まだまだ6月29日(月)。ロイテ到着。

6月30日(火)。フュッセン観光へ。

7月1日(水)初めての別れ。グラーツへ。

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 まだまだ6月29日の続き。ガルミッシュから、いよいよロイテに到着。クリスチャンが奥さんと赤ちゃんと一緒に駅まで迎えに来てくれていた。感激の再会第一号。考えてみればあのキャンプ当時、クリスチャンは既に17歳のジュニアカウンセラーで、私達は10歳のチビで、しかも英語やドイツ語が話せるわけでもなく、28日のキャンプ期間の時間を共有したとはいえ、私達が彼に何かを頼んだ、ということはあっても、何かを話し合ったことなど一度もないわけだ。それなのに、こうして会うことになるなんて・・・。人の縁の不思議さを感じる。

 駅から出て、車に向かう。クリスチャンの車は正直言っておんぼろの黄色いオペルの2ドア車。やっとのことで私達の巨大なトランクを詰め込み(このトランク2つは、その後どこへ行ってもやっかいの種だった。)、私達二人は後部座席、奥さんのエリザベスが助手席に、その運転席寄りの横に籠に入った赤ちゃんのアンドレアが収まり、クリスチャンの運転でお家に向かう。途中で小さなスーパーに寄り、食料と絵葉書(確かに綺麗なところだが、規模からいえば、私の住む伏見もしくは桃山単位の町なのに独自の絵葉書が作られていて、それが近所のコンビニでも売られていて・・・という、観光政策の徹底ぶり(?)に感心。)を調達する。初めは着いたらユースホステルでも教えてもらって...。などと思っていたはずなのに、まるでそんな考えなど最初からなかったかのように、お家に泊めてもらうことになり、恐縮する。でも、2泊で語りを入れるなら、やっぱりそれが一番だろう。クリスチャンは本当にアンドレアが可愛くて仕方がないという様子で、運転中もしょっちゅう傍らのアンドレアに微笑みかけていて、後ろにいて結構不安になる。エリザベスにも時々「クリスチャン!前を向いて運転して!」と怒られていた。が、ある面、子供ってここまで可愛いものかなと感心する。

 そうこうするうちにお家に到着。彼等のフラットがあるのは4階建てののアパートで、日本ではお目にかかったことのないような、シンプル過ぎる謎の白壁に板張りで、日本人の感覚でいう和洋折衷のような外装が正直いってお粗末で、こんなところに私達を泊める余裕があるのかなと少し不安になった。クリスチャンが、私が納屋かと思った、外観を不釣り合いにしている原因になっている、板張りというより「木目調のデコラを貼った」状の長方形の大きなドアを開けると、それはガレージだった。こんな建物の右下半分がガレージになっているなんて、どんな構造や?と思いつつ、丁度日本の古い団地のような、飾り気の全くない階段を上がって行き、いよいよ彼らのフラットに到着。
 不安半分でドアが開くのを待つ。が、目の前に出現したのはお粗末なウサギ小屋ではなく、非常に快適そうなどちらかというとお洒落な、壁の分厚いどっしりとした居住空間だった。また驚いたのは、入ってすぐのところに靴を脱ぐスペースがあったこと。向こうの人はずっと靴を離さないのかと思っていたので驚いた。その入って靴を脱ぐスペースのすぐ左手に、小さな、でも家具はしっかりとした、ダイニングとキッチンのスペースがあり、右側にはシャワー、トイレ、ランドリーのスペースがある。そして入って少し左に行き、そのまま真っ直ぐ行くと、リビングのスペースになっていて、窓からは一面緑の草原や青い空、彼方の山が見渡せる。リビングの隣のクリスチャンたちの寝室からは何と二階に続く階段もあり、そこからベランダにも出られるのだそうだ。何というか、外観はかっこよくても、中に入るとその質感でがっかりさせられることの多い、日本の建物と正反対だと思った。特に住宅の場合、本当は中にいる人が如何に快適に過ごせるかが本当は大切で、同じ低予算で作るなら外部よりも内部に手をかけるべき・・・という単純なことのお手本のようだった。住む人のテイストがそう感じさせているだけなのかもしれないし、国民性の問題で、こういうタイプの「外より中が充実」的な建物はこれから先も日本ではあまりお目に掛かれることにはならないかもしれないけれども・・・。私達の世代より若い世代が主導権を握る頃にはそういうものも出てくるのか・・・。
 白い壁にクリスチャンがロッククライミングをしている様子の写真が幾つかパネルとなって架けられているリビングで、生成りに茶色とオレンジのストライプが入っているソファに腰掛けて暫しくつろぐ。ソファとお揃いのスツールというには大きな、背もたれのない立方体状の椅子に彼等の赤ちゃんアンドレアは気持ち良さそうに横たわっている。外出していたときには取り外していたので知らなかったが、今、帰ってくると、小さな身体に水色のチューブ(ちょうど点滴と身体を繋ぐのに使うくらいの太さの)を付けているのに気付く。聞くと、超未熟児で生まれたため、放っておくと呼吸が止まることがあるので、その予防のために付けているのだそうだ。ちいちゃい上に、そんな危険を背負っている赤ちゃんがいるというのに、夫の友達と、それも“マブダチ”とはとうていいえない、15年前に一度会ったことがあるだけの異邦人の女性である私達を二人も受け入れてくれた、エリザベスの懐の深さに感激する。

