7月13日(月)ジムニチェアへ。ルミニッタ宅。葡萄の棚の下でパーティー

7月14日(火)ドナウ川へ

 

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 7月13日(月)。昨日の二人の奮闘でパンクは完全に直っていたようで、朝に出て一路ジムニチェアへ。
 空港で会った時には日曜日に行く、と言っていたのに、何の連絡もできないまま今日は月曜日。こんなアバウトなことでいいんかいな。と思いつつ向かう。地図で見たところでは、先に行ったバラオルトと比べれば相当近いはず。楽勝。すぐ着くわ〜。という気持ちでぶっ飛ばしていたところ、地図では「あと少し!」というところでどうやら道を間違えて遠回りしたらしく(ナビゲーターとしていつも助手席のいいポジションを占領してるんだからマリウスしっかりせんか!!おまけに途中で降りて地元民に道を聞く時にしょっちゅう助手席のドアを開けっぱなしで行ってしまうし、車に乗ってる人に聞く時には時に先方の車のドアまで開けてしまうこともあるんだから・・・!危ないったらありゃしない!!)、突然舗装されていないという問題以前の、「こんなところレンタカーのカローラでいっていいのかしら?」と、思うような一面石ころだらけの道で、時速10〜15キロでしか走れなくなり、道の両横は一面のひまわり畑だし、おじいさんとおばあさんが荷車にのった馬車は来るし・・・(これは特別なことではなく、今までルーマニアでとても印象深いおなじみの光景なのだがここまでは時速100キロ前後でぶっ飛ばしてきたので全く写真を撮ることができなかったのだが、この低速のお陰でようやくフィルムに収めることが出来た。)、おまけに放牧(?)されているのか両脇をたくさんの豚が豚飼い(?)と共に通り過ぎる中を進まなければならないのにはまいった。果てしなく続くかに思われたこの石ころ道を何とか抜けると目的のジムニチェアに到着。その辺で公衆電話のありそうなホテルに寄って電話してみる。何度か壊れたのにぶち当たった後、ようやくまともなのに当たり、電話が通じると、ご主人のパウルと坊やのクリスチャンが車で来てくれて、家まで先導してくれることになった。彼等が今住んでいるのはフラットであまり広くないので、ルミニッタの実家に案内してくれるということだった。

 今日もとてもお天気がいい。だから昨日までいたバラオルトと比べるとここが「南」だということを肌で感じる。先導されつつ暫く行くと、すぐにルミニッタの実家に着いた。家の門の前ではルミニッタと妹のロージーが赤いバラの花を1輪ずつ持って私達を待ってくれていて、薔薇を手渡してキスをして私達を迎えてくれた。そして、門を一歩入ると、まずもう使えない小さな船が台の上に置いてあり(お父さんの趣味のようだ。)びっくり、そして左手を見ると人数分のクーペのシャンパングラスとロゼのシャンパン、そしてフルーツが葡萄の棚の下のテーブルにセットしてあり大感激する。置いてあった花瓶に先程もらった薔薇を入れて準備完了。まず、再会を祝って乾杯することに。ルーマニア産のシャンパン(正式にはスパークリングワインと言わなければならないのだろうけど・・・)ということだが、とてもおいしかった。
 まず若者(?)だけでの乾杯が済むと(ロージーは私達より大分若いだろうな、とは思っていたが16歳だから一緒に飲むわけにはいかないと聞き、驚いてしまった。その年としてはヨーロッパの人の常で随分大人っぽく見える。)、その趣味が船(?)というお父さんと料理の手を休めて出てきてくれたお母さんが登場。歓迎してくれる。お父さんは雰囲気がポパイのような人で、昔は結構女を泣かせてきたのでは?系の人。お母さんはそのお父さんを掌で遊ばせてきた肝っ玉かあさん系の人だ。ルミニッタはどちらかというとお母さん似。ロージーはお父さん似だ。
 乾杯が終わると、クリスチャンが私達を待ち構えてくれていて家の中を色々案内してくれる。荷物を置くため私達を泊めてくれるという部屋に入って壁という壁に飾られたお父さんのもう一つの趣味の「ハンティング」の獲物だという鹿などの角の飾りにたまげる。私は趣味ではないがまあ受け入れられるという感じだが、まっちゃんはほんとに嫌そう・・・。そのせいで気付くのが遅れたが、そこにはルーマニアの民芸のバッグと人形が置かれていて、私達へのお土産だという。中を見てまたびっくり。ルーマニアの民族衣装まで入っているではないか!!先程のシャンパンのセッティングに続いてまたまた大感激する!!クリスチャンについて庭の奥へといくと、ルミニッタのお父さんが豚肉を焼いているところだった。  網の上で煙りがもうもうとしているところに肉が載っているのは日本でもよくある光景だが、下にある燃料が何だかわからない。聞けば乾燥させたトウモロコシの芯だそうだ!よくみればその通りだけれど、トウモロコシの芯を燃料に使うとは驚きだった。これで焼くのが一番美味しいらしい。日本の備長炭のような感じなのだろう。さらに奥に行くとなんとたわわに実ったトマトの温室が。さらにその奥には犬二匹の他、牛、豚、七面鳥、にわとりまでが飼われていて、野菜も色々植えられていた。こちらでは庭を観賞用に設けるのではなく、畑として実用的に使うのが一般的だそうだ。

