7月15日(水)ネプトゥンへ。

7月16日(木)黒海リゾートを堪能

7月17日(金)ブカレストへ帰る。

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 7月15日(水)。昨夜の浴衣への盛り上がりが冷めやらぬうち、いよいよジムニチェア出発の朝に。「あの日用意していたやつがまだ残っているので折角だから飲んでいって!」といわれ朝からモーニングシャンパンをよばれて再会を誓ってルミニッタ宅を辞す。

 マリウスは無免許だがエンジニアで車のメカには詳しいから、と、私達のカローラの車庫出しをして得意顔。だが、やっぱり無免許運転は怖いので、車を奪い、ブカレスト経由で着いた時からマリウスがお勧めの「Black Sea Coast=ブラック・シー・コースト(最初は何のことだか判らなかったが、=黒海の海岸」へ。黒海沿岸は最大の都市コンスタンツァに行く手前に幾つかのリゾートとして開発されたサタン、ジュピター、というように惑星の名前が付けられた人口の街があるらしく、今日の目的地はその一つ「ネプトゥン」であるらしい。
 ブカレストまではパウロに教えてもらった道を行ったら、整備されたきれいな道ばかりで、来る時とはえらい違いのたった2時間で着くことが出来た。距離からしても、本当はこうでなければならなかったのだ。改めてやはり車の免許を持っていないマリウスのナビゲーターぶりに不安が・・・。その後、その不安は的中し、そこからネプトゥンまでの道のりは、突如として全く舗装していない道になったかと思えば、ペーターのような少年羊飼いに率いられた沢山の羊達が道を渡るのを待たなければならなくなったり、そしてそのペーターに道を尋ねたり、かなりの広さの幹線道路で突如Uターンを切ることを余儀なくされたり(この時はまっちゃんの運転だった。石田先生ありがとう!)、言われるままに行って、道を間違って、そのことを指摘すると「もちろんこっちだ!」と、さももともと自分はこちらに行くように言ったかのように言って、自分の非を認めないマリウスにまっちゃんがキレ、「このオヤジ」呼ばわりするなどの喧嘩もし、苦労に苦労を重ねた末、ようやく夜遅くに、この辺では問題のないことのようだが、ホテルの予約もないまま辿り着いた。

 まず、ホテル探しをする。たいそう人で賑わっているので、初めに当たってみたいくつかのホテルは満室だった。リゾートでホテルといっても世界中にチェーンがあるリゾートホテルグループのホテルがあるわけではなく、みんな部屋数は少なそうだ。結局、バスなしトイレ、シャワー付きの部屋があるホテルに落ち着けることになった。ルーマニアの人の年収を知っているだけに、ナビゲーターのマリウスの分も私達が払う(と、いっても、ここでもレンタカーを借りるときと同じく、外国人とルーマニア人との2重料金が設定されていて、ルーマニア人であるマリウスの分は、私達と比べるとかなり格安ではあるのだけれど・・・。)ことになり、マリウスはここでルーマニア人であることを示すため、出生証明書を示すのだった。 ルーマニアの人は私達の戸籍謄本のような意味を持つ二つ折り、小さな写真入りの出生証明書を私達の免許証のような感じでいつも携行している。その証明書を示すことによって、「私はルーマニア国民で、母はこの人。父はこの人。住所はここに在り、いついつ生まれた者です。」ということを証明するわけだ。私達のように戸籍が国に完全に管理されていて、貰えるのはその「謄本(=コピー)」で、さらにそれは個人のものではなく、家族のものなのだというのではなく、あくまでも証明書のオリジナルを管理しているのは本人で、それはあくまでもその「本人」のものだ、というのとでは国に対しての考え方や「家」についての考え方が違うのではないか、と、思った。日本のシステムに馴れている私からすれば、仮に再発行をしてもらえるにせよ、そんなに大切なものを自分で持ち歩くのはリスキーなような気がするのだが、それは「国に依存していて管理されていることに何の疑問も抱かない」ことの裏返しなのだろう。ルーマニアがついこの間まで共産主義の国で、そこの方がこの個人が携帯するシステムをとっているのが面白いと思った。尤も、携帯しなければならないくらい提示しなければならない機会も多いということなのだろうけれども・・・。
 話は横道にそれたが、と、いうことで、今日の宿の件は一件落着した。予約なしでホテルに泊ること自体初めての経験でドキドキした。まず、駐車場に車を移し、部屋に向かう。私達とマリウスの部屋は隣同志だ。部屋のつくりは何というか、縦長で、手前にトイレと一人が立ってシャワーを浴びるのがやっとの細かい黒のタイル張りのシャワー室があり、奥にベッドがあるのだが、幅が狭いのでツインといっても縦に二つが並んでいる感じで、その奥にベランダに続く窓があり、窓からベランダに自由に出入りでき、洗濯物を干せたりもする。