 そのエリザベスとアンドレアを家に残し、私達とクリスチャンで散歩に出掛ける。クリスチャンは、この辺りの自然がとてもご自慢らしい。家からすぐ目と鼻の先の場所なのに、双眼鏡まで持参しているのに驚く。その、特別きれいとはいえないけれども、緑があって、山が望め、水も流れる、舗装されていない道を歩きながら、キャンプの時のこと、仕事のこと、エリザベスのこと、EUのことなど色々話す。
 キャンプの時、クリスチャンのようなジュニアカウンセラーは6名いた。みんな17歳前後で地元オーストリアのグラーツから4名(男3・女1)、スウエーデンから1名、ポーランドから1名、という内訳だった。紅一点のウリは特別だったし、ヴォルフィーはやさしいお兄さん、アンディーは空手ができてちょっと気分にムラがあるバイオレンス系の(?)ハンサム、パトリックはチロリアンハットが目印の歌のお兄さん。クリストフは英語が堪能ではないので主にポーランドチームの子供達と一緒にいる謎の人。というように、それぞれ特徴があったのだけれども、クリスチャンはどちらかというと体育会系、というのは雰囲気で見て取れても寡黙で、いざとなれば頼れそう、という他に特に強い印象はなかった。実際キャンプの時の事を話していても、特に誰と仲がよくて・・・というようなことはなかったようだ。ただ、エリザベスもC.I.S.V.er(C.I.S.V.の会員というか、活動者のことをそう呼ぶ。)で、クリスチャンとは幼なじみで、同じくC.I.S.V.erでキャンプの時のジュニアカウンセラーのウリと結婚した同名のクリスチャンとも親しかった縁からウリ夫婦とは今でも行き来があるということで、出発前には「会えればいいな」的でしかなかったウイーンでウリと会う件の段取りをつけてくれることになる。
 クリスチャンもエリザベスもこの辺りにある精密機器会社で働いていて(空気と水がきれいで、環境のいいところにその種の業種が栄えるという辺りは万国共通だと思った。)、出身地はグラーツとはいえ、ロッククライミングやパラセーリングをこよなく愛するクリスチャンにとっては、この地で働けるということは大満足で、エリザベスも、一年間はまるまる有給の産休だったり、女性が子供を産み、育てながら働き続けることに対する環境も整っている会社なので満足している、とのことだった。私が日本で会社に勤めていた頃の話(初年度は有給が10日でそのうち3日はみんな同じ日に取らされて、あとの7日は病欠で消えた等々)をしたらとても驚いていた。結局身体を壊して辞めたので、実質的に日本の会社に勤めた期間というのは1年半位にしかならないので偉そうなことは全然言えないのだが、あの頃はバブル全盛期でオヤジのような生活パターンに誇りすら感じていたな。と振り返る。
 丁度ヨーロッパでは各国がEUに加盟するかどうかを左右する国民投票が行われる前だったので、話はそこにも及んだ。隣に大国ドイツがあるこの国の豊かな自然のなかで暮らすクリスチャンは、経済や物の流れの点でも、また自然環境の点でもEUに統合されればこの国が通過地点となって荒らされるのではないかという危惧からEU加盟には反対だった。でも、いくら庶民が反対したところでお上の意志によってECに加盟することは避けないだろう、と思っているということだった。時節柄このEU加盟についてどう思うか?ということは、こちらから取り立てて質問する訳ではなくても訪れる先々で語られるトピックとなるのだった。
 先程も触れたように、ここは家のほんの近くというのにクリスチャンはわざわざ双眼鏡を持って来ていたので、鴨やその他の水鳥がいる池のそばから山を望んでみたりもした。ここは、公園というわけではないのでベンチが置いてあるわけでもなく、私達はただただ話をしながら、写真を撮りながら、ぐるぐると歩いているのだった。そこは野原というわけでもなく、ただクリスチャンの家の近所の砂利道なのだけれど・・・。京都に住む私の場合、友達が来て、家を出て話をしよう、ということになると、ついつい喫茶店に入ってしまったり、散歩といってもそれは名所旧蹟に行くための道であったり、それに付随してくる庭の緑の中であったり、というように、何か“おまけ”がないと申し訳ないような気がしていたので、このシンプルさ、カジュアルさは新鮮だった。それに、とりたてて保護されている場所でなくても自然が当たり前のようにある、と いうことが何より贅沢に思えた。
 クリスチャンの家に戻り、今度はエリザベスとアンドレアも一緒に、さっきよりもちょっと離れたところへ山沿いの道をドライブ。本物のアルプスの山を望める大きな湖のほとりの、一面に小さな黄色い花が咲く草原に建つ、ログハウス調のレストランのテラスでビールで乾杯。ここの自然のスケールを見ると、クリスチャンがパラセーリングで5時間も滞空したことがある、ということや、一度クリスチャンの友達がクリスチャンの家の前にパラグライダーで着陸した、ということも納得できた。以前から海に潜るより、空を飛ぶスポーツに興味がありながら、日本だとすぐ何かにぶつかりそうでトライするのがためらわれていたのだけれども、ここなら安心してトライできそうな気がする。今度ここに来るときに教えてもらおう。

