7月25日(土)マルメへ。海に行き、バルセロナオリンピック開会式TVディナーを楽しむ。

国旗について

7月26日(日)マルメ→コペンハーゲン→ハンブルグへ。          

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 7月25日(土)例によってテラスでの気持ちの良い朝食を採った後、今日はパトリックが一緒なのでタクシーを呼んでもらい、船でマルメヘ向かう為船着き場に行くことに。ほんとうにリーネの妊娠や新しい仕事の始まりで忙しい中、よく受け入れてもらえたと感謝し、赤ちゃんが生まれたら絶対知らせてね!と、いい、再会を誓いつつトルベン・リーネとはアパートメントの出口で別れる。

 船着き場につくと丁度11時発のマルメ行きに間に合うところで、大きなリュックを背負った若者達が既に沢山船を待っていた。デンマーク--スウェーデンとはいえ、コペンハーゲンーーマルメ間は40分で行く。感覚としては私鉄の特急での京都--大阪間程度の時間で行く。
 小さいが、白くてきれいな船に乗り込む。乗り込むや否や、言うとにっと笑う口になるので言う英語の「チーズ」とは対照的に、発音するとすごく冴えない顔になるスウェーデン語の「チーズ」を言いながら写真撮影会を始めたり、今日はサングラスに青のオックスフォードシャツに白い短パンのパトリックは、相変わらずだ。
 いよいよ、出港!暫く過ぎて船の後ろ側からコペンハーゲンの街並を見ると、前に見たことのあるベニスやムラノ島、アムステルダムの運河に面したところにとても似ている。また、一応国際線だからか、デンマークの船なので、後ろにはデンマークの国旗がはためいていた。日本の船も近場でも日の丸を付けているのだろうか?
 さらに暫く行き、パトリックに指摘されると、浜に人達が密集しているのが見える箇所があり、何だろう?と思うと、それが彼の有名なアンデルセンの人魚姫のブロンズ像だという。確かに今、遠くから見てはいるが、80mmの望遠レンズで覗いてもほんとに米粒の大きさにもならないただの数学的な"点"である小ささだ。ここに関してはトルベンもリーネもわざわざ行くようなところではない、と言っていたのが納得できるような気がした。別に大きければいいというものではないとは思っているのだが・・。
 船から見る限り、この辺りの港町はずっと古くからの煉瓦造りの建物を残していて美しい。あまり「荒くれた」感じはしない。そもそも私の持つ「港町」=「ちょっと荒くれてすさんだイメージ」自体が陳腐な偏見なのかも知れないけれども。

 見えてくる建物の感じが全体に二まわりか三まわりほど大きくなってきたところでマルメ港が近づいてきた。港といってもとてもコンパクトで町の一部という感じ。かといって別に寂れて小さくなったという感じではなく、もとよりこのサイズがベストで往来はよくありながらもこれで落ち着いているという感じ。立派な都会の港だ。
 港に着くとすぐそこにこれまた小さいながらも"Malmo City International Airport"がある。れっきとしたスカンジナビア航空の管理下にある施設だ。勿論いくら小型なものでもここに飛行機が離発着するわけではないが、コペンハーゲン空港から(のみかどうかは「?」である。)スカンジナビア航空機で移動する場合、ここでチェックインができる。現在スカンジナビア航空で客室乗務員の接客研修のインストラクターをしているパトリックがそのことを思い出してくれて、さっそく手続きをする。明日はデンマーク・コペンハーゲン空港までここからホバークラフトで移動。あの厄介な荷物はここで「さようなら」ということになった。

 パトリックのフラットのあるアパートメントまでタクシーに乗ることに。この辺のタクシーはほとんどでかいボルボ。パトリックがいつも利用しているタクシー会社のタクシーを呼ぶと、やはりピカピカの濃紺のボルボがやって来て、若くてパトリックよりさらに長身で、スリムでプラチナブロンドで、ハンサムな運転手さんが白いシャツに紺のパンツにネクタイにサングラスという制服姿で颯爽と降りてきてまたびっくり。なんでも、パトリックによると、この会社はハンサムな運転手の人を揃えているのだそうだ。(それが理由でいつも利用しているのであればちょっと怖い様な気もするが・・。何でやねん・・・。)

