7月22日(水)コペンハーゲンに到着

7月23日(木)ツボルグ工場〜海〜中心部を観光。

7月24日(金)スウェーデンのパトリックが到着。チボリへ。

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 7月22日(水)。SK752便で13:55にコペンハーゲンに着いた。空港にはトルベンが迎えに来てくれていることになっていた。前にも書いたことがあるが、トルベンといえば77年のキャンプ当時に遠足で行ったウイーンのプラター遊園地の大して怖くないトロッコで通過するタイプのお化け屋敷でたまたま一緒にトロッコに乗ることになり、恐怖のあまり座席に座っていられず下にしゃがみ込んでしまったことがとても印象に残っている当時小さくて華奢だった子だ。
 写真を貰ったわけではなかったので、今がどうだか判らなかったが、その彼は今、向こうの方では決して大きい方ではないとはいえ、私よりはずっと大きくなっていた。(175〜180cmというところか。)が、当時の面影が色濃く残っていて、すぐに判った。そして、ここまでどこにいってもそうだったように、当時ですら大して話したというわけではなかったはずなのに、すぐに打ち解けて話すことが出来た。

 ほんとはガールフレンドも一緒に来るはずだったのが、彼女は頭が痛くて家にいると聞かされたのでそんなところに押しかけて大丈夫なの?と思いつつお邪魔すると、彼女、リーネは笑顔で迎えてくれた。そして、頭痛の原因は「つわり」にあるのだ。と聞かされ、最近撮った赤ちゃんの超音波写真を見せてもらったりして感動したり恐縮したりする。
 彼らが通っていた大学では上級生と下級生がペアを組んで下級生の指導を上級生がするらしく、トルベンの指導係がリーネだったとのこと。リーネの方が一つ年上らしい。もうここに一緒に住んで3年ほどになるらしい。こちらではどちらにしろ18才くらいになると独立するのが当たり前の考えがあり、その上で結婚という制度に縛られずに自立しているもの同志が一緒に暮らすというスタイルも非常にポピュラーで、彼らもその一組だ。トルベンは私に返事をくれた時にはRu CommunicationというPR関係と思われる会社に勤めていたのだが、今は父親になるのを契期に休職中で、子供が出来たからといって入籍せずそのままのスタイルを貫くカップルも多い中、これを契期に結婚の形を採るかどうか考え中とのことだった。
 荷物を置いて一段落したので、今こちらに住んでいるので都合が合えば会いたいと言ってくれていた当時ノルウェーチームだったメッテに電話しなきゃ、と思っていたら、メッテから預かった手紙を貰い、「とても残念だけれども今回は都合が合わなくて無理なので、またの機会に。」ということだった。残念。
また、キャンプ中デンマークチームの中で一番仲良しで、私とは高校の頃まで時々文通をしていたギッテと会えなくて残念。と、言っていたら、ギッテはキャンプの時からそうだったようにシャンプーの宣伝に出てくるようなストレートの金髪がトレードマークで非常に優秀で、お似合いのボーイフレンドと間もなく結婚というところまで来て手痛い失恋を味わい、挫折知らずだった彼女には非常にショックでオーストラリアに行ってしまったらしく、最近会った人によるととても変わってしまって心配だとのことだった。心配だなあ。それにしても、もともとC.I.S.V.erということで付き合いがある上に、小さな町で、大学に進学する精鋭達は皆同じ大学に行く環境の中では本当に京都以上に情報が通々のようで驚いた。

 夕方になり、悪阻のリーネに一本の電話があった。旧ユーゴスラビア難民に対するヨーロッパ諸国の援助状況を把握し、まとめ、報道陣に報告するというポストに就いて欲しいというものだったらしく、引き受けることにしたらしい。これまでに西ヨーロッパの人達と交わしたEU加盟問題の話といい、今日のデンマークの人がこういうポストを打診されたことといい、何だか自分も「現場」にいて、同時代を生きているんだなあ、と感じた。ただ、一方でこういうことを打診される人がここにいるのに、私にはそういうことは打診されない、という現実も感じた。
 ただ、悪阻だということも勿論あるのだろうけど、リーネに「ずっと英語で喋ってたら、頭が痛くなってきた。」と言われた時には、我がままかも知れないが、「そっちの方が言語の体系的には近いだろうに、ここまで毎日慣れない英語を話している私達はどうなるんだ!」と思ってしまった。実際、この旅行に来て以来、言語の体系が全く事なる言語を話しているために人格まで変わったかと思うほど、英語を話す時にはどこかでアグレッシブ(攻撃的と訳すとちょっとニュアンスが違うような気がする・・・。)な自分に切り替えていることに気付いた。時にはそのアグレッシブな自分でいてもいいということが心地良くも思えたが、ある時にはそれがしんどくも思えた。それにしても今回日本語の会話ができるまっちゃんと一緒に来られたということはとても大きな意味があったのだと思う。