 取り敢えず荷物を入れ、外に散歩に出る。外は丁度黄昏時で、同じようにリゾート地の夜の散策を楽しむ人達でにぎわっていた。何でもこの黒海沿岸は安くでリゾート気分を味わえるということで、ルーマニアからだけではなく、主に元東ドイツの人達などの他のヨーロッパからも沢山人が来ているということだ。ルーマニアに来て今まで設備では負けたと思ったことはなかったが、海のリゾートでは負けた!と思ってしまった。ギリシャでもそうだったが、この旅で海に来て、つくづく私に唯一馴染みのあるあの日本海の海水浴場というのは一体何なのだろう?と思ってしまった。
 ここ何年かは行ったことがないのでひょっとしたら変わっているのかも知れないが、あの海の家といいつつ将棋が並べてある上にござが敷いてある空間をちょっと囲っただけ、という風情で、一般的にクソまずい系の食べ物しかおいてなくて、温水シャワーに幾らか払わなくてはならず、着替える場を確保するのもなかなか難しいような施設しか存在しないあの海辺。一度仕事で海水浴とは全く関係のない時期に湘南地方に行き、江の電に乗った際、太平洋側の海の風情が全然違うこと。松がパインツリーに見えてしまうような明るい感じに度肝を抜かれ、海といえば湘南!という感覚で育った人と、海といえば日本海!という感覚で育った人とでは違うんだろうなあ・・。と、思ったことがあったが、まだ海岸自体をこの目で見たわけではないが、多分この黒海沿岸は規模からいっても湘南の海水浴場より大きそうな感じで(彼の地の海水浴場自体もこの目では見たことないけれども、あの「芋の子を洗う」テレビが映す風景からして)、参りました!と、思ってしまった。
 こちらは完全に、「リゾート」として開発されていて、いろいろショッピングができるお店があったり、大きくてショーをやってたり、コンサートをやってたりするレストランがあったり、ディスコがあったり、サーカスのテントまであったり、ボーリング場もあったりする。海辺で過ごした後のケアが十分考えられている感じだ。尤も、ここはどこに住んでいようとルーマニアの人にとっては唯一の海辺で、日帰りで来る人はまずなく、みんな一年に一度のバカンスを存分に楽しもうと気合いが入っているから、あんな海の家しかなかったらたいへんなことになるのだろうけど・・・。
 と、いうわけで、予期せぬ垢抜けたリゾート地の雰囲気を味わった=マリウスがどうして黒海に行こう行こうというのかよく判った(きっと自分が一番行きたかったに違いない。)私達は、野外のステージでバンド演奏をしているのを見ながら外のテーブルで食事ができるレストランでこの地方名産の白ワインと、またか、のポークチョップを食べた。メニューにはもっと色々なものがあって、違うものが食べたかったのだが、そういう意味ではここ黒海地方もご多分に漏れず、書いてあっても実際にあるのは一つか二つだけ、だったのだった。それにしても、ルーマニアではどうしてこう家では美味しいのにレストランでは美味しくないのだろうか?白ワインはなかなか美味しかったけれどもそれは料理ではないし・・・。