 折角のハンサムな運転手さんとのドライブの一時だったが、ほどなくパトリックのアパートメントに到着。重厚な感じのする外観に圧倒されていると、このアパートメントの建物は100年以上前のものだということだった。
 やはり年代物の少し急な階段を上がっていくと、パトリックとまだ見ぬ彼の男友達ギュンターのフラットに到着。重厚なドアの横にオイルサーディンの空き缶を利用した手作りの表札が付けられていて(トムとジェリーのジェリーのベッドのよう。)、そのことからだけでも彼らのインテリアへの並々ならないこだわりが伺える。と、思いながらドアが開けられると、いきなりお気に入りとおぼしきTシャツが丁度いい具合の畳まれ方で額に入っているものがいくつか壁に掛かっているのが目に入ってきて、さらに「おおっ!」と思う。
 まず、ダイニングを見せてもらうとさらに「ひゃあ!今まで伺ったお家の中で一番凝っている。これが男二人のフラットなのかしら?」と思う空間が出現した。
 かなり広く、天井が高く、天井も壁も白い漆喰で天井と壁の継ぎ目のところには全体にレリーフが施されていて重厚な感じ。床はフローリングなのだけれど、ところどころ節が入ったりしていて年季が入っている感じだ。入ってすぐ正面に目に入るのが、年季ものの、装飾品にもなるような白い陶器製の暖房器具で、元々この部屋にあったものらしく、まさにこのフラットにジャストサイズで、木をくべる釜の部分に少し黒が混じった金色の真鍮の蓋がつき、縁全体と、一番上の天井すれすれの部分には美しいレリーフが施されていて、レリーフの上にはところどころ金彩まで施されているほどである。その左横の壁にはその金彩に合わせたかのような金色の、横向きの楕円形の装飾的な額縁に入った鏡が中央にあり、その左右に黒地のマットが入った、全体に暗い色調のスウェーデン国旗の青と黄色、そして先程の絨毯に通じる赤や黒を基調とした小さな絵の額が7つ並んでいる。そして、その前にダイニングセットがあり、これもスウェーデン国旗を意識したのかテーブルクロスは渋目の青、裏革を使った椅子の貼り地は渋い黄色だった。暖房器具の木をくべる部分の上部は棚のようになっていて、そこにはドライフラワーが。テーブルの上には花が飾られていて、横に渡された真鍮の金具に吊るされたやさしい色の抽象画のような模様のカーテンの掛かった木製のサッシの二つの大きな窓の前にはどちら側にも観葉植物の鉢植えが3つずつ並んでいた。
 さらに奥に行き、リビングに行くと、まず、正面にテレビと大量の本が目に飛び込み、右側にはオーディオセットがあり、入ってすぐ左横にはレリーフまでは同じだが金の装飾はない比較的シンプルな暖房器があり、その棚のようになった部分には中央に真鍮製の燭台が置かれ、その両脇には緑の鉢植えが2つ置かれていた。その横の壁には鏡は無しでダイニングと同じように絵が飾られているが、こちらの方は白いマットが使われている。その下にはやがて私達のベッドに変身する黒い革のソファーが置かれていて、その前に置かれたローテーブルの下と、先程の暖房器具の前に適当な大きさの渋い赤と黒が基調のペルシャ絨毯が巧く配されている。。そして、ここにも大きな木製のサッシの窓が三つあり、こちらには先程とはちょっと違った形で黒とベージュのストライプのカーテンが吊るされている。この窓の前にも先程と同じく、今度は一つずつ観葉植物の鉢が置いてあった。この中の一番右側のものはギュンターが死んだ友達から譲り受けたものらしく、とても大切にしているとのことだった。そして、その窓の真横にはちょっと書き物など出来るくらいの小さめのアンティーク調の丸テーブルにスチールパイプと籐が組み合わさったモダンデザインの椅子が二つ配されていて、テーブルには花が置かれている。窓と反対側の壁には古いピアノが置かれている。
 リビングの後ろ側にはちらっと見せてもらった彼らのベッドルーム(そういえばダブルベッドだったなあ・・・。)と一体型のバス(シャワーカーテンは透明地にヨットの柄)・トイレ。そして、キッチン(後で詳述)があった。
 こうして書くと、重厚な中にも緑で生命感を演出した完璧な大人の部屋!という感じがしそうだが、その中にもダイニングの椅子にミッキーマウスのハンカチが掛けられていたり、ピアノの上に小さなスウェーデン国旗が飾られていたりして、その辺りのちょっと「抜けた」部分を入れずにはいられない辺りが、オイルサーディン缶の表札に象徴される彼らの人柄を忍ばせているようだった。