 初め空港に来てもらえないくらい調子が悪かったにも拘わらず、「私達の世代は猟で仕留めた獲物の肉の丸焼的なデンマークの伝統的な料理はもうあまりしなくなって、こういうものの方が得意なの。」というリーネお手製のアヴォカドを使ったグゥアカモレと焼きたてのタコスといったメキシコ料理にビール、白ワインをご馳走になる。『たん熊』のお料理教室で日本料理を習い、朝は他の家族はパン食でも必ずご飯とお味噌汁を食べるというまっちゃんはどうかわからないが、ご飯がなくても別に困らず、料理も和食よりイタリア風や中華風、エスニック風といったものの方が「ぱっ」と作れる私には、先程のリーネの話には「ふむふむ。」と思えたし、テーブルセッティングの典型的な北欧スタイルだと思われる白のペンダント型の照明。白木の丸いテーブル。同じく白木の楕円形をしたプレースマットに白い食器。白木のバスケットにブルーのリネンの組み合わせ(タコスを保温しておくための入れ物。)、ブルーのキャンドル使い。等々はウイリアム・ソノマのカタログから抜け出したようでもあり、私がすぐ参考にしたい、と思えるものだったし、その他のインテリアも丁度よい高さの白のスチール製の棚に並べられたグラス等のガラス食器類も、壁に貼られた2枚の大きなモネの『睡蓮』のポスターも効かせ色はグリーンとブルーの色で統一されていて、効かせ色にする色こそ違え白地に何かを効かせるというのは正に私の部屋と同じだったし、何というか、久々に「同時代」を生きている「同世代」に会ったような気がした。彼らの英語力が非常に高い上にネーティブスピーカーでないヨーロッパ人だけに、私の英文科英語を理解してくれ、久々にほんとの意味で中身の濃い話が出来た。

 食事の後はジャーン!という感じで、15年前のキャンプの写真と、私達は丁度学校を休んでいくのは憚られたので行かなかった確かイスラエルのヌリットがオーガナイザーになってイスラエルであった(それも私達を遠ざけた一因だった)、77年キャンプの5年後のリユニオン・キャンプの写真が出てきた。特に今回訪ねた人にはあまり行った人がなかった(写真を見て、実はギリシャのリザも行っていたということが判ったのだけれども、この間会った時にはりユニオン・キャンプのリの字もでなかった。)ので、初めて見聞きするリユニオンキャンプの話が興味深かった。
 特に今回のイスラエルに行かなかったのは、ヌリットもいないし、イシャイが何度写真を送ってくれといっても変な似顔絵しか書いてよこさない妙なやつだったからだけど、「イシャイってどうだった?」と聞いたら、「リユニオンキャンプでは一般的に女の子をつけまわす変なやつって感じで、特にイギリスのレイチェルにご執心だったし、アテンドが彼しかいないんだったらやめてよかったんじゃない?」と言われ、そういえば、返事のファックスにも未だに「レイチェルの住所を教えてくれ。」と書いていたし、やはり行かなくてよかった、と思った。また、リユニオンキャンプ自体、何となく写真から感じる雰囲気からも、トルベンから聞いた話からも、やはりわざわざ遠くから参加するものでなかったみたいだと思えたし、また、今回会えなかった人で返事ももらえなかった人とはやはり縁がなかったのだな、と納得できた。

 その後、フラットからすぐのコペンハーゲンの中心街へ散歩をしに行く。もう結構遅い時間なのに、噂に聞く通りまだ日があり、緯度が高いのだなあ、と実感する。コペンハーゲンはこぢんまりしたかわいい町だ。先程述べたようなインテリアとは裏腹に町の外観はほんとに古くからのものを守っていて、それが石造りのために崩れない故もあるかも知れない建物の外観のみならず、それぞれの店先にぶら下がるサイン--例えば床屋の店先には赤と白のストライプの長靴。パンやの店先にはプレッツェル型のパン。と、いったようなもの--もまだあちこちに吊るされていて、中には最新の服や小物を扱う店が「おや?これは一体何の店?」と思わせるようなサインを出していたりして、見事に通りのアクセントとして健在だったりする。外観はそうで、内装や道路などは近代的、というのが伝統と快適さをマッチさせたデンマークスタイルなのかもしれない。京都に住んでいると、こういう点を見習うべきだと思う。
 また、もう一つ面白いと思ったのが、中心街を歩いていて色々な店(この時間でもバーなどは勿論、開いている店は沢山ある。)の前なども通りながらも、これが、純粋に「散歩」なことだ。確かにさっき夕飯も済ませたところだし、私達に町を見せたいというのもあるだろうけれども、ほんとに店に寄る気配もない。日本でならついふらふらとどこかに入ってしまったりすると思うのだけれど、とにかくこれはお散歩で、今ようやく暮れてきた午後11時という時刻なのだけれども、私達と同じように"純粋に"そぞろ歩いている人が沢山いた。

 そぞろ歩いているうちに、ライトアップされた夜のチボリ公園の前まで来た。ライトアップ、というより、建物の輪郭が電飾で飾られて黒い闇に線となって浮き出ているという感じだろうか。また昼間に来る予定をしていてくれるらしいので今は中には入らないことにして、夏とはいえかなり冷えてきたので挫折しそうになったが気を取り直し、午前0時に上がる花火を見るために向かいの喫茶店に入りテラスで熱いコーヒーをすすりながら暖まり、粘ることに。周りにもその手のお客さんが一杯だ。さすがにカウントダウンはなかったが、午前0時、チボリ上の夜空に花火が上がる。この旅で初めてみる花火でもあり、なかなか迫力もあり素敵だった。