 クリスチャンに一通り案内してもらったところで「そろそろどうぞ〜。」ということになり、先程乾杯したテーブルを見てびっくり。ルミニッタが先程焼いたばかりという丁度フランスのパン・ド・カンパーニュのような丸くて大きくてふかふかでホカホカのパンと、鯉の卵(!!)のテリーヌ風のもの。スタッフド・エッグ、取れたてのトマトなどなどが自家製のワインやチェリーブランデーと共に所狭しと並んでいるではないか!!おいしそう!!おまけにグラスの模様は日本に因んで桜の花の模様という凝りよう。再び今度はみんなで乾杯をして、食べる。
 自家製のワインもチェリーブランデーもちょっと濁酒風だけれどもなかなかいける。鯉の卵というのは色はイクラの色でキャビアを一周り大きくしたぐらいの大きさ。こちらでは「イクレ」というらしい。(そういえば「イクラ」の語源はロシア語だったはず。ルーマニア語はラテン系といいつつも多少は地理的なこともありロシア語の影響も受けているんだろうな、と、思った。「はい。」は「ダー」だし・・・。)歯触りもよく、そのテリーヌ風は味的には「タラモサラダ」の「モ」がない感じ。それを手作りパンに乗せて食べるのとワインの組み合わせは絶品で、ほんとにやめられない止まらない。だ。
 ドイツ、オーストリアでは夕食ですらこれで終了ということもあるし、遅めとはいえ何と言ってもまだまだ昼なので、これが全てのつもりで思いっ切り食べたところ、「次は、七面鳥のスープよ〜。」といわれ、今までのが「前菜」であったことに気付き、焦るが、初めての七面鳥のスープはあっさりしてとても美味しくてやはり平らげてしまう。
 と、そこに、先程目撃しながらもすっかりわすれていたポークチョップが!トウモロコシの芯で焼いたそれがまた、にんにくなどで味付けされてほんとうにおいしかった。先程目撃したお庭の様子を考えると、材料がどれも新鮮だからよけいに美味しいのだろうと思う。ゲストだから、と他の人より沢山サーブされるものを例によって「おいしいものを残すのは勿体なさ過ぎる!」というポリシーで、また同じ理由と、今ここでしか味わえない手作りであるが故に、ワインやチェリーブランデーもガンガン飲み、いつの間にか全部を綺麗に食べたところ、「十数年前に日本の男の人が訪ねてきたときは殆ど何も食べられなかったのに、君たちは感心!」ととても喜ばれる。それにしても、こんなに美味しいものを食べられないなんて、何と気の毒な人達!!
 飲み物以外、全ての食べ物を食べ尽くしたところに「昨日来ると思っていて昨日作ったので少しデコレーションが流れているけれども・・。」と持って来られたのはなんと白い生クリームの上にピンクで"Welcome"の文字とハートと水玉の絵。若草色で"1977""1992""Yuki""Masumi"とデコレーションされたケーキだった。それを見た瞬間は私もまっちゃんも感激のあまり言葉も出なかった。食べてみると、中はチョコレートクリームケーキで見た目よりあっさりしていて美味しかった。食事の後トルコ風のコーヒーをいただいて"super!"なランチが終わった。いやあ、食べた、食べた。