 あまりにも彼らの部屋に感動してしまったので、つい部屋の描写が長くなってしまったが、一通りお部屋を見せてもらって一息ついたところで滞在予定が一日しかないマルメを堪能するため外出する。
 まず、連れていってもらったのはアパートメント近くにある広場を利用した青空市場。新鮮な果物や野菜が並ぶ。さっき見た感じでは船はコペンハーゲン--マルメ間のものしか就航してのではないか?というくらいの大きさの港だったが、港町のせいか、店主もお客も多国籍の雰囲気だ。ここでは新鮮な野菜を売る店=トルコ人の店、というイメージがあるらしいが、彼等がスウェーデン語を話せるかといえばそうでもないそうで、他のスウェーデン人の店で「オレンジが安いよ!」と言っているのを聞いて客が沢山集まるのを見て、客引きに「安いよ!安いよ!」と言うつもりで「オレンジ!オレンジ!」と言ってしまうこともあったらしい。パトリックがトルコ人の店で果物を買い、市場を後にする。

 バスに乗るためにさらに中心部に向かう。コペンハーゲンと比べると全体に同じ煉瓦造りでももう少し大振りで、さらに整然として、少し固い感じがする街並を抜けていく。(同じ整然とした雰囲気でもデンマークの雰囲気とは全く異なることが判る、と、スウェーデン、デンマークの人は言うが、私には敢えて言えばその程度かなあ、という気がする。日中韓の違いなどもよその人からすればその程度なのか?)

 バスを二つ乗り継いで"ビーチ(!)"へ向かう。私には"港町=泳げる海も近い"という発想がなかったのだが、コペンハーゲンに続いてここでもビーチは身近なものだった。また競泳用水着の出番だ。
 お腹が空いてきたので、途中、バス待ちの時間に小さな屋台のアネさんのような所で売られていたギリシャのファーストフード、ズブラギを食べる。ほんとにこの羊肉のローストと野菜を中近東っぽいパンに巻いて食べるこのメニューはこちらではとてもお馴染みで、一度慣れれば日本で今ファーストフードの代名詞になっているメニューよりよっぽど美味しい。次にブームが来るのはこういうものに違いない!と、この時からずっと思っているが、なかなか来ないなあ・・・。

 さて、ビーチに到着。ここのビーチはこの間のコペンハーゲンのよりさらに砂浜の部分が短く、ほぼいきなり芝生だ。自治体が設えているのか、清潔で、"ただ(free of charge)"の着替え室で着替え、芝生に大きなタオルを敷いて座る。こういう芝生のビーチはほんとに老若男女のもので色々な年令層の人がいる。ここはどちらかというと太陽を浴びる為トップレスになる為のビキニ度が高いが、グレコローマンの国々のように、女性礼賛、セクシーであるため、という感じではなく、競泳用ワンピースでもそれ程肩身は狭くない。何せ、ガタイのいい、白髪混じりのおばちゃんまでトップレスだったりするのだから・・。
 こういう芝生のビーチのお伴はやはり先程市場で買った、バナナ、マスカット、桃、林檎、苺のフルーツ盛り合わせだ。この間デンマークで驚いたばかりだから、もう驚かない。確かに水分・ビタミン・糖分補給にはいいのか?と思えるが・・・。まあ、日本ではビーチマットの上に置いておいて泳ぎに行っている間に腐ってしまいそうだからない発想なのかも知れないが・・。食と風土の関係って凄いなあと思う。夏の海辺が「ジリジリ」や「ギラギラ」という擬態語とは無縁なほど穏やかだものね。
 また、前回のコペンハーゲンのビーチでもそうだったが、ここにもそんなに規模が大きなビーチというわけでもないが、地面からポールが立てられていて、大きなスウェーデン国旗が立てられていた。救助員が座る台の上にも小さめの国旗が立っていたし・・。日本の浜辺に日の丸がはためいているところは見たことがないような気がするのだが・・。こういう風にそこここに国旗がはためいていれば部屋に国旗を飾る発想にもなるのかな?と、思った。
 そもそもなぜ国旗を立てるのか。隣国との距離が近く、区別するため?愛国心があるため?それは必ずしもファシズムにつながらないの?国旗を掲揚すること自体は決して特殊なことではないのにそれを特殊なことにしてしまう日本の特殊さを感じた。その原因を取り去るために「何か」をクリアーにして、改めて、誇りをもって、国旗(それが今と同じデザインであれ、違うデザインであれ)を掲げることから始められないのだろうか?何故、こういうことを国民全体で議論できないのだろうか・・・。
 そんな思いを持ちつつ、例によって「ただ」で清潔なシャワー室でシャワーを浴び、着替え、ビーチを後にする。