 7月23日(木)。コペンハーゲン2日めの朝。今日もいい天気だ。朝食は中庭のテーブルで採ることに。ここ、コペンハーゲンでは元はそこにも建っていた建物を取り壊して中庭にし、それを取り囲むアパートメントの住人が共同で使えるようにするというプロジェクトが進行しているらしく、この中庭も、それを採用してできたものらしい。さすがにもとがアパートメントの敷地だっただけあってかなり広く、下は煉瓦調のタイル張りになっていて、周りにアパートメントの住人で作りたい人が作る的な花壇があり、それから一歩内側に敷地の一辺に2つずつ大きな木製のテーブルと一つに5人、両方で10人くらいは詰めたら座れる同じく木製の長椅子がテーブルを挟んで据え付けられていて、各テーブルの隅の方に一つずつバーベキューコンロも据え付けられていた。そして、さらに内側には物干場があり、大きな鉄の枠が二つ立てられ、ロープが6本渡してあった。使うには予約がいる、といった杓子定規な運用方法ではなく、窓から見て空いてたら、というような感じで基本的には譲り合いで支障がないようだ。フラットに住みながらも中庭は各アパートメントの各フラットの大きな窓が取り囲んでいるような形になっているので各フラットの日当たりも断然良くなるだろうし、便利なフラットに住みながら一戸建の庭(それも広い)の感覚を楽しめるわけだし、基本的にはアパートメントの住人とそのお客しか立ち入れないので子供にとっても安全で広い遊び場となる。もちろんどの建物を取り壊すかということが問題になるだろうし、日本の都会のように地価が高いと維持費だけでも大変なことになるのかもしれないが、ここでの取り組みは都会の生活を豊かなものにするために参考になると思った。

 さて、トルベンのアパートメントの中庭に出るドアからすぐのテーブルを自分達の食卓に設える。
 白いお皿にナイフ、多面体の透明のグラス、ブルーのマグ、コーヒーを入れた外側が白いプラスチック製の丸い形をしたほんとうにかわいくて格好いい魔法瓶(オーストリアのイングリットのところでもこれをもう少しクラシカルにした感じのもうちょっと縦長にしてひねりを加えたデザインのものがテラスでの朝食のテーブルで使われていて、これだとコーヒーが煮詰まる心配も冷める心配もないし、何と言ってもデザインが良かったので、どこで買ったか聞いてみると、これはデンマークではどの家にもあるくらいポピュラーなもので、かつ、デザインがいいのでも有名なものだそうだ。にもかかわらず、日本では一度も見たことはないものだったので、お土産にしたかったが、嵩高い為断念する。)、青いリネンが敷かれたバスケットに入ったスライスされた少々黒っぽいパン、チーズにマーガリン、ブルーベリージャムにオレンジジュースをセットする。
 ここの流儀にしたがってその少し酸味のあるパンにその場でスライスしたチーズを乗せ、ブルーベリージャムを乗せていただく。ほんとうに「最高!」だ。京都に住んでいる私にとっては、のんびりできる夏の朝に、蒸し暑くなく、さらっとしていて、蚊が来ない外で食べる朝食は何よりも贅沢なものに思える。

 今日はこれから昨夕の電話で旧ユーゴ難民支援関係の仕事に就くことになったリーネは早速そのオリエンテーションに行くことになったので(おまけに何と明日からはフルタイムで働くことに!)、トルベンと一緒にツボルグの工場に行き、海水浴をし、市内でショッピングをするというスケジュールになった。
 ここでまた海水浴、と聞き、今回の旅行と海水浴を全く結び付けていなかった私はまた「ひゃあ!」と思った。前回のアテネでもそうだったが、ここコペンハーゲンも確かに地図では海に面しているものの、とにかく京都南部に住んでいる私には海水浴といえばただただその目的の為だけに殆ど深夜ともいえる早朝に出発して、数時間現地でそれを楽しみ、混雑を避けて早めに出発しても市内に帰ってくる時にはほぼ夕飯時、という感覚なので、「ついでに」海に行く、という感覚は皆無で、何よりもその感覚がある為、持って来ているのは例の競泳用水着だけだったからである。それでギリシャでもルーマニアでも大恥をかいたのだ。(ほんとは誰も私の水着など気にしていなかったというのが正解だと思うが。)