 食事を終え、たいがい疲れたのでホテルへ戻る。部屋の前まで来て、互いの部屋に分かれる時に、マリウスから「大事な話があるから後で部屋に来て欲しい。」と、言われる。

 --ここで、私には何の話かピンと来たが、ここまでは話の進行の邪魔になりそうで一切触れていなかったので、私以外の人には何のことだか全然判らないと思うので少し伏線を説明しようと思う。溯れば、確かバラオルトでビールを飲みに行った時、テーブルの上に手を置いていたらマリウスが手を握ってきたのが最初だっただろうか。私も嫌だったら手を払いのけるタイプだが、嫌ではなかったのでそのままにしていた。
 私は実はそこそこ占いフリークなのだが、この1992年は、四柱推命で見ても、六星占術で見ても、西洋占星術で見ても「結婚の年」だった。ところが、その時私はフリー。それも相当好きだった人には女としてみてもらえないことが確実になっていたし、その前にこの人がいいのでは?と思った人とも「やはり違う」ことが判った後だった。ただ、じゃあ、この旅行に最初から賭ていたのか?と思われるかも知れないが、それは全くなかった。どうしてかというと、そもそも77年のキャンプに参加して以来「外人(欧米人)に対する憧れ」は全く消えていたし、その当時にいたっては「日本人でしかも関西弁の微妙なニュアンスが判らない人は考えられない!」とまで思っていたし、実際同じ年の3月にフランスで知人の日本人女性と会った(その人が5つ違いの同じ誕生日と知りびっくり!)時、その人のボーイフレンドがフランス人で「ひょっとすると結婚するかも。」と聞いた時にも、先の「関西弁云々」説を持ちだし「私には考えられない。」的なことを言ったくらいだからだ。その夏の時点では、まだフリーであるにも拘わらず、「あなたの本当の姿を理解してくれる、真面目で優しい男性が現れるはず。」ということをひたすら信じていた、というだけだった。
 で、その手を握られた時点で、マリウスは私のことを結構好きなのではないか?ということは大概いい年なので判った。そこで、その手を払いのけずにそのままにしていることにも責任があるな、とも思った。私にしてみても「ゲーム」を楽しんでいる場合ではないのだ。そして、その後、バラオルトでツインピークスを見て不覚にも眠ってしまった時でも、隣がマリウスで、確か肩に凭れて眠ってしまった事は何となく覚えている。その時マリウスが「見て、ユキはこんなとこで眠っちゃったよ!」みたいなことをみんなに言っていたことも・・・。
 また、バラオルトを発つ前に一面の原っぱで記念写真を撮る時にカメラマンから被写体になるべく走っていった際によろけた時もマリウスが得意気に受けとめてくれた。その後も私が運転していなくて後部座席に乗っている時にもマリウスが手を繋ぎに来ていたかなあ・・・(残念ながら、この辺のことは私よりまっちゃんの方が詳しいと思う。)。ジムニチェアでの最初の夜に初めてダンスした時にはほんとうに嬉しそうだったし、次の夜(即ち昨日の夜)、浴衣に着替えた時に、「明日大事な話をしたい。」といいながら、ほんとうに久しぶりのバードキスっていうんでしたっけ、ようするに鳥みたいに唇と唇で「チュッ」とやるやつ。ディープキスの対語。をされ(それをクリスチャンに目撃されにっこりされる場面もあったりしたが・・・)、その時は、この人ほんとにここまでしかやったことがない真面目な人なのかしら?とにかく私のことをかなり真剣に思ってくれていることには間違いがないので、とにかくこちらも誠意をもって応えないと・・いい加減なことをして傷つけては大変だ!と、思っていたのだった。----