 今日はすっかり忘れかけていたが、オリンピックの開会式がある日だ。その生中継を見るTVディナーの為の材料と、明日の朝食の材料を買うために、もう一度町を一周し、久々にお馴染みのカートを押しながら行くスタイルのスーパーであれこれ買い込む。
 せっかくだからかさばらず、ここでしか買えない、ここの人によく使われている、お勧めのお土産も買いたい、というと、樫の木(?)製のバターナイフを勧めてくれたので、それを買う。何でも、それでバターを塗ると、"ジン"の香りがするそうだ。(未だにそう感じたことはないが・・・。)ここでもデンマークでも煙草やお酒(ビールを含む)などの嗜好品の値段はとても割高だ。おまけにまだ6時頃だというのにワインは酒屋にしか売っていなくてこの時間にはもう閉まっているということで、買えず、TVディナーのお伴はビールになる。
 さて、帰宅後開会式まで30分のところで3人で手分けしてディナーを作る。この家のキッチンにはそれまでの部屋で驚いたのと同じく、今までで一番沢山のスパイスや調理器具があり、こちらに来て始めて、中国式のものとはいえ、箸まであった。初めての箸で料理ははかどったが、私達にはでかい人用に作られた調理台の高さが少し辛かった。
 とはいえ、私達が受け持ったのは先程買ったマッシュルームとトマトでマッシュルームのソテー香草風味とトマトとアルファルファのサラダ・玉葱ドレッシングだけで、後のメインのメニュー=鮭のロースト生クリームソースとジャガイモ・ピーマン・人参の色鮮やかな付け合わせは日頃からお料理上手のパトリックがさっさと作った。

 ソファー前のテーブルに落ち着いた色調のピンク、黄色、ブルー、緑のグラデーションのカラフルなチェックのテーブルクロスを敷き、ピンクから紫のグラデーションの燭台とろうそくを置き、料理とお皿、カトラリー、グラスにビールを並べ、最後にろうそくに灯をともし、開会式記念TVディナー完成!テーブルにろうそくがあるだけで一気に趣のある食卓になる。参考にせねば。
 大急ぎで作った割に、どうも開会式の始まる時間を30分間違えていたみたいで、テレビをつけてもまだ始まらない様子。お陰でなかなか美味しい夕食を味わって食べることが出来た。
 それにしても食事でお腹も一杯になったところに、日本だと今頃生中継で見ることにこだわれば真夜中に眠たい目を擦って見なければならないところなのに、時差のない(?)ところでゴールデンタイムで見られるなんて!贅沢だなあ。
始まった開会式は、色が深みのある鮮やかさで、特に地元出身のオペラの大スターが次々と出てきて感動的だった。こういうのを学生の頃にスウェーデンの男の人ばかりの劇団(歌舞伎というよりは宝塚的なノリのよう。)に在籍していたり、今日も地方の仕事で帰宅が深夜になるらしい同居人の友人が舞台俳優であったりするパトリックとあーだこーだ言いながら見られるとは・・・。

 この後夜遅くまでそのパトリックの参加していた男の人ばかりの舞台のビデオを見せてもらったりしながら色々と話し込む。その当時、パトリックは女役の花形俳優だったようだ。上演するのは主にコメディーの様で、伝統のある--確か一般的にヨーロッパでもそもそも俳優といえば男だけだったはずーー劇団のようだ。是非ビデオをダビングして送って欲しいというが、こっちはPALでそっちはNSTCで方式が違うから見られないから、ということを理由に断られ、残念。こっちで何とかするからダメ元で送って欲しかった。
 また、最近アメリカに旅行に行った時のアルバムというのも見せてもらう。一緒に行ったのは女友達二人のようで、そもそも女同志や男同志で旅行しているとその