 と、いうことで、まずは路面電車に乗ってまっちゃん待望の(?)ツボルグ工場に出発。ツボルグと聞いても酒飲みでない人は「?」と思われるかも知れないが、ツボルグとは言わずと知れたデンマーク王室御用達でもあるデンマークのナンバー1ビールだ。
 さらにバスに乗り継いで、到着。先程まで同じバスに乗っていた同じ目的とおぼしき観光客の人達が一見入口の近くに見える一つ手前のバス停で降りたのに対し、地元の人と一緒の私達は実際に入口に近いもう一つ先のバス停で降り、ぞろぞろ歩いてくる彼らを見てちょっと勝ち誇った気分になった。
間近に見るツボルグの本社屋は、煉瓦造りで蔦の絡まった見るからに歴史を感じられる建物で、最上階には一辺にだけ大きな"TUBORG"の文字が掲げられ、何と屋上には時計塔までついていた。
実際に中に入ってみると、外からはちらっと見えただけだったが、その重厚そのものの本社奥の手前にそれより低い高さでいわゆる「お
うち(家)型」の建物がいくつも連なった長屋状の建物群があることがわかり、それが私達の目的地である(工場見学用の?)工場だった。
 その建物はまさしく現代建築で、全体が白い壁、茶色の屋根で統一されながらもその縁取りは水色、薄緑、黄緑、黄色といった鮮やかな色で施され、全体を一本のリボンのように連なる青緑の蔓、紺色の葉、ピンク色の丸い小花を持つ蔦で貫かれていた。それはさながら遊園地のようで、子供の時からのツボルグファンをつくるのが目的なのかな?と邪推してしまった。
 ただ、全く趣のことなる奥の本社屋と手前の工場は重厚なアパートメントの外観とシンプルでモダンな個々のフラットの内装が調和しているのと全く同じに見事に調和していた。よく、重厚な古い建物付近に新しい建物を建て増す時に、その古い建物を模した物が造られると、素材感やそれにかける労力の違いから薄っぺらなものがくっついているような、全く調和のとれていない状況になっているのを見かけるが、ここの組み合わせはまったくその逆で、両者が共通の「良い趣味」で結ばれ、調和が保たれているのだった。
 ここに入ってすぐの駐車場の車の陰にサンタらしい人影を発見し、続いて本社屋の正面玄関に行くまでに石畳の歩道の木陰に佇むサンタクロースを見かけ、「?」と思いつつ、まさしくお城の正面玄関のような本社屋の玄関に到着する。
ここはこの建物の中でも最も蔦の密集度合いが高いようで、入口横の七宝製と思われる深緑地に金の縁取り、金の文字、そして菊(?)の紋章の入った銘板等は殆ど蔦に埋もれていて、それが何とも重厚な雰囲気を醸しだしていた。そこで特にビール好きのまっちゃんとトルベンの並んだ記念写真を撮り、いざ、工場見学へ行こうとしたところ、中からどやどやと老若男女の色々なスタイルのサンタが出てきたので再びそこに目が釘付けになる。
 先ほどまっちゃん達が記念撮影を撮ったその場所の6段ほどある石段を利用して集合写真を撮る様子。よく見ると中にはサンタの帽子に白いセーターに赤いスカートをはいたおばあちゃんサンタや、サンタ犬までいて、サンタのほかに道化役の人や、どういういわれなのか、帽子を被り、フランシスコ・ザビエルが肖像画で来ていたような襟のついた上着に膝までのズボンをはき、顔や足を真黒に塗って黒い縮毛のかつらを被ったベルベル人(?)のお小姓っぽい(歴史的にそんな人達はいたのだろうか?)子供達も3人ほどいた。
 あまりのことに「一体何事ですか?」と聞いてみると、彼らは近隣諸国も含めての一般公募で選ばれた人達で、今日はたまたま彼らがサンタの格好をしてクリスマス限定醸造のツボルグのテイスティングをしに来る日だったらしい。この南半球のクリスマスでもないのに全く季節外れな感じのする催しも、どうも恒例行事になっているらしく、テレビクルーまで来てカメラは回るし大騒ぎだった。
 その中で一番ワイルドな感じがした(かといって格好良かったわけではない。)、絵本で見る昔の木こりのようなくるぶしまでの革のブーツに膝丈の朽ち葉色っぽいズボンをはき、上はグレーの薄手の作務衣のようなものの前をはだけたような格好で、赤い帽子がかろうじてサンタという感じで、その帽子にその格好の自分の写真の丸いバッジ(昔、間寛平が宣伝していたハウバッジの枠を取ったような、アイドルの顔写真で作ってあるのが一般的な、あれ。)を付けていたスウェーデンから来たサンタさんが一緒に写真を撮ってくれ(というよりむりやり一緒に撮らされた感じ。)、そのバッジもくれた。よくみるとそのバッジにはしっかり名前と電話番号が入っていた。誰も電話しないよーだ。そういえばさっきのサンタおばあさんも白いセーターの胸元にこれと同じ形のバッジを付けていたが、きっとこれと同じものだと思う。あとで出来上がった写真を見たら、このサンタさん、実は出べそだった。
 このサンタさんから開放され、いよいよ目的の工場に向かうところで、オリエンテーションの為にどこまで付き合えるか判らないけど行けそうだったら合流するかも、と言っていたリーネが、目的地までの所要時間が正確に把握できるから、と、黒のサドルとハンドルに赤紫メタリックの細身のフレームがお洒落な、スポーツタイプだけど女性にも乗り易そうな自転車で颯爽と現れる。サングラスも決まって格好いい!クールなリーネも今日のサンタ攻勢には驚いていた。

