Vol.1 印度編 2001年5月12日(土) こころの「縁起」 by ラ・ネージュ 亭主 四方有紀                          

うららかな好天に恵まれた5月12日。『唯識カフェ』第1回を無事開催することができました。

参加人数は、お客様が6名(私のよく知った方4名、吉村さんの奥様、朝日新聞の告知をご覧になっていらっしゃった初めてのお客様1名。)吉村さん、私、スタッフ兼オブザーバーのうちの母、そして、お茶の時間のみ特別参加の私のインドの友人アヌウの計10名でした。

今回は、これくらいの人数でしたので1階サロンにホワイトボードをおろして、受け付けの際、レジュメとお代わり自由のヨギティーのカップとソーサーにお茶うけの“二人静”を載せたのを持ってソファーや椅子に着席してもらい、当初の目的どおり、吉村さんが3500円という料金に恐縮されて、「大学の授業二コマ分の内容を用意した」というないようでありながら、あくまで“気楽なカフェ”スタイルで展開しました。

今回の場合、よく知った方の中にいらっしゃった初参加の方が違和感を覚えられないか?というのも気に掛かる部分だったのですが、お越しになった瞬間から、まるで以前から存じていたかのような方で、その不安は飛んでいきました。打ち合わせの際には、まず自己紹介をしていただいて・・ということでしたが、人数も人数でしたので、亭主の私が、みなさまの簡単な紹介をさせていただいて、始まりました。

基本的には、レジュメの内容に沿って進みましたが、場の雰囲気や、吉村さんの突っ込みなどで、参加された方それぞれから、活発にそれについて日頃感じていらっしゃることなどのお話が出て、また、そこから話が発展し・・ある時には意見を戦わせ・・でも、終始和やかで・・・という場になりました。特に、『輪廻転生』に関して、信じない男性陣と信じる女性陣という具合に意見が分かれたのが印象的でした。

また、今回は、ワークショップでもあるので、「ブッダのことば」*を日本語訳したものを1行ずつ輪読する・・というワークも用意されていたのですが、個人的には、それで読んだり読まれたりした、仏教徒を自認しながらも、これまであまり触れることのなかったそれらの言葉が心に沁みました。 (*ブッダの観たもの1同2業を説く者1同2 参照)

また、お茶の時間にサリーとピアスで美しく装ったアヌウが作ってくれた、チャイと、この日の為に取り寄せてくれたインドのお菓子もとても好評でした。

「インドでは、いつでもボーン・チャイナ・カップで飲むのよ。」と、今回もボーン・チャイナ・カップで出すことを指示してくれていたアヌウのつくるチャイを飲み、今回参加された方の中で、インドに行かれたことのある方は一様に、「あちらで飲んだチャイと比べて日本の気候に合わせて砂糖が控えてあって、洗練された味。」とおっしゃっていて、みなさんお代わりが欲しい・・とおっしゃったので、アヌウは、人数分をお鍋で作るチャイを、2度つくることになりました。そうそう。お茶も、今回インドのものを取り寄せてもらったのですが、届いたパッケージを見ると、「ブルックボンド」でしかも英語表記で一瞬がっかりしたのですが、アルファベットでではありますが、「このお茶を飲むと、長生きする。」という意味のヒンディー語のコピーがしっかり書かれていて、「う〜む。インドのお茶。」と、納得しました。

お菓子の方は、@平らなプレートにナフキンを敷き、その上に持って出すこと。Aソーサーに載せて、指でつまんで食べてもらうこと。ということだったので、“乾き物”をイメージしていたのですが、実際はとてもしっとり。ちょっともっちりした、にんじん、ナッツ、ミルク・・などでできたオレンジ色のお菓子で、東京経由でニューヨークからきたものでした。アヌウに「とってもおいしいよ〜。」と言われていながらも、初めて見る形態に、半信半疑で食べてみると、ほんと、「これまで未体験のおいしさ」でした!これも、チャイと同じく、現地のお菓子は気候に合わせてものすごく甘いらしいのですが、こちらは、ニューヨーク好みの洗練された味で、甘さを控えたチャイと抜群の相性でした。

え?吉村さんのレクチャーの内容より、お茶の時間についての記述が多くて、今回の内容のポイントがわからない?