 家に帰り、夕食を取る。生ハムとスープと卵とパスタのグラタン。小さな赤ちゃんがいるのに・・・と、感動してしまった。その後煙草を吸う組は二階にある彼等の寝室から出られるバルコニーへ行って、一服しつつお喋り。吸わない組はソファーでお喋り、ということになったが、どちらも一大トピックは「マスミのarrangement marriage(まっちゃんがお見合いで結婚しなければならない。)」ということであった。このトピックもこの先ECの統合と同じように、(というよりそれ以上にEC加盟予定国以外でも)行った先々で議論がかわされるのであった。そして二組が合流した後は次の日の打ち合わせ。クリスチャンは出張でザルツブルグに行かなければならないらしく(出張で“ザルツブルグ”か。いいな。)、エリザベスがアンドレアを連れて一緒に出掛けるのも大変だということで、バスを乗り継げばすぐ行けるし、バスの時間を調べて、近くのバス停までは送って行ってあげるから、是非フュッセンに行って来なさい!と提案され、例のルードヴィッヒ2世の白鳥城のパンフレットを見せてもらい、予習をする。そもそもここに来るのに経由地をミュンヘンにしたくらいここはドイツとの国境に程近かったのだ。それにしてもオーストリアのチロル地方に来て、ドイツロマンチック街道の終点を観光しに行く事になるとは考えてもみなかった。
 さて、かくして感動の一日目もおやすみの時間。となった。ここに来て初めて今まで私達が座っていた何の変哲もないソファーがダブルとはとてもいえないサイズではあるが、ベッドに早変わりするという事実を発見。今まで抱いていた、私達はところでどういう風に寝ればいいのだろうか?という疑問が解けた。そこで、私達は女の人とベッドを共にするという趣味は持たないものの、(特に私はそれを嫌っていて、友達のところで泊る事になっても、だったら床で寝た方が・・・というタイプだった。)他にどうするわけにもいかないのでお世辞にも広いと言えないベッドで、一緒に寝ることになるのであった。(これから先々もこういう状況になることが多々あって(というより殆どこうだった。)、それでも全く不眠に悩まされることなどなく、どんな状況でもぐっすり眠れる自分を発見するのであった。)