 さて、いよいよ工場の中に。さすがにここはおそらく工場見学用に作られた場所だけあって、各自がパンフレット片手にばらばらと見るのではなく、ツアー形式で見学が出来るシステムになっている。フュッセンのお城と同じだ。そして、ここでもまたデンマーク語以外に英語、ドイツ語といった他の言語でもガイドが行われていた。
 英語のツアーを待つために、観葉植物が置かれた明るい待合の木のベンチに座ってまつ。日本では緑といえばオランダのハイネケンのイメージが強く、ツボルグは赤ラベルだったような気がするが、ここデンマーク、即ちツボルグの本拠地ではツボルグといえば緑がシンボルカラーになっているらしく、このベンチの金属のフレームはしっかり緑に塗ってあった。そんなことも話せるくらい待っていたら、ようやく英語のツアーが出発することになった。先程から何度か見送ったデンマーク語のツアーのガイドは長身でブロンドの美系揃いだったのに、何故かこの英語ツアーのガイドは今いちのルックスに加え、ひどいドイツ語訛りの英語で待った甲斐がないというものだった。
 中の工場の様子は、見せることを意識してか、全体にとてもきれいで、特にビールが熟成されている銅の容器のあるところは壁も床も凝ったエメラルドグリーンと白などの清潔感溢れる配色でタイル張りになっていた。が、ビールの匂いはすごかった。
 違う工程に行く道には両側に先程リーネやトルベンから聞いた話を示す、コーポレートカラーの緑と白で描いたどこかにビールに関することだということがわかるヒントが隠されているだけの一つのコピーもない歴代の広告デザインが展示してあったり、方向を示す標識には赤い円の枠の中をにこにことしたエメラルドグリーンの鳥が飛んでいて、その黄色いくちばしの方向で進むべき方向が判るようになっていたり、すべてがよく考えられてデザインされていた。
 リサイクルを重んじるこの国でビールといえば瓶詰めなので、瓶詰めから箱詰めにいたる工程はさすがに凄い音で、働いている人は皆耳栓をしていた。また、さすがにアル中の人も多いらしい。ここにいると飲まなくても匂いだけでそうなりそうだ。
 ツアーの最後は食堂での試飲。待ちに待ったこの瞬間!だったが主力製品が瓶詰めだからか、何といっても"只"だからか、テーブルに置かれたのはディスペンサーからグラスに注がれる泡が麗しい生ビールではなく、先程造られるのを見た瓶詰めのツボルグと他にツボルグ社がつくっているジュース類で、おつまみもなく、海水浴に行くのに何かスナックを持って行くと言っていたトルベンに「何か持ってる?」と聞いたところ、「バナナなら持っている。」という不可解な答えで、がっかり。折角ここまでは万事大満足で来ていただけに、最後の最後でみそがついた感じだった。
とはいえ、スーベニア・ショップはまたしてもかさ張らないもので充実していたので、一本抜く度に何本開けたかカウントできるというロゴ入り栓抜きと、ロイヤルコペンハーゲン謹製の例の白地にブルーの模様に同じブルーでツボルグの名前が入った磁器の柄のついた、ここにしかない栓抜きと、緑地に黄色でロゴの入った長方形なので持ちやすいハンドタオルを買った。久々に小さくて気の利いたものが見つかって嬉しい。

 予告通り、試飲の瞬間を待たずにリーネは去っていたので、トルベンと一緒にまたバスに乗り、今度は海に向かう。
コペンハーゲンのビーチは、今まで私が見たことのないスタイルで、普通私達が考える海辺は海から砂浜へと続き、それがずうっと続いてだんだん砂利から石になっていく、というものだと思うのだが、ここでは海から砂浜になり、それからちょっと行くと、いきなりコンクリートの石畳調の狭い舗道になり、いきなり芝生の丘になる。という感じだ。絵的にはビーチの半分は芝生で占められているという感じ。そして海にはヨットが浮かんでいる・・・。さっきの「バナナなら」発言はあの段階では不可解に聞こえたが、この穏やかで上品で人口密度も低く、焼きそば屋台などは死んでも似合いそうにないこの海辺では「海に行く→フルーツを持っていく。」という発想も少しは理解できるようになった。
 また、こちらの方だとトップレスまたはヌード(それはスウェーデンだったか?)のイメージがあったので、水着なら露出度の高いビキニに違いない、と思っていたのだが意外なことにこれまでで一番大人しい、大して露出もないワンピースが主流で、そうでなければ太陽を浴びるためにいっそのことトップレス、という感じだったので、競泳用水着でも大して違和感もなく、心地良かった。
 河童のまっちゃんが久々の海で泳ぎを満喫している間、私とトルベンは私のラ・ネージュ=20世紀末もしくは21世紀の茶室構想について語る。これまでは、なかなか核心が判ってもらえなかっただけに、さすがにもとRu Communicationという名の一見してサービス業なのは判るけど、何してる会社?というところに勤めていただけあって、すんなり判ってもらえて話が盛り上がり、嬉しかった。