 美味しかったのと、ほんとうに心尽くしのおもてなしに本当に感激する。さて、これからはみんな「昼寝」の時間だということで、部屋に行く。お手洗いに行くにはルミニッタやパウルらが寝ているところを通らねばならず、申し訳なく思いつつ通過しようとすると、何と、私達にベッドを明け渡してくれているため、みんなは床の上に敷物をしいて休んでいた。私達に快適さを提供してくれるためにそこまでしてくれているなんて・・・。そしてその部屋は普段はロージーの部屋らしく、壁にはマイケル・ジャクソンのポスターが貼られていた。やはり彼は世界のスターなんだ・・・。部屋に戻った後まっちゃんは壁側。私は通路側(?)で例によって同じベッドで眠る。もう慣れっこだ。

 昼寝から起きて、「さあ、外に出ましょう。」と誘うルミニッタとロージーは先程までとはうって変わって、お化粧バリバリ、ピアスも大きめのものに変わり、気合いの入ったお洒落っぷりだ。それに比べて私達の気合いの入ってないこと・・・。昼寝の前にメイクなら全部落としてしまったし、寝る前に起きたら「散歩に行く」と聞いていたので、すっかりご近所モードで用意をしてしまっていたわよ。それならそうと先に言ってよ!!と、悔やんでも後の祭りであった。
 彼女らの気合いの入れ様は京都でいえばこれから木屋町三条辺りに出掛けようという出で立ちだったが、実際にはほとんど「ご近所のお散歩」に終始した。歩いている間中いろんなことを喋った。でも、ルミニッタが英語は取っていなかったのでできないけれど、フランス語はかなりできる、と聞いたので、一応会話ではないにせよ、大学で3年間フランス語を取った私は、"je trouve que...."と、フランス語での意志疎通を試みるが、何度言ってみても発音が悪いらしく、忽ち"I don't understand"と英語でやられてしまい、ショックを受ける。
 そのうちジムニチェアの中心部に出てくると、こういう夜の外出はポピュラーらしく(京都のど真ん中に住んでいる人はどうだか判らないけど、私の場合、夜遊びには電車に乗っていったりしないと気分が出ない。)、そこかしこに若者がたむろしている。でも、面白いなあ、と思ったのは外まで音楽が流れてくるようなディスコがあったのだが、実際に中に入って行く人はむしろ少数派で、沢山の人がその外側の階段で座って何やら話したりしていた。雰囲気的にいうと、昔のヤンキーがうんこ座りをしてたむろしているような感じ。実際にうんこ座りをしているわけではないが・・・。みんな特にどの店に入るわけでもなく散歩をして町の雰囲気を楽しみながら話している。私達も公園を話をしながらそぞろ歩いたりした。
 その時に何かの拍子にエイズの子供達の話になり、初めて、ルーマニアではチャウシェスク政権の時、経済的に苦しい中、「産めよ増やせよ」的な政策が取られ、その結果として子供を育てることが出来ず、放棄され、孤児になった子供が多数いて(そういえば特にブカレストの目抜き通りで信号待ちなどで停車しているとすかさず横の歩道からガラス拭きを持った子供達が駆け寄ってきて、ガラスを拭くのと引替に幾許かの小銭を要求してきて、日本だと「勝手にやりやがって的」に振り切っていってしまうのか、と思うところ、事情が判っているマリウスなんかは必ず幾らかはコインを手渡していた。その子達も所謂「チャウシェスクの孤児達」といわれるそういう子達だ。)、そういう子達の何人か(でも、かなりの人数)は栄養不足を解消するため輸血をされ、その血液にエイズウイルスが混じっていたり、医療器具不足で輸血の際の注射針が使い回されたりしていたため感染が広がっているのが社会問題になっていると聞き、驚いた。その当時日本ではまだ薬害エイズのことがあまり認識されていず、エイズといえば売買春が元で起こる比較的「自業自得」的な病気として認識されていたので、こんな理由で幼くして感染してしまう子供達がこの国にいることに衝撃を受けた。
 結局かなり歩き、足も疲れてきたところで一件のバーにいくことにした。バーの感じはカウンターがあって、中にバーテンの人がいて、フロアーには低めのテーブルにソファーが有り・・という私達がよく知っているスタイル。私が日本のそういうところで頼む定番のラム・トニックや、フィズが一般的みたいだったので頼んでみたバイオレット・フィズ等頼んでみたものがことごとくなく、仕方なくみんなと同じパイナップル・フィズにして、ジムニチェアのナイトライフの一端を(一端にして全て、といったところか)楽しみつつ、家路につく。