 翌朝、おいしい生ハム付きの朝食を終え、エリザベスとアンドレアにバス停まで見送ってもらい、見るからに地元の人々ばかりが乗っている車内に少し緊張しながら、まずフュッセンへ。そもそもこのツアーの最後にドイツロマンチック街道を通るつもりはしていたが、「私達には似つかわしくない。」ので、終点のフュッセンには行かず、「私達に似合いの」ビールのミュンヘンにそれるつもりをしていたので、予想外にフュッセンにも行けることに満足する。フュッセンで降り、ホーヘンシュバンガウへ行くバスに乗り換えるのだが、そのバス停には日本人こそあまり見かけないものの、見るからに私達と同じ観光客然とした人達が多数いて、何となくほっとする。ホーヘンシュバンガウで降り、まずインフォメーションセンターでノイシュバンスタイン城とホーヘンシュバンガウ城の載った地図をもらい、まず、昨夜クリスチャンの写真集で予習した、白鳥城ことノイシュバンスタイン城へ。山を登っていくのだが、野球帽型の帽子にTシャツに短パン、サンダルかスニーカーばきの、一見してアメリカ人観光客とわかる人達がたくさんいた。前から思っていたことだけど、欧と米って違うんだよなあ、と改めて思った。その一群にはそのいでたちのじいちゃんばあちゃんも結構いて、スイスイと登っていた。お達者で結構なことです。
 お城に着いてからは、さすがに日本人観光客も沢山いた。その一行を率いているとおぼしき、そこに住みついてしまった日本人通訳ガイド的な人に、「(ワンピースの背中の)チャックが開いてますよ」と言われ、それだけなら“素直にありがとう”モノだったのに、さらに「さっきから気がついてたんだけど、お洒落で開けてるのかと思って。」と付け加えられ、「んなわけないやろ-」と怒る。
 その一行とご一緒したくない上、お城自体、さっさと見ることしか考えていなかった私達は、一見一番早く回れそうなドイツ語のツアー(専属のガイドといっしょにツアーでないと中を見られない。)に混じるが、結局早さも後からスタートした英語のツアーと変わらない上、当たり前ではあるがドイツ語がわからない私達にはチンプンカンプンで参り、そもそも趣味じゃないと思っていたルードヴィッヒ2世の装飾過多趣味にもっと参り、とりあえず来た証のパンフレットと友達に送る絵葉書だけ買って、外へ出る。
 バスを降りた時には、エリザベスと帰る約束をした夕方まであと6時間もある!と思っていたのでお城は当然2つとも行くつもりをしていたのだが、すぐそこに見えているにも拘わらず、ホーヘンシュヴァンガウ城に行くのに何度か道に迷い、ま、お城は一つでいいので来るときに通ったときに行こうと決めていたビアテラス(?)に行こう!と、「ここまでは来た。」という証拠写真だけ撮って、さっさと引き返し、テラスへ向かう。
 それにしても、一杯目をおいしくいただく為に、そこまで飲まず食わずで歩いた後のビールは最高!で、「昼間のビールはまわるなあ。」と言いながら、最初に来たのがクリスチャンのところで良かった!という初日の感想を語ったり、互いに労をねぎらったりするが、何となくそこは長居ができそうにない雰囲気だったのと、ご飯はそれほどおいしそうではなかったので、これもまた、目星を付けていたレストランに場所を移す。
 今度は最初から粘れるように、テラスではなく、建物の中に陣取り、昼間っから“この辺りに来た時には・・・”と思っていたシュニッツェルを食べ、ワインをお代わりしつつ、葉書を書く。挙げ句の果てにはアイリッシュコーヒーまで頼み、「ちょびっとで粘ってるんと違って、客単価が高いんやからええやん。」と、優に3時間は潰す。
 それでもまだ帰るべき時間までは間があったが、とりあえず、近場までは戻っておこう、ということで、行きと反対のコースを辿り、朝のバス停へ。行きは終点と、誰もが降りる観光地で降りればよかったので、どうってことはなかったが、帰りは緊張する。そもそもバス停の名前"Pflar"自体、行く前に泥縄式に勉強したリンガフォンのドイツ語の中でも最も苦手としていたpとfを同時に発音する音の上に、まだ子音がきているので、乗る時に運転手の人に、「pflar」と目的地を告げるだけでもドキドキした。それでもそれが通じて、乗り過ごさないように!と乗っている間中ビクビクしていたら、バス停の手前で運転手の人が、"pflar, pflar."と教えてくれて、無事に降りることが出きるとほっとした。