 と、ここまでがこの件に関してのここまでの伏線だ。そこで、「大事な話があるから部屋まで来て欲しい。」と、言われたのだった。ここまできたら、話の内容は「付き合って欲しい。」か、いきなりそれはどうかとも思うが「結婚して欲しい。」のどちらかだと思いつつも、とにかく行かなくては、と、思い、まっちゃんに断って、隣の部屋に行くことに。ひょっとしたら帰ってこなくなるかも、とも思ったので、「悪いけど、ご免ね。」と、言うと、「くれぐれも間違いのないように。」という忠告とともに送り出してくれた。一体この場面で「間違い」って何?と、思ったが・・・。

 部屋に行くと、真剣な面持ちのマリウスがベッドに腰掛けていた。「話って何?」と尋ねると、「Be my wife. Be my love for the rest of my life.」と言われた。それまでのマリウスの英語力からすると恐ろしく素晴らしいプロポーズの言葉がでてきたことに驚きを覚えると同時に感動してしまった。私は「yes」と即答したのだっただろうか?そこのところはよく覚えていないが、とにかく「父が亡くなり、母が一人でいるのと、家と建物を相続してしまっているのと、新しく仕事をしようと建物を建てているので日本を離れるわけにはいかないが、それでもいいのか?」ということと、これはルーマニアの人に言ってももう一つ判らないだろうとは思いつつ、「家に現在特別な家業があるわけではないけれども、近い親戚が結構大きな会社の社長をしてたりして、それを嫌がる人もいるけど、それどもいいのか?」ということを聞き、「大丈夫。」という返事は貰ったが、とにかく、「気持ちは嬉しいけれども今はそう言っていても、実際に日本に来てみたら言葉も習慣も違うしこんなはずじゃあなかったと思うかもしれないし、とにかく一度日本に来てみて、それでも気持ちが変わらなかったら結婚しましょう。」と言ったことは覚えている。
 その辺りのことは「病気(エイズのことか?)は持ってないか?」「今までに経験は?」と尋ねられたことから始まったベッドの中で話したのだと思う。国籍や言葉の違う人とそうなるのは初めてだったが、プロポーズにせよ、その他の条件のことにせよ、その他諸々にせよ、今まで「英語」で話すなんて考えても見なかったフレーズがお互いスイスイ口をついて出てくるのにはほんとに驚いた。以前、「この人かな。」と思ったことのある人が、据膳食えるタイプの人で、自分は好きでありながら、相手はそうでもない状況での行為に得も言われぬ空しさを感じたことがあるだけに、今回は、ほんとうに愛してくれているのだということがひしひしと伝わってきて、ほんとうに嬉しかった。

 7月16日(木)。実は私達がベッドにいる時から隣の部屋にいるまっちゃんが手持ちぶさたなのは判るけれども、どうも洗濯をしては絞って「パンパン!」と引っ張って皺を伸ばしては、ベランダに干しているのが手に取るようにわかって、私もマリウスも気になっていたのだが、一夜明け、部屋に帰った時にドアを開けたら「一人でいて、泥棒でも入ってきたら大変やし・・・。」という事であるらしかったが椅子などが渦高く積み上げられていてバリケード状態になっていてちょっと驚いてしまった。でも、とりあえず確実にマリウスと過ごせるルーマニアでの日々はあと4日弱しかないのでそんなことは気にしてられない。 まっちゃんが「泥棒よけ」というものはあくまでも「泥棒よけ」と受けとめ、昨日マリウスが買ったパンとトマトなどでまっちゃんと私の部屋で、3人で朝食を済ませ、午前中からビーチへ繰り出す。