 家に帰るとお父さん、お母さんがまた葡萄の棚の下のテーブルをセットして自家製のお酒で夜の宴をしようと待ち構えていた。散歩にはついて来ていなかったクリスチャンも昼寝をたっぷりして充電したのか一緒に待っていた。昼間はそのきつい方はあまり飲まなかったのだが、その自家製のさくらんぼのツイカ(ルーマニアのスピリット)がワインより美味しかったので、ソーダ割にしては(ここ、ルーマニアではミネラルウオーターも天然に炭酸ガスが入っているためか、どこの家にも緑のガラスの瓶に網が被せてあって(万一割れたときに危なくなくすように?)、消火器の把手のような感じでレバーを押すと炭酸ガスが水と混ざって出てくる器械があるのには驚かされた。これで出来たガス入りの水(カクテルを作ったりする時のいわゆるソーダ水)は天然のものと区別して「シフォン」と呼ばれ、飲み水代わりにすることもあるが、特にみんなそれでワインを割ったり、スピリットを割ったりする。とにかく何でもガス入りにするのがお好きで、その器械に炭酸ガスを充填するガスステーションもそこかしこにあるらしい。)、ガンガン飲んだのでみんなに驚かれる。だって、美味しいんだもん。そして、あれだけ昼間食べたのに、ここでもフレンチフライと大きなソーセージが出てびっくりする。(と、いいつつ、勿論平らげましたが・・・。)そして、BGMにはラジカセで、やはりラテンの血が騒ぐのかこちらでは未だにポピュラーな、ジプシーキングスの曲やルーマニアのポップシンガーの曲が流れていた。
 今日の感謝のしるしに私達は日本式の肩揉みを、特に裏で大奮闘してくれていたお母さんとルミニッタに念入りにプレゼントした。やはりラテンなランバダがかかるとロージーとパウルが踊りだしたので、私もマリウスと踊ることに。既に結構飲んでいたので激しい踊りは疲れるので、結局ロージー達より後に始めて先に終えてしまった。先程夜の散歩に行った時はみんなが特に店に入るわけでなくそぞろ歩くことを不思議に思っていて、単に「お金がないから?」と邪推したりしていたのだが、家の庭でこんなことが出来るんだったら町では雰囲気を味わうだけで十分なのだ。と、納得した。
 大体私が高校の頃にディスコが流行ってた時でも京都では大概みんな鏡に向かって自分の世界に入って踊ってたし・・ペアで踊るといえば踊るというより抱き合ってベタベタしてるだけのチークタイムくらいだったし・・要するに踊ること、特にペアで踊ることが日常生活に溶け込んでないのよね。日本では。「踊り」のみならず、そもそもこの葡萄の棚の下は望めないにしても、夏に外のテラスで食事をするということ自体が高温多湿の京都の気候では望めず、つくづくヨーロッパの夏っていいなあ、と思ったし、また、来る前は杓子定規に「ルーマニア=貧しい国→つまらないところ?」と思っていたのだが、「ルーマニア=確かに貧しい国→みんなお金がなくっても楽しむ術を知っている日本より楽しいところ→だから余計働いて国として経済的に発展しようというモチベーションが持ちにくい→数字の上で豊かな国になりにくいのでは?」という認識に変わっている自分に気付いた。この(私は直接友達がいるわけでもなく、ましてや後者には行ったこともないので人の噂による判断でしかないが)イタリアやスペインといった、西のラテンほど時間がルーズでなく、日本のことに好印象を持ってくれている東のラテンの国とその国の人達にはまりつつある自分を感じていた。