があるのかと怪しまれて泊るところに困ったりすると聞いたりするが、この手があったか。と、思う。どう見ても男女のカップル二組だもんな。でも、と、いうことは私達(私とまっちゃん)もそういう風に見られるていることもあるのだろうか?私達は別として、その女友達二人というのはそういう関係の人なのだろうか?そもそもパトリックとギュンターの関係すら、別にどうでもいいやん、と思いながらも、ちょっとそういうことを考えてしまった。まあ、考えてみたら未婚の男の人二人の部屋に泊りに来ている私達も私達なのかも知れないが(そういえばポーランドでは男の人一人の部屋に泊ったんだなあ。)、たまに女の人の部屋に泊ることになって、「一緒にベッドで寝ない?」と言われたら思わず遠慮してしまう私には超安全な環境だといえそうだ。

 そうこうしているうちに、お噂には兼ねがねながら、お初にお目に掛かるギュンターが地方公演でよれよれになりながら帰って来た。初めて能楽士以外で舞台俳優を生業としている人を間近に見る。
 どんな人か?とあれこれ想像を巡らしていたが、つんつんした前髪と少し長めの後ろ髪の髪形と、この辺では小柄(といっても175cmはあるかと思われる。)だけれどがっしりとした体格が「その道の人なのかな」という雰囲気を醸しだしている。誤解を招きかねないが、NHKの子供番組で長年歌のお兄さんをやっていて、今でも時々そういう枠で登場する"坂田おさむ"さんを何周りかでかくして、酸いも甘いも噛み分けた在スウェーデン・チェコスロバキア系(元)東ドイツ人の雰囲気をまとわせたという感じだ。離婚経験者で一女もあり、48才だというが、変に若造りしているわけではなく、とても若々しい。とても疲れているはずなのに、苦手だという英語であれこれ話してくれる。パトリックが部屋をシェアするのも判る、ほんとにいい人だ。
 またしても濃い一日を過ごし、さらに折角なのでマルメの葉書を書き、眠りに就く。ふう。

 さて、一夜明けて7月26日(日)、マルメ最後の日。午後、ドイツに向かう。
 マルメを発つのが11時でいいので、少し遅めに起きた私達を驚かせ、感激させたのは、昨日深夜に疲れて帰ってきたギュンターが、昨日私がお土産として浮世絵Tシャツをプレゼントした時、喜んで、実は僕達も友達が作ってくれたこんなものを持ってるんだ、と見せてくれたパトリックとお揃いでパトリックはクリーム色、ギュンターはピンク色地で形とエンブレムは、まぎれもなく洋風のガウンだが、なぜか(役者だからか・・)背中に浮世絵の役者絵と漢字(ギュンターのものにはドイツジンだからか「独国」という文字が)が入ったものを見に纏い、「できたてのクロワッサンよ〜。さあ、召し上がれ〜。」(その出し方が役者だけあって、ほんとにお茶目なのだ!!)とバスケットにいれて差し出してくれたことだ。
 さすがに冷凍の生地を焼いただけらしいが、ほんっっとに感激した。特に私はクロワッサン大好き!で、ああいう生地と言えば日本では「デニッシュ」と呼ばれている割にデンマークで一度も食べなかった(彼等の食卓で見かけたことがなかったので、デンマークがデニッシュパンの発祥の地であるはずだということすら忘れていたので、尋ねもしなかったなあ。)し、ここまで一度もその種のパンを食べたことがなかったので、ほんとに美味しかった。15年前に一か月のオーストリア生活でずーっとカイザーロールを食べ続けた後、ジュネーブのホテルで一か月ぶりのクロワッサンを4つ位ぺろっと食べた時と同じような美味しさだった。その他にも、昨日買ったチーズやらハムやら他のパンやらもいただき、リッチな朝食だった。