 ビーチは予想通り広くてとても綺麗で活気はあるけれど芋の子洗いとは程遠い感じ。向こう側に砂洲の様なものが見えるのが一番ゴージャスなビーチで、その昔チャウシェスクが世界一美しいといわれるアメリカ西海岸の砂浜の砂をわざわざ運ばせて造った(ブカレストの御殿もびっくりしたけど、ほんま無茶しおるなあ!)人口の砂洲で、以前は共産党要人しか利用できなかったらしい。美しいホテルもあり、今ではお金さえあれば誰でも出入りできるようになったということだ。
この黒海が黒海と言われる所以はその深さと塩分から来る黒い色にあるらしいが、美しい砂浜が普通に泳ぐ分には暫く遠浅に続き、急に深くなり、そこからはずーっと深く、黒い海が続く。そういえば水平線の手前くらいからはかなり色が濃くなっているのが判る。
 ギリシャと同じくここでも殆どどんな人でもビキニ!体形が崩れていようが何であろうがお構いなしでビキニ!である。そして、ここでもまたそれしか水着の持ち合わせがなく、わざわざ買うのも憚られる私達はワンピースだ。夕べからマリウスとは一応ステディーになったのに!である。マリウスはドナウ川のときから気になっていた謎の赤地に黒の水玉のビキニなのに・・・。
 ドナウ川で泳げなかったフラストレーションからか、夕べのフラストレーションもあるのか、まっちゃんは競泳用水着の利点を存分に活かし、河童のように泳ぎまくった。私はもともと泳ぐことが好きとはあまり言えず(持病の鼻炎と無関係とは言い難い。)、この競泳用水着を買うきっかけとなった京都グランドホテル(当時)のプールで踏水会の先生が来て、大人の女性だけの教室でクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライを教えてくれる、というのに参加して一応一通り泳げるようになったものの、かつて、大して闘争心がないくせに武道がやってみたくて、武道のクラブと言えばそれしかなかったので始めた剣道でも初段が取れたらあっさりやめてしまったように、その時も、そもそもバタフライが「できるようになること」が目的だったのでもう今更泳ぎたいとは思えず、その似つかわしくない水着で浜で甲良干しをするか、水辺で遊んで貝殻を拾うかで過ごした。
 いい加減お腹が空いてきて、マリウスが「今何時?」と尋ねたが、二人とも「時計はホテルの部屋に置いてきたので判らない。」と答えると、マリウスは「では。」と、ばかりに印をつけ易くする為にまず海水を瓶で汲んできて水をまいて砂浜を濡らし、そこに棒切れで丸を描き、何かをもとに4分割したところに印を描き、「インディアンの昔からの智恵。」といいつつどこからか鳥の羽根を拾ってきて真ん中に突き立て、日時計を作り、「2時頃!」と、言った。近くで甲良干しをしている人を捕まえ時間を聞くと、結構近い時間だったのでマリウスは得意になっていた。些細なことかもしれないけれど、こんな風なサバイバルの智恵が自分には全く欠けているので、私には頼もしく思えた。

 2時頃だと判ってすぐ、お昼を食べにレストランに行くためにビーチを後にして着替えた。今度ここに来るときは絶対ビキニだ!
 お昼はマリウスご推薦の「インスラ」という名前のシーフードレストランに行く。コテージ風の建物があり、その中でも食べられるようだが、メインの席は屋外の中庭で、柳の木が綺麗な木陰を作っていて、ルーマニアの伝統的な織物のテーブルクロスが掛けられた上に、白いクロスと天板と同じ形のガラスが置かれた丸テーブルに、テーブルクロスと同じ織物が座面のカバーになっている何とかいうデザイナーの椅子(全体が細めのワイヤーでできていて、背のところがそのワイヤーで格子になっていて、全体に白の吹き付けの塗装がしてあるやつ)がセットしてあり、全体にとても垢抜けた印象だ。
 メニューも豊富で、しかもここでは珍しく、殆ど全部がオーダー可能だったので、ジムニチェアで食べて以来病み付きになってしまった「イクレ(鯉の卵のテリーヌ風)」を前菜にして、メインにはメニューの中で一番小さそうだった鯉の揚げ物を頼み、飲み物はムルファトラーの白ワインにすることにした。
 まず、前菜と共に、ワインが運ばれてきて、当然のようにシフォンが運ばれて来たのでシュプリッツにし、乾杯する。とてもおいしい。また、前菜のイクレも歯応えがよい。次に出てきたメインの鯉は、切り身のくせに、あまりに大きくて驚いた。そもそも前菜になっている、卵の大きさが卵の大きさだけに、この辺りの鯉は、私が日本の「鯉の飴だき」や中華の「鯉の唐揚げ」で想像していた鯉の大きさとは比べ物にならないようだ。さすがタンカーの通れるドナウ川産だけある。でも、調度品や雰囲気が洗練されているだけに、お料理もパンもワインもおいしくて、久しぶりにレストランに来て値打ちがあったと思えた。