 翌朝(7月14日(火)、前夜気持ち良く飲んで、気持ち良く踊れた私は例によってぐっすり眠って、すっきりと目覚めた。まっちゃんはというと、壁側に眠っていて私が美味しくて何杯も飲んだどぶろく系チェリースピリットですっかり悪酔いし、トイレに行くにはみんなの寝ているところを縦断して行かねばならず、それは憚られたので私を股いで床を横切り窓から外に出ては戻す、ということを何度も繰り返したらしい。が、私は何度も股がれていたはずなのに、全く知らなかった。
 例によって葡萄の棚の下での朝食の際、クロスを敷く前のテーブルを目撃し、ほんとうに、何の変哲もない、お世辞にもあまり格好いいとはいえない、ただ長方形の木の板に木の足が4本ついただけ、というテーブルだったことに驚き、それにクロスを敷くだけで立派なディナーテーブルが出来るのだ、ということで、クロスの威力を実感した。「かぼちゃが馬車に」の魔法のようだ。立派な朝食用のテーブルになった後、そこでパンとコーヒーなどをいただき、今日はドナウ川に泳ぎ&日光浴に行くことに。
 川と言えば近所を流れる宇治川や京都の町中を流れる鴨川くらいしか具体的には思い浮かばない私にとっては川で「泳ぐ」という感覚が全くないので、まさかここジムニチェアで泳ぐことになろうとは予想もしていなかった。またしてもあの競泳用水着しか持って来ていない事が悔やまれる。

 さて、パウルの車の先導で後半は道なき道を行き、ポパイお父さんのモーターボート(と、いっても、調子が悪くてやっとこさエンジンがかかった感じ。)でドナウ川へ。「泳ぐ」と聞いてはいたが、ドイツに端を発し、ウイーンでは「美しき青きドナウ」と称えられたこの川が、黒海に注ぐ一歩手前。最下流のこの辺りではこんなに汚いというのを目の辺たりにしてショックを受ける。そしてまた、この向こう岸に見える街はもはやルーマニアのそれではなく、もうブルガリアなのだ。異国を川向こうに見ることがない私にとってはとても不思議な感じがする。ただ、こちら側が貧しくて不自由な国で、向こう側が豊かで自由な国という場合の国境地帯の場合、国境警備兵がいてもこちらから向こう側に多数の人達が命懸けで渡ろうとして血なまぐさい雰囲気なのであろうが、この国境の川はルミニッタに「ブルガリアに行ってみたいと思わない?」と聞いたときの答え「ううん。似たような感じだと思うから、別に行ってみたいと思わないわ。」が示すように何の刺激もなく、穏やかだ。そういえば東欧の人が東欧の国を移動するときにはもともとビザは必要ないと聞いている。
 暫く見ていると、その川幅の広さと国境や国を意識させる象徴的なモノである、「チェコスロバキアの大型(石油?)タンカー」が東から西に向かってゆっくりと通っていった。港町に育ったわけではない私にとってはタンカーを見ることも珍しい上に、それが「川」を通過すること自体が驚異だった。と、思っていると、エンジンが途中で止まってしまった。結局お父さんが魯で漕いで、後側でマリウスがフィンを手に付けてお慰み程度に漕ぐという事態に。 
 何とか目的地の岸につき、丘の上に陣取ってから、泳ぎに行くことに。ここでもルミニッタもロージーもお揃いのブルーとピンクのビキニ。こんなことを女でしかも友達の私がいうのもなんだけど、ルミニッタなんか、豊満だけどクリスチャンのために使用後という感じのペロンという感じの胸でも堂々とビキニなんだもんな。ラテン系の国にはビキニしか売っていないのかしら?私達がここでも競泳用の水着しか持ち合わせがないように・・・。で、折角水着を着てきたにも拘わらず、ルミニッタとロージーはここで泳ぐことに慣れているから泳いだが、私は元より、河童を自認するまっちゃんもさすがにこの濁流で泳ぐ気にはなれず、もともと泳ぐ気のなかったお母さんと一緒に、ルミニッタ達が持ってきてくれたレジャーシートというよりは毛布というかシーツの上でひたすら日光浴に励んだ。水着で川べりの丘の草原の上に寝そべりながら昼間から飲むシュプリッツ(シフォンで割ったワイン)は最高!!後ろでは例によってお父さんがトウモロコシの芯を燃やして豚肉を焼いてくれていてとってもいい匂い!
 泳ぎから帰ってくるとルミニッタが丁度いい具合に焼けたお肉にガーリックと水、オイルで味付けをしてくれる。家から作って持ってきてくれていた茄子のペースト、チーズ、トマト、きゅうり、そして先程の豚肉を並べ、思い思いにパンに乗せて食べる。ちょうど日本の手巻寿司パーティーのような感じ。青空の下、食べるこういった料理はもう最高!いつの間にか狼のような感じのみすぼらしい犬まで匂いを嗅ぎつけやってきていた。そういえば日本では野良猫はよく見るけど野犬はあまり見ないなあ。
 食事の後は後片付けをして、当然のごとくそこでお昼寝。これがまた気持ちいい。その間クリスチャンは彼のお祖父さんと一緒に網を仕掛け釣をしていたらしい。私達が目覚めて着替えた頃、ほんの少しだけだが誇らしげに戦果を持って来て見せてくれた。さあ、それで家には帰りましょう。