 まだエリザベスの手を煩わすには早すぎたので、この辺では珍しくないんだろうけど、日本では珍しい、3匹の小豚の物語を思い起こさせるレンガ造りの建物の建築現場や、そもそも車に疎かった小学5年生のキャンプ当時に一緒に行った男の子達が「いや、タクシーもベンツや。」と言っていたのを思い出して、ベンツのバスなんかを写真に撮ったりしつつご近所を散策するうち、クリスチャンの家の隣の隣くらいに一面が美しい芝生で、その向こうには木が植えられていて、そのまた向こうには山が望めるグランドがあり、そこに吸い寄せられるように中に入る。
 それは地元のサッカークラブのグランドのようで、グランドに行く手前にクラブハウスがあった。その時間帯は主に子供達が本格的な練習をする前の時間のようで、すでに来ている何人かの少年がサッカーに興じているほかに、幼稚園の年長さんか、小学一年生位の女の子達の姿もあり、彼女達はすぐにまっちゃんと友達になり、サッカーボールで遊んだ。女の子なら尚更、男の子でも、こんなところなら擦り傷のことなどあまり気にせず楽しくサッカーができるだろうな、と思った。こんな環境でいつも練習している人のサッカー観ってどんなだろう。
 サッカーグランドを後にして、ついにクリスチャン宅へ帰る。アンドレアが私達にも随分慣れたのがわかる。留守中にエリザベスが用意してくれていた夕食を食べたところ、クリスチャンも出張から帰ってきて、彼の食事に付き合いつつ、色々話す。クリスチャンが「お茶の中ではフルーツティーが一番好き。」と言っていたが、「フルーツ・フレーバーティー」以外は知らなかったので「ほんとに果物を干したものを沸かすのよ。」といわれてもピンと来なかったのだが試してみたくなり、頼んでいれてもらう。もとの“お茶”自体が赤い色をしていて、それを煮出したお茶も赤ピンク色で、酸っぱい中にフルーツの甘味があり、今まで飲んだことのない、でも、これから日本でも流行りそうな味がした。その後また喫煙組と、吸わない組とに分かれておしゃべりをして、ロイテ最後の夜が更けるのであった。

 夜が明けて、今日から7月。また、ロイテを後にして、初めての別れも体験しなければならない。朝起きてみると、エリザベスが忙しい育児の合間に、白くて太い蝋燭の上に、緑色の蝋を細かく切ってはコツコツと貼って作っていた、ウリの赤ちゃんの洗礼のお祝い用の、名前と飾りの模様入りの、美しい蝋燭が最後の仕上げの段階に入っていた。遂に出来上がり、美しい紙とリボンでラッピングをし、「ウイーンでウリと会ったら必ず渡してね。」と、託される。
今日乗る飛行機は夜の8時5分発のミュンヘン発グラーツ行きなので、余裕を見ても午後2時8分発のロイテ発ガルミッシュ・パルティンキルヘン行きに乗ればよいので、出発まではまだまだ時間がある、と、思っていたら、遅い朝食の後から延々と(さすがの奥さんエリザベスも心配するぐらい。)クリスチャンのロッククライミングのスライドを見せられることになり(確かにオーストラリアの自然は素晴らしいと思ったし、それを満喫しているクリスチャンの生き方もよいなあ、と思いはしたけれども。)、結局バタバタと出発することに。私達がすっかりお馴染みになったクリスチャンのおんぼろオペルクーペで駅に2時丁度に到着したときには列車は既にホームに到着していた。

 初めての別れは、悲しくもあるが、感動的だった。2泊というのも、短いようで、これならお互い名残惜しく、また行きやすくもあり、ちょうど頃合だなあ、と思った。別れ際の、「これからの旅行中、嫌になったらいつでもここに帰って来なさいね。みんなによろしくね。」というエリザベスの言葉にとにかく感激して、列車が出発してからも、まっちゃんと二人して、クリスチャン一家が見えなくなるまで手を振った。この初めの訪問、再会で、次からの旅への不安が無くなった。クリスチャンとの再会は勿論、エリザベスとアンドレアとの出会いに心から感謝する。