 まず、例のでかい荷物におさらばする為に、まずこの間のシティー・エアターミナルにチェックインしに行くのに例のハンサムなドライバーを揃えたタクシー会社のタクシーを呼び(この日の人も長身にプラチナ金髪までは同じだが、若さが取柄という感じで昨日よりはちょっと落ちる感じ。)移動する。SAS従業員のパトリックの助けの許、スムーズにチェックインした後、時間の許すかぎり、「ほんとは夜の雰囲気がよりいいんだけど・・。」という、旧市街を主に散策する。

 旧市街は新(と、いっても歴史がありそうだけれども)市街と比べると、昔のスウェーデン人ってひょっとして今より身体が小さかったの?と、思われるような、こぢんまりして可愛い雰囲気だ。建物のほぼ上半分が茶色い小さな瓦(?)でできた急な切り妻屋根が占め、下の部分が地上すぐのドアや窓がある赤茶色の壁の部分と木の柱の中にびっしりと煉瓦が積まれた(木が斜めになっているところには煉瓦もそれに沿って斜めに積まれている)部分とに別れている建物が特に印象的だった。
 広場にはまたまたスウェーデンの旗が立ち、その横におそらくマルメかそれが所属している県や州の旗が並んでいて、市も立っていた。ここでは街並にあった古いスタイルの公衆電話ボックスが使われていたり、車の立入も制限されていたり、街を守ることが徹底されていた。
 その車の入ってこない広場には何気なくブロンズの現代彫刻の作品が置かれ、それも目論見の一つだというように、あたかも日本の薬局前に今でもたま〜に置いてある20円くらい入れて乗る乗り物のような感覚で子供が股がっていて、そういうものも街の一部になっている様子を感じた。
 葉書も無事に出し、変な時間ではあるが、再会とお別れとまた来たるべき再会とこれからの旅がいいものであるように祈念しつつテラスでビールで乾杯して再びシティー・エアターミナルのある港に向かう。

 港にある白地に水色で文字の書かれたドックがマルメのシンボルらしい。地元の人にすれば、海にいて、これが見えてくると、マルメにやって来た。もしくは帰って来た。という気分になるものらしい。でも、これが見えてきたということは今の私達にはいよいよマルメとのお別れの合図だ。

 出発10分前に生まれて初めてホバークラフトに乗り込む。幼稚園か小学校低学年の頃に見た何かの図鑑に夢の乗り物みたいな形で乗っていたのを覚えていて、実用化されていることは知っていたが、ほんとに乗ることになろうとは・・・。出発前になると、だんだん下に空気が入って車(船?)体が浮いてくるのがわかる。窓から見えるパトリックとギュンターに手を振り、いよいよ出発。30分くらいでいきなりコペンハーゲン空港に到着する。速い!不思議!という印象。もう一度乗ってみたい。その30分の間に船内で飲み物サービスがあった。さすがSAS。
 ホバークラフトのエンジン部分にはデンマークとノルウェーとスウェーデンの旗が(SASだから当たり前か。)が描かれていた。パトリックやトルベンと話していたときに聞いた、デンマークとスウェーデンの悪口の言い合いはまだ親しみを込めつつ・・的なものがあっていいが、ノルウェーのことになるとあまりにひど過ぎて時にはテレビなどでそういうことを言っているのを子供には聞かせられないくらいで、フィンランドになると問題外、という感じなのだそうだ、というのを思い出した。

 さて、コペンハーゲン空港に到着。この建物はトルベンが絶賛していたので、時間の許す限りじっくり見ることに。白を基調としていながらも中には大きな観葉植物の緑がそこかしこに配されていたり、床などに木がふんだんに使われていて、コスタ・ボダやロイヤル・コペンハーゲンのショップもとても美しく、シャワー室や美容院なども完備されていて、トイレももちろん清潔で、合理的で使い易い上に人間に優しい、温かみのある配慮がなされていて、それは「デンマーク」の街造りのコンセプト(=国造りのコンセプトのはず)そのものであるように思えた。一国の玄関はそうでなくっちゃ!という感じがした。そんなコペンハーゲン空港内に、どういうわけか(F1でコペンハーゲン・グランプリってありましたっけ?)マクラーレン・ホンダ車が展示してあった。どうしてだろう・・・。

 登場時間も近づき、さて、いよいよ初めに返事をくれた、久々の未婚で同年齢の女友達でもあるキルステンの待つハンブルグ空港に向かって飛び立つ。