それなんですが、ほんとうに、ここでは語り尽くせないのです。上述のように、レジュメからどんどん膨らんだもので・・・。そして、一つ言っておきたいのが、レジュメを見ただけでは、どうしても仏教用語の「漢字」が多く、難しく感じられると思うのですが、それを判りやすく語ってくださるのが吉村さんの真骨頂なのです。これは、この場に参加してもらわないと判っていただけないことなので、仏教のこと、心のことについて考えてみたいけど、何だか難しそうで、敬遠していた・・という方は、是非、ご参加ください。

また、亭主の立場としては、今回、この人数では興行的にキビしい⇔でも、「唯識」に関して本来やりたかったスタイルとはいえ、何といっても初めての試みでもあるし、ほんとうは、「濃い」「双方向の」という意味ではスタートしてはこれくらいの人数がいいかも・・という葛藤の中、スタートしたのですが、今回は、とても贅沢な時が過ごせたのではないか?と、思います。

が、基本はそれでも贅沢なはず・・・の24名ですので、次回=吉村さんご専門の三蔵法師が登場する中国編。みんなで盛り上がりましょう!

p.s.#0のパイロット・ヴァージョンの際、ライブは記録が残らないでこそ・・ということで、ビデオやテープ、写真を撮ったり、録ったリしなかったので、今回もそのセンでここに載せる映像がないのです・・。次回からはやはり淋しいので、適宜撮影しようと思っていますのでご了承ください。                                                                         

※また、ここからリンクできるレジュメは、文字だけのものですが、実際に使われたものには、もっと図なども使われていました。


Vol.2 中国編 2001年6月3日(日) 「空」の解釈学 by ラ・ネージュ 亭主 四方有紀 

今回は、前回より倍近い、総勢20名になりましたので、2階を会場にして行いました。前回のサロンでの雰囲気はなかなかお洒落でしたが、これが本来の姿・・ということで・・。そして、この人数になった上、前回の参加者が2人しかいらっしゃらない=ほとんどが初対面の方、ということで、まず初めに一人ずつ、自己紹介が行われました。

また、前回の反省から、今回は映像と音声の両方が撮れる!ということで、お客様の邪魔にならない辺りにDVを固定で据えておきましたので、画像があります。但し、悲しいかなどこをとっても「金太郎飴」状態ですので、お話をされている部分と、お茶をしてもらっている部分の2つだけ画像を入れてみました。

まず、講義のレポートから。今回も詳しくは「レジュメ」をご覧になってください。

今回のキーワードは「空」だったわけですが、この「空」の本来の意味は、日本的に情緒的に「空しい」と捉えるようなものではなく、かつて高田好胤さんが“かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、ひろく、ひろく、もっとひろく―これが般若心経、空のこころなり。”とおっしゃっていたような“無我”の境地で、普通の人の場合、何かに没入している時に得やすいということが一番のポイントだったような気がします。維摩の話も面白く、始まる前にビデオモニターで流していた“マトリックス”が維摩経の世界を映画化したものである、ということも「へえ〜。」という感じでした。これまで門徒の私でも何気に意味の判らぬまま諳んじていた『般若心経』の意味が判ったのも収穫でした。時間の関係で、実際の瞑想のトレーニングをすることはできませんでしたが、「空」に持っていくための瞑想とはどうあるべきかという『念いをおちつけて』の輪読はできました。また、自然と心が一体化した状態=空・・ということで、志賀直哉の『暗夜行路』の一部も取り上げられました。また、時間がなかったので触れられませんでしたが、私が実際に見るのは初めてだった、『ブッダとシッタカブッダ』も参考として取り上げられており、見てみるとなかなか真面目にいいところをついてるんだ。と、タイトルも含めて感心しました。

レジュメを見ていただくとお判りいただけるように、今回も3500円というプレッシャーから、とても盛り沢山の内容でした。今回のレポートも、いつものことながら、あくまでも「私にとってみれば・・・」です。実際、最後に一言ずつ感想をおっしゃっていただいたのですが、皆様思われたこと、印象に残られたことはそれぞれでした。