 今回は一度元のまっちゃんと同じ部屋に戻り、今まで街にでる度に物色しながらもまだ手に入れることが出来ていなかった絵葉書を買いに行くべく街に繰り出す。色々なものがルーマニアには珍しく揃っていて、しかも各地からリゾート客が訪れるこの地にあっても、意外なほど土産につき物の風景写真入りの絵葉書は売っていず、手こずる。最後の神頼みで、ひょっとしたら!の、郵便局に閉まる直前に行ったところ、ようやく、官製で、殺風景な(?)ものではあるが、何種類か見つけることが出来、日本までの切手も一緒に買うことが出来、ほっとする。
 一軒落着したので、遅くまで開いている店をウインドウショッピングしたり、移動遊園地レベルではあるが、ここには遊園地もある(気が利いている!!)ので、そこでジェットコースターに乗ったりして(77年のオーストリアで気付いたことだが、ほんとにこちらの人は満足に安全ベルトもないみたいなやつに手離しで乗ったりする。確かに回転や立ち乗りのレベルではないが、かつて高校の卒業クラス旅行で沖縄に行った時に海洋博の跡地のえらい古いジェットコースターに乗り、その「いつ壊れるか判らない」怖さに絶叫したことがあったが、今回もちょっとそういう意味で怖かった。それなのに手離しで乗るとは・・・。)ひとしきり遊んだ後、昨日から行ってみたかった木で出来たドーム状の建物の中で民族舞踊や民謡を楽しみながら食事もできるレストランに行く。
 外観もなかなかだが、入ってみるとフロアの中央は丸く磨かれた赤い御影石などで石畳のようになっていて、そこがステージにもなる様子。テーブルはその周囲四分の三を一段高く取り囲むようにしつらえてある。インテリアはルーマニアの伝統的な木造建築をアレンジした感じになっていて洗練度は昼間のレストラン「インスラ」といい勝負という感じだ。
食事の方はそれほど珍しいものはなく、ポークチョップかビーフステーキ(あまり印象に残っていない。まあまあ美味しかったような気はするが。)と赤ワインを頼んだ。
 ショータイムが始まると、10人くらい編成の男性の楽団と一人の男性歌手と2人の女性歌手。それに女性12人に男性12人という規模のダンサーの人達が全員民族衣装で登場する。ここにきてわかったのだが、私達がもらった白い刺繍が少し入ったワンピースは基本の「き」で、ベースに過ぎず、それにブルーや赤や白や黒の地に色とりどりの花の刺繍を施した前掛けやベスト、そして綺麗な飾りのついた帽子を被ったりして華やかさを重ねていくのだった。
 男の人が棒を叩いて踊る踊り、男の人が馬の人形をつけて馬に乗ってるかのように踊る踊り、女の人だけで踊る踊り、男の人が戦いの時に自分の力を誇示するための踊り、などなど色々な踊りがあって、その度に男の人であっても衣装が色々と変わるし踊りのスピードはあるし、みんなとても訓練されている感じだし、女の人はみんなとても綺麗だし、ほんとに見応えがあった。日本のどこのリゾートにそこにいけばそこの(日本の)民族舞踊や民謡を堪能でき、しかも、洗練されたレストランがあるだろうか?そもそも外国人がリゾートにやって来る、という感覚も現実もあまりないのだろうけれども・・・。ほんとうにここは"観光客相手"には違いないけれども"子供騙し"の感じのしない素晴らしいところだった。
 そして、この民族舞踊と民謡ショータイムが終わった後には別のポップスを演奏するバンドが入り、食事とショーを堪能し、カクテルを楽しんでいるお客達の為に、さっきのステージがディスコに変身するのだった。なんと客を飽きさせないことか!もちろんこの手のナイトクラブが日本にもまだ少しは棲息していることを知っているが、規模や人々のノリが全然違う。ここはオヤジやオバサンがホステスやホストとくる類の場所ではなく、夫婦や家族や恋人同志が食事からショーから踊りまで12分に楽しめる「ラテン」な場所なのだ!
 で、「今しかない!」かもしれない私達は当然まっちゃんには「ごめんね。」といいつつ二人で踊ったのだった。BGMは今でも思いだせる少し物悲しい響きのルーマニアのポップスのバラードだった。マリウスは口ずさみながら、歌詞の意味が私達の状況に似ているのか、この瞬間を噛みしめるようだったし、私はこの状況とアルコールが少し回ったせいでまさ
しく「めくるめく」といった感じで、意に反してラストダンスになるかも知れないダンスを味わい尽くしたのだった。