 ちょっとほっこりしにくる的な前代未聞のビーチでの過ごし方を体験し、ラッキーなタイミングで電車に乗り込み、街へ向かう。街並みと、例によってかさ張るものは買えないので全体がステッカーになった葉書などの、小さなショッピングを楽しむ。
 今年は女王夫妻の結婚25周年にあたるため、それを祝うために街のあちこちに色々なアーティストが王冠をモチーフにして制作したオブジェが展示してあり、興味深かった。
 朝食以降、つまみ無しでビールを飲んだり、ビーチでバナナを食べたりした以外何も食べていなくてお腹が空いていたので、「何か食べない?」というと、私達は知らなかったのだが、ホットドッグの発祥の地はここデンマークらしく、その中でもお勧めの屋台というところでホットドッグを買い、デパートの屋上で食べる。ここ、本家のホットドッグのパンはオーストリアと同じで、あの日本でよくあるフニャフニャにふかされたロールパンではなく、それと形は同じだがちょっとフランスパン的な固めで外がカリッとしたもので、そこにマヨネーズと見紛うマスタードとボイルしたなかなか美味しいソーセージが挟まっていて、カリカリに揚げられた玉葱がトッピングになっていて、特にそのトッピングが美味しかった。
 通りを歩いていたら黄色と黒の縦縞のはではでなパンツスーツに黄色いヘルメットを被った女性が、普通の格好をした友人とおぼしき女性に囲まれて首から色々なものを乗せたお盆をぶら下げ、両手で持ちながら歩いていたのに出くわした。「何じゃ、ありゃ?」という目立ち方だったので聞くと、デンマークでは結婚を控えた人が友達の言いなりに何でもやらされるという風習があるらしく、これは結婚前の女性がパーティーの資金の足しに、そんな服を着せられてお盆の上のものを売らされているところだそうだ。
 また、途中で、翻るデンマークの旗の図柄に「何月何日、デンマークがドイツを何対何で破る!!」という文字の踊るTシャツを見つけた。最近の国際試合で物凄い番狂わせが起きたのを記念してのTシャツということだ。このことを見てもこちらでのサッカー熱の凄さが判る、と思い、買おうかなあ、と思いながらも、あまりそのことの値打ちが判るわけでもないし、次はドイツに行くし、と、買わなかった。買っておけばよかったなあ。デザインも単純に白地に赤ですっきりしてたし、嵩ばらないし・・・。
 一通り、まだ日の高い街を見物し、最後に今日の夕飯になるバーベキューとサラダの材料を買うべくコペンハーゲン名物の新鮮な魚屋さんでサーモンと小海老を仕入れ、八百屋さんではマッシュルームを買い、家路に着く。途中向こう側にかぐや姫が出てきそうな竹をスパッと切ったような形のプラネタリウムが見える湖畔の広場を通り、そこで黄昏時を過ごすのがとても心地いい、と聞き、今はまだ日が高いが、納得する。

 フラットに帰ると今日はオリエンテーション等でお疲れのリーネに代わって私達が料理をする。と、いっても、レタスとアボカド、小海老と卵のサラダだけだが・・・。メインディッシュは先程仕入れた立派なサーモン(贅沢!)と玉葱とマッシュルームのバーベキューでトルベンが担当。味の決め手となるソースはリーネ作のアボカド入りメキシコ風だった。
 例によって中庭のテーブルにセッティングして、共同のバーベキューコンロを使う。快適で美味。一日でこれだけ盛り沢山のことをしたのにバーベキューをしだしたときにはまだまだ日が高かったが、さすがに日も暮れて来た頃、突然「この辺まで来たので。」という、トルベン、リーネのお友達のノルウェ-のC. I. S.V.erのカップルが乱入してきた。
 彼らがメッテのように今はここに住んでいるのか、たまたま夏休みでこちらに来ているのか、そこのところはよく判らなかったが、とにかく国内のC.I.S.V.erはもとより(と、いうわりには当時のデンマークチームの後二人、私とたまたま一緒にホームステイに行ったウラともう一人の男の子(あっ!キャンプのメンバーの名前は全員空で言えるのが自慢だったのにど忘れしている!!)の噂は聞かないな・・・)ノルウェーのC.I.S.V.erとも結束が固いなんて!
 私達のキャンプの時はアジアから参加していたのは日本だけだったとはいえ、仮に中国や韓国のチームが参加していたとしても、やはり海で隔てられている以上、いくら航空運賃が安くなっているとはいえ、ビジネスならともかく、フレンドシップではこんなふうに気楽には行き来できないのだと思う。この間のポーランドのクリストフの女友達が夜10時からパリに車で行く、が、まず衝撃的だったけれど、地続きなのと島国なのとはほんとうに感覚が違う。また、C.I.S.V.er同志の結び付きが強いところと弱いところがあるとも思った。ここや、オーストリアは特別強いようだ。
 日本の場合、キャンプを終えた後にジュニア会の行事に参加して、そこにハマらないかぎり大体チームはそのための寄せ集めだし、たまたま元々友達だった人と行くことにならない限りは一緒にキャンプに行ったチームの人同志ですら消息が判らなかったりすることがしばしばで、私の場合もたまたまこの旅行を企画したことでまたチームのみんなと行き来するようになったが、チーム外の人となるとパラパラそれ以外のことでも接点があった人を知っているくらいだ。むしろジュニア会報などはとても「身内ノリ」が感じられ、その人達が企画したことに乗る気にはとてもなれなかった。
 また、脱線してしまった。結局彼らも交えて色々と話したが、私にはまっちゃんが「日本人は外身は黄色いが中は白い(白人的感覚)なのでバナナといわれている。」(さすがにイエローキャブの件は言っていなかったように思うが・・)ということを発言したのに「わざわざそんなこと言わなくっても・・・。」と思ったことくらいしか覚えていない。彼らが帰って、バーベキューはお開きになった。