是非是非、実際に体験していただき、みなさまご自身のポイントを持ち帰っていただければと思います。

さて、今回のお茶の時間。3回のシリーズで最も苦労すると思われていた前回の印度編のお菓子がまったく“ご縁”ですんなりと決まり、さらに味も初めて食べる類の美味しさだったので、お馴染みの中国編はさぞすんなり決まると思いきや、とても苦労する羽目になりました。

まず、メインでお出しするお茶を、玄奘三蔵が唯識思想を印度から中国へ持ってこられたことにちなみ、ダージリン・ウーロンに設定したので、いわゆる普通の餡饅頭では繊細さに欠けるように思われ、また、餡胡麻団子などは揚げたてが命ですのでパス。あまりお目にかかったことはないけれども、美味しい月餅もしくはまだ見ぬ繊細なお菓子を求めて、神戸南京町へ。ところが、そこで見かけるのはほとんど定番のものばかり。何やら怪しげな月餅を数種類買い、帰途へ。家で食べてみたのですが、どれも一口も食べ切れないような代物ばかりで途方に暮れ、京都のお店を攻めてみることに。

メインでないおつまみ的なお菓子に、胡桃の飴だきを買うため、最終目的地を京都ホテルの桃李に定め、まず四条河原町の高島屋のへ。本命視していた、行ったことはないけれども去年辺りに台湾の飲茶専門の店として当時流行っていたタルト(?)をメインに鳴り物入りで京都デビューしたはずの店はランチタイムに行くことにして、聘珍楼なら何とかしてくれるか?と、地下に行くと、聘珍楼だったはずのところが551のアイスキャンディー売り場に!中国食材専門コーナーにもお菓子は微塵もなく、禮婦人を見ても一人ずつお出しするのは大変そうな冷製デザートの他、目新しいデザートはなく、唯一、京都ホテルで買うつもりをしていた胡桃のあめだきがあったので、食べ比べの意味で一応購入。失意のうち開店直後の本命の3階の飲茶の店に行き、うずたかく詰まれた蒸篭に湯気が上がるのを見るも、ショーケースには淘汰された残りと思われる超定番メニューのみが・・。仕方なく、最後の手段と思われた藤井大丸の中国カフェに突撃!が、しかし、いつの間にかそこは店自体が無くなっていて、中国茶も飲める・・と書いてあった7階のカフェに行ってみるも、デザートには期待するべきもなく・・・。寺町を北上し、三条の中国物産店に行くも、駄菓子や南京町より怪しげな月餅があるのみ・・。無収穫のまま、最終目的地だった京都ホテルへ。デザートを色々試すべく、ランチ・バイキングを頼み・・・。ようやく見つかったのが、少しクリームが淡白すぎるかも・・・の、“カスタード入りココナッツ饅頭”!!見れば、テイクアウトもできるようなので、当日の開店時間=11時半に取りに来られるように予約。その後、伊勢丹で見かけた中村屋の月餅の特に“種”の方が、意外と美味しいことが判りつつも、ここで“中村屋の月餅”というのもどうか・・と、思い、それで決行することに。

前日には家中の蒸篭を総動員。電磁調理器を持ち込んで、蒸したてを召し上がっていただくように準備万端整えて、レシートを携え、お饅頭を取りに行ってもらい・・・。いざ、箱を開け、蒸篭に入れようとしたところ、なんと、“カスタード入りココナッツ饅頭”のはずが、ただのあの白いふかふかのガワに入った、ココナッツより二まわりは大きい“カスタード饅頭”が出現!私にしては珍しく、即、クレームの電話をかけたところ、「ココナッツのは、時間が経つと固くなってしまうので、テイクアウトはしておりません。」との答え。では、私が見たあの写真は・・・。それこそ、ココナッツ饅に執著していたので、何を見てもそう見えてしまっていたのか・・・。この期に及んで変更するわけにも行かず、蒸篭の数もそれ以上増やす由もないので、“カスタード饅”を何とか詰め込み、ここまで詳しくはないながらも、言い訳をしいしい、食べ比べの結果、回転の良さからか、軍配を上げた禮夫人の胡桃の飴だきとともに、お出ししたのでした。

結果、心優しい皆さんに、「おいしい。」(確かに、この手のものとしては、美味しかったです。)と言っていただき、ダージリン・ウーロンも楽しんでいただき、ほっとしました。みなさまありがとうございました。

いつも、私は主に、お菓子とお茶の用意を担当しておりますので、ついついそちらに偏重したレポートですみません。

第3回も、がんばります!!