 やはり「ごめんね。」で、夜はマリウスの部屋で過ごし、明けて7月17日(金)。よく考えたら京都の祇園祭の日(と、考えたら私達は宵々山と宵山の日に盛り上がってたわけか。海を越えて偶然にもそんなことになっていたなんて・・・。)。
レンタカーを返さなければならない期限をマリウスが今日の2時と勘違いしていたため、(私は18日だと思っていたのでもう一泊できると主張するがその時は聞き入れられず、後になって勘違いが判ったら「知ってたら何で言ってくれなかったか?!」と言われ、呆れてしまった。)朝早めにホテルを出発。私達のホテルは泊る以外に能がないところだったのと、まずガソリンを入れたかったのでガソリンスタンド付近のホテルで朝食を取ることに。「PECO(ガソリンスタンド)」は予想通り結構混んでいたので朝食を取れそうなホテルに辿り着くのがちょっと遅めになってしまっていたので外のテラスが閉まっていたので「どうなることか」と思うが、中は大丈夫ということで遅めのほとんどブランチでオムレツなどを久しぶりに食べ、出発に備える。

 いよいよ予期せぬ思い出の一杯詰まったネプトゥンを出発。地図で下調べをした甲斐があり、行きとは別ルートを試してみたら来るときの苦労が嘘のようにすんなりとブカレストに到着。あんまり早く着いたので、もう一泊して来ると思っていたフェリチアを驚かせる。
 昼はブカレスト市内で無事に到着したことを祝いながら3人で食べる。サヴィンのフラットに戻り、思ったよりも時間があるので、昨日ネプトゥンでようやく見つけた絵葉書を取り出し、久しぶりに葉書書きをする。今までルーマニアでは書きたいことが沢山あるのに絵葉書を全く見つけることが出来ず、欲求不満が溜まっていたので、いきなり、「ひょっとしたらマリウスと結婚するかもしれません。」と、母を初め、最も近しい友達に書く。みんなびっくりするだろうか?
 まっちゃんにもそう言ってみたが、思っていたほど驚かれなかった。「あんなすぐに怒るオヤジの一体どこがいいのか。」とは思っているみたいだが・・。私も確かにマリウスのその点は気にはなっていたが、私自身そんなにすぐ切れる方ではない(と思う)のでそんなに衝突はしそうにないし、ほかにもっといい点が沢山あるように思えた。男前でしかも私にとって好きな顔というのはなかなかないが、マリウスはそれだった。ここに来て初めて私は自分が実は面喰いだったということに気付いたような気がする。まっちゃんは驚いていないというより本気だと思っていないのかもしれない。そもそもこの旅行を計画した当初の様に・・・・。

 夜はサヴィンのお母さんの家でご馳走になり、フラットの方に戻りルーマニア最後から2番目の夜を過ごす。またまたまっちゃんには申し訳ないが、まっちゃんと一緒に眠るはずの部屋から一応まっちゃんには断ってそーっと廊下を渡り、マリウスの眠る居間で眠った。