 かなり疲れているはずなのに、一日が24時間でないような充実した一日は体をハイにさせ、トルベン達にお休みを言って別れてから、明日からスウェーデンになるかも知れないのでさらに荷物をまとめて、葉書を書いて、寝た。おやすみなさい

 7月24日(金)さて、今日はお昼に中央駅でパトリックと待ち合わせ、初日に外から花火を見たコペンハーゲン名物のチボリに行くことになっている。そして、彼らの協議によって、今日中にパトリックの住むマルメに移動するのか、もう一泊ここでするのかが決まることになるのだ。

 と、いうわけで、ひょっとするとコペンハーゲンはこれまで、ということになるのかもしれないので、かさ張る白くて丸い魔法瓶を諦めた代わりに、アパートメント付近の店で、私も彼らが使っていて気になっていて、トルベンとリーネにデンマーク的で、且つ、使い易いと推薦してもらった"マジック"(彼ら曰く)チーズカッターを買う。ディナーナイフを細長くしたような形状で、白いプラスチックの柄に、真ん中に長いステンレスの棒が出ていて、その両横にその棒との距離が事なる(要するに切れる厚みが異なるようになっている。3mm幅のか5mm幅かというくらい・・・。。)ワイヤーが柄から棒の先の金具までついている、というもの。これでチーズの表面を撫でると2種類の好みの厚さのスライスチーズが出来上がるというわけだ。私はまだこれを日本では見かけたことがないので家用と、叔母へのお土産用を買う。

 そして、コペンハーゲン中央駅へ。ここの駅舎は物凄い天井高の木造のアーチがとても美しい(確かもともと駅だったというパリのオルセー美術館の写真もこんな感じだったと思うが、スチールか何か製ではなかったか?)。この木製のアーチが美しいデザインでトンネルのように連なっていて、しかも現役というのは結構日本のお寺の建築並に凄いことなのではないか?と、素人の私は思ってしまう。
 その駅舎の内部にまるでポーランドで見かけた子供のままごと用のおうちのような赤い屋根の、行き交う人がでかい割にとても小さなピッツェリアがあったり、そこかしこに白いプランターがあり、緑があるのがとてもデンマークらしい感じがした。また、中に郵便局もあり、そこから昨夜書いた葉書を出した。ヨーロッパの主要な駅では「駅前」ではなく「駅構内」に出張所的な郵便局があることが多く、とても便利だった。

 ともあれ仕事先から直行なのでサングラスに白い半袖のカッターにネクタイにチャコールグレイの長ズボン姿のパトリックに無事会うことができ、いざ、チボリへ向かう。
 パトリックはやりとりしたファックスから想像した通りの知的な今風の人で、キャンプ当時のキャンプ地がオーストリアだったからかチロリアン・ハットにギンガムチェックのシャツに的なスイス・オーストリアの民族衣装的な格好にでかい眼鏡が印象的な歌のお兄さん的役割のジュニア・カウンセラーだったという面影は、話してみての内面では残りつつも、外見からは殆ど払拭されていた。相変わらずでかい!という事以外・・・。
 チボリに到着。この間、夜花火を外から見に来た時に、チボリというところは単なる遊園地というよりは植物園でもあり、子供からお年寄りまでは楽しめ、あらゆるコペンハーゲン(デンマーク?)っ子から愛されている。とは聞かされていたが、ほんとうにその通り!の光景が広がっていた。
 今日は夏のバカンスシーズンとはいえ、金曜日でごみごみしない程度に大勢の人出で、年令層もほんとうに子供、若者、中年、お年寄り、あらゆる世代のバランスがとれていた。別にアトラクションが色々あるわけではなくても、そこかしこに美しく整備された緑や花があり、水があり、噴水があり(何と虹がかかっているものまであった!)、腰掛ける場所があり、「絶叫マシーンに争って乗ってなんぼ」、もしくは「乗るまでに数時間待ちが当たり前、でそれで平気(私は平気じゃないけど。)」的な日本的(=アメリカ的か?)世界とは対極の、豊かな穏やかな世界があった。
 まず、入ってすぐに見かけた何げなく立った普通の街灯のように見える「トイレはあちら」の矢印の下にあった、「ご婦人」・「殿方」の表示が男性は昔のピエロのシルエット、女性はバレリーナもしくは全体としてサーカスのイメージなのだとしたら、そういう格好をした空中ブランコ乗りの女の子のシルエットで表示してあるのの控えめで上品且つ的確で夢があるところに妙に感動してしまった。
 また、風船売りが園内に立って風船を売っている姿が目を引いた。風船の色は黄緑、黄色、赤、ピンク、白、紫、青、黒ととてもカラフルで、うさぎの形やミッキーマウス的な顔の熊か鼠か?の形のものにはそれぞれ胴体までついていて、その2種類と人気を3分するから同じ位の数があるのか、日本では考えられない芋虫のキャラクター(それが日本のうさぎの風船と同じパッチリした目をして、にっこり笑っていて、なんと触角まであるのだ!)まであり、百個位を文字通り束にして売っているのだ。晴れた日の緑溢れる園内の風船売りの姿はほんとうに美しかった。さすがに買って帰るわけにはいかないので、写真を撮るので我慢した。パトリックはそれを見て子供の頃買ってもらった風船を間違って飛ばしてしまって以来風船は嫌いだと言っていたけれど・・・。
 そうして歩いていたら偶然お友達と来ていたというトルベンのお母さんとばったり会って、驚いた。トルベンのお母さんがシャープなショートカットのブロンドに白いパンツに白いタンクトップに白いベストに白く下がるピアスに素足に白に黒を効かせた革のエスパドリーユっぽい靴といった出で立ちのバカンスを楽しむ都会の上流婦人を絵に描いたような人だったのにも驚いた。確かにトルベンはおっとりした感じではあるが、全然嫌味な感じのない人なので・・・。(いや、勿論お母さんが嫌味な感じの人だというのでは全然ないのだが、ちょっと系統が違う感じなのだ。)まあ、若者のトルベンの方は、私達おのぼりさんの案内で来ているという意味合いも大きいだろうけれど、それにしても、そこそこの年令の親子が別々の友達と来て遭遇してしまうような場所、それがチボリなのだ。
 途中、職場にいるリーネに電話を入れてみるが、初日から仕事が忙しく、合流することが出来ないということで残念だったが、このでかくてこの場所には不似合いなネクタイ姿のスウェーデン人と、ここでは比較的小柄でこの場に相応しくティーシャツに短パンに、ソックスに靴(この辺がヨーロッパ人か?)のデンマーク人と小柄な東洋女性二人の謎の4人組はキャンプの時の話からスカンジナビア諸国の関係まで話が盛り上がった。私個人的にはトルベンと日本とデンマークの大学(生)事情について話込んだことが印象に残っている。パトリックはここに不似合いな格好でどこでもデカい声で話し(トルベンによると、その辺が典型的なスウェーデン人だということだが)、誰よりも目立っていた。
ここでは珍しく、並んで乗らなければならない人気の観覧車のようで観覧車でないアトラクションに乗って、最後に由緒正しい見るからに歴史のありそうな煉瓦造りの、てっぺんにはデンマーク国旗がはためく正門をくぐり、チボリを後にする。来てよかった〜。