 列車は走り、車窓からは少し曇ってはいながらも、雄大なアルプスが遠くに見え、近くには小さな円屋根の教会を中心とした赤茶色の屋根の家々の集落や、ベンツの工場などが見え、旅の常で、行きよりは感覚的にとても早く、既に懐かしく思えるガルミッシュの駅に到着した。
 ガルミッシュに着くまでに、行きの駅から空港までのタクシー代と所要時間が腹立たしかったことを思い出した私達は、確か空港行きの地下鉄のようなものにどこか途中の駅で乗り継げたのを見たような気がしたので、駅の切符売り場の人に聞いてみることにした。その地下鉄に乗り継ぐにはミュンヘン中央駅の手前のミュンヘン南駅で乗り換えればよい、ということで、ガルミッシュとミュンヘン中央駅の往復の乗車券を買っていたのの帰りの分を区間変更して、ミュンヘン南駅経由、空港までにしてもらう。
 「うーん。タクシーよりよっぽど安上がりだし、楽ちんそう。」と満足し、予定通りのビールと共のランチを楽しむ前に、来た時の様に、重たくって誰も持っていかないであろう荷物をホームに置いてしまおう、と、駅の人に教えてもらった出発ホームに、重たいスーツケースを運ぶ。例によって、階段の横に荷物用の小さなスロープがついているので、楽だった。
さて、荷物も置いて、身軽になって、さあ、ビールで乾杯だ。ランチがまだだった私達が変な時間にちょっとややこしいものを頼んだせいか、出て来るのが遅く、次の電車でも十分間に合うのが判っていたこともあり、一台乗り過ごしつつのんびり過ごすことに。ただ、私達もご多分にもれず、一見して日本人と判るのか、たまたま斜め横のテーブルに反日の酔っ払い(というよりアル中)のおっさんがいて、片言の英語で繰り返し「My manager against Japan.」といって絡んできたのに閉口していると、ここのジェーン・バーキン風のかっこいいウエイトレスのおばちゃんが追っ払ってくれて助かり、つくづく女も強くないと。と思う。無事、ランチを終え、いざ出発ホームへ。ところがホームに表示されている行き先がどうも乗る予定の電車のものと違う、と思って駅にある時刻表で確認すると、何と乗る予定だった一台前の電車と今度の電車で出発ホームが違うではないか!!もう電車が到着する時間だ。折角あとで楽しようとホームに荷物を置いておいたのに・・・この際スロープなんか関係なく、とにかく火事場の馬鹿力で荷物を鷲掴みにして階段を降り、昇って何とか間に合う。そして、無事、駅員の人の指示どおり、中央駅の一つ手前の南駅で降り、空港行きの地下鉄に乗り継ぐ。結局その地下鉄は、来るときにその車体全体に「ルフトハンザ」のロゴとマークが入っている電車を見て、これは空港行きに違いない、と思っていたものだったので、「読みは正しかった。」と思った。ここまで大阪-フランクフルト以外ずっとそうだったが、この空港行きの地下鉄にしてもほとんど地元の人とおぼしき人ばかりで、特に日本人は全く見かけなかった。

 一台乗り過ごしはしたものの、余裕でミュンヘン空港に着く。時間があったので喫茶室に入り、今回はアルコールでなく、アップルタイザーを頼む。「次はいよいよこの旅の原点。私達のキャンプがあった思い出の地、グラーツだ。」と思うと少し緊張する。
 次に乗る便は「LH6044」便。他と比べて一桁多いな、と思っていたら、見慣れた黄色とブルーのルフトハンザではなく、多分その傘下の白地に赤茶・オレンジ・黄色のラインの「チロリアン」航空の、なんと、プロペラ機だった。
私はプロペラ機初体験だ。プロペラが離陸前に黒いゴムで固定されるものとは知らなかった。丁度私の荷物が積み込まれるところを目撃した。とてもキュートな飛行機だけど大丈夫だろうか?と思いつつ、屋内の搭乗口のジャバラからではなく、もちろん飛行機と同じ地べたから。それもタラップでというよりは脚立の親方のようなステップで乗り込む。ここでも日本人は私達だけ。機内にはオーストリアのチロル地方のグリーンの民族衣装を着た茶色の交じったブロンドのひっつめ髪のスチュワーデスさんがたった一人でてきぱきと仕事をこなしていて、短いフライトでもカナッペ的なオープンサンドの機内食がおいしかったりして、プロペラ機の不安を感じる間もなかった。機内誌がまた、チロリアン航空の全クルーの写真入り、といった小さな航空会社ならではのキュートさで、着くまでには、またいつかチロリアン航空の飛行機に乗ってみたい、と、すっかりファンになってしまった。

 さて、いよいよグラーツに到着である。荷物も取り、入国審査も終え、待ってくれているはずのイングリッドを探すのみだ。この時にはあと数分後にまっちゃんの爆弾発言が出ようとは誰も予測していなかった。