったこともないかっこいい人にバレンタインにチョコを渡す、という“ドキドキバレンタイン”プロジェクトの時もそうだったもんな、と、思う。その時にしても今回にしても、ハナから成るわけない、と思っていた計画がだんだん実現しそうになっていく時の周りの盛り上がり方っていうのは見ていて結構面白い。と、いつも初めから大マジメな当事者は案外冷静にみていたりする。人は勝算のあることしかしないのだ。まあ、結局「踊る阿呆に見るアホウおなじ阿呆なら踊らにゃソンソン。」というところなのかなあ。周りが面白がってくれるのはハッピーだけど、やっぱり自分が一番ハッピーだもんね。
周りの盛り上がり、というと、初めから出来ると信じてくれていた一人の真恵がおもしろいお土産をリクエストしてきた。それは、「他何もいらないから、いった先全部から絵葉書を送って欲しい。」というもの。そもそも旅の主旨が違うとはいえ、「どこどこの何番の口紅が欲しい。」ではなくて、こういうお土産をリクエストする友達を持って誇りに思う。このことを他の友達にも話したところ、結構同じものを、というリクエストがあり、うちも含めて1箇所あたり少なくとも5枚は書くことになる。
荷物の最終チェックをして、いよいよ出発だ!!