 4人でトルベンのフラットに戻る。よく考えてみたら、リーネとパトリックは初対面だ。でも、事前に噂を聞いていたのと、両方の人柄で、パトリックが簡単な自己紹介をしたらすぐに前からの知り合いのようになっていた。
 パトリックはまず、シャワーを借りると、渋目の赤の長袖シャツに、砂色の短いチノパンに、昔とはうって変わって今主流のアルマーニ的な小さなフレームの眼鏡といった格好に早変わり。よく見るとお腹がちょっと太めだが、パッと見はアルマーニのパンフレットに出てくるモデルといわれても別におかしくない感じだ。スカンジナビアンは得だなあ。

 さて、今日はこれからいよいよコペンハーゲン最後の晩餐だ。今日も天気がよいので最後は肉のバーベキューで行こう!ということで、すっかり馴染んだテラスのいつものテーブルで男性陣が串の用意をし、私とまっちゃんは「えっ?こんなものでいいの?」という感じだった昨日のサラダが意外と好評だったので、再びサラダを用意することに。おめでたプラス初仕事のリーネは肉用のスパイシーなソースを担当。男性陣が担当した串は、料理ならお任せ!のパトリックのアイディアか、ミートボール・鳥肉・牛肉・玉葱・赤ピーマン・トルネードスタイル(要するにベーコン巻)のミートボール・マッシュルーム・鳥肉・赤ピーマン・玉葱・牛肉が長い一つの串に刺さっているというもので、それにリーネのソースが絶妙で、私達のサラダもさっぱり(いい意味で!)で、白ワインとともに美味しくいただいた。

 初めは夜ここを出発してマルメに向かった方が・・などと言っていたのだが、そのうち話の盛り上がりも収拾がつかないほどになり、ただソファーベッドは私達が占領しているので如何にデカいパトリックの寝床を創り出すか?ということが問題となり、それは「よくもまあ、こんなものがタイムリーにあったものだ」、という感じの本来海辺用のエアーマットにクッションを敷き、毛布を掛けるということで解決できたので、キャンプのことから仕事のこと、例のEC加盟問題などなど安心して夜更けまで語り合うことが出来た。
 時折語学の達人パトリックがデンマーク語で(スウェーデン人で、理解できるかどうかは別として実際にデンマーク語を話そうとする人は少ないらしい。)彼らと話していると、喉の奥から出てくるその響きに圧倒されると同時に、そういう発音が出来れば他の言語はその気になれば何でも発音できるはず→だからスカンジナビアの人に語学の達人が多いのか!と、納得した。まあ、考え様によっては私がここにこなければリーネがパトリックと会うこと、トルベンとパトリックの再会もなかっただろうし、例えそれが一度の出会いでもこれだけ話が盛り上がったんだったら、いうことはない、と、一期一会の場を提供した茶室の亭主(=まさに私がやっていきたいこと)の気分で嬉しかった。またしてもルーマニアとはまた違った意味で濃い日々だった、と思いながら眠りに就いた。