 今日はジムニチェア最後の夜。だから帰ったらまず初日にルミニッタからお土産に貰ったルーマニアの民族衣装を着てみてみんなに披露することに。白い手織り調の薄手の綿のワンピースで胸の部分とスカートの上の段の端に赤でそれぞれスモッグ刺繍や縁取りがしてある。ルミニッタ曰く「私のサイズに合わせたら大きかったわね。」という言葉通り少し大きめではあるが、この際そんなことは問題ない。みんなも喜んでくれて、私達も嬉しかった。

 夜になるまで近くに釣に行くというので再び普段着に着替えて外出。ほんとにご近所だったが青々とトウモロコシやサトウキビ(南国の植物のイメージがあるのだけれど・・・ほんとうにそうだったんだろうか?)色々な作物が茂っていて肥沃な大地という感じ。すぐそこを流れている川はドナウ川の支流。同じ田舎でもバラオルトとは全然違う感じだ。水辺にはずっと先まで濃い緑が欝蒼としていて、その向こうに沈んでいく日の入りが最高に綺麗だった。クリスチャンとパオロが釣をしている間、私達は田んぼで言えば、畦道のようなところで話をしていた。私がピアノを弾く、という話から、そんな作曲家のどんな曲が好きか?という話になり、私は「ピアノ曲ではショパンや絢爛なリストのものが好き。」と言ったけれど、ポーランドとハンガリーの人だったけど・・良かったのかな?でも、嘘はつけないし・・。と、思った。でも、そういった作曲家の曲はみんな知っているのでみんなで口ずさんで盛り上がれ、流石だ!とも思った。この水辺にはやはり蚊が多いのだけれどこちらの方ではあまり気にしないらしく、(例の「蚊地獄」のピレウスでも同様だったが、)日本にあるような蚊取りリキッドやマット。また蚊取線香などはどこでも見かけず、蚊取線香の代用、というか、こちらの方が原始的だと思うが、布きれの端っこに火を付けて燃やして、煙で蚊をよけるのに「おけら火」のように持ち歩くくらいだった。得てして殺虫剤と虫の耐性にはいたちごっこのようなところがあるから、この辺りの蚊にはこれで十分なのかもしれないが・・・。でも、痒かったなあ・・・。
 さとうきび(?)畑の間にほんのりと月の出が見えたところで帰ることに。結局釣の方の収穫はゼロだったようだ。家に帰るまでまっちゃんとクリスチャンは一緒に走り、その他の私達大人はパオロとマリウスが兵役に行った時の行進を再現しだしたあたりからいくら同世代とはいえ「Gメン'75」を知る由もないのだけれどいつの間にか横一列に並び、軍隊とGメンの折衷みたいな感じで「ホッ、ホッ」と声を掛けながら歩いた。言わずもがなでこういうことができるのは楽しい!

 家に帰ると最後の夜なので、早速ゆかたに着替えてみんなに披露する。その話を聞きつけて、近所からお父さんの狩り仲間の父子も駆け付けてくるなど、みんな物凄く感心してくれた。とくにルミニッタの喜びぶりは私を抱き上げてくるくる回るほど(あの、小さい子供にしたら喜ぶ、向かえ合わせになり、両脇から腕を通して背中で固定し、遠心力を利用してくるくる回る、あれ。)で、こちらは驚いた。ひとしきり記念撮影で盛り上がった後、例によって、葡萄の棚の下で、ママリガのチーズとバターの効いたやつをあてに、みんなで飲み、夜が更けた。