Vol.3 日本編 2001年7月8日(日) 「仏性」とは何か by ラ・ネージュ 亭主 四方有紀 

唯識カフェ3回シリーズ最終回・日本編の今回は、予告通り、展覧会で久々に組み立てた茶室がある状態で行いましたので、東側の壁側を講義の正面にして、その前に床机(と、いっても、いつもの机が変身したものなのですが。)を並べて、全体に「唯識茶室」の趣で行いました。最終的に、17名の方にお集まりいただきました。

お話・お茶の時間・お話・・・という時間の流れのこれまでと少し形式を変え、前半に集中して講義。その後、お茶とお話を楽しんでいただくという形をとりました。

その、凝縮された講義のテーマは「仏性」とは何か。『空海』のビデオなども見つつ、唯識を差別思想と批判した最澄と徳一との論争を核に、唯識思想と如来蔵思想の基本を歴史的背景も踏まえつつ学びました。詳しくは、いつものように、レジュメを参照なさってください。

個人的には、日本の抜き難いミョウな“平等主義”のルーツはこの“全ての人に仏性が宿り、誰もが仏に成り得るのだという如来蔵思想”だったのか・・。そしてまた、本来どちらかのみがよくてどちらかのみが悪いと言い切れないものだったはずの唯識思想と如来蔵思想が日本に伝播された経緯により、対立するものと捉えられ、都合よく捉える人には耳ざわりのよい如来蔵思想が広く受け入れられ、対立するとみなされた唯識の衰退に繋がった・・・と、知り(この辺り、今回は、吉村さんが最近学会で発表されたばかりの新しい学説が披露されました。おお、“同時代の=今を生きる”茶室ラ・ネージュの企画に何とふさわしいことか!!?)、吉村さんが玄奘三蔵を研究されるのをきっかけに唯識を研究されることになったように、何事であれ、今、表層に出ている現象を考える時にその歴史を遡って学ぶことは避けられないのだな・・。と思いました。身近なところでは教科書問題や、沖縄の米兵の問題など・・。そして、そういうことごとを考える際に、唯識の“とらわれない心”で考えるのが重要なのではないかと・・・。

もちろん、この感想は私の持ったものであり、それこそ、唯識でいうように、同じものを見聞きしても、それに対する思いは人それぞれです。いずれにせよ、この『唯識カフェ』が、人それぞれ何かを考えるきっかけになれば・・・。また、いずれ、共有した知識をもとに、それぞれの立場から論じあえるような場に発展すれば・・と、祈念しつつ、吉村さんの最後のホワイトボードへの板書をお届けしつつ、お話についてのレポートは終えたいと思います。

ところで、吉村さんからいい忘れたこととして、今回の参考図書を挙げていただいていますのでこの場でお伝えします。

そうそう。初めにお出ししたお茶のことを忘れていました。今回の講義中のお茶は、緑碧茶館の黄金桂・特級でした。実は、初めは唯識は最終的に“ヨガ”による行を推奨していることもあり、このシリーズの講義中のお茶は、我らが(?)ヨギティーにしようと思っておりまして、随分前に初めて飲んだ時の好印象があったものですから、「ヨギティーの甘いあと口はあとのお菓子に差し支えるので話の流れからも中国茶がよいのでは?」と、心配顔だった吉村さんを前に、「この暑い季節はマンゴーパッションのアイスにすれば大丈夫!」と、豪語していたのですが、果たしてほんとうに大丈夫か?と、前日に試飲したところ、やはり爽やかだと思い込んでいたマンゴーパッションのアイスですら自然のものとはいえ甘味が相当なものだった為、急いでウイッタードのジャスミンを用意していたところ、事前の打ち合わせではヨギティーに同意してくださっていた吉村さんも同じ懸念を抱いていらっしゃったらしく、何と、東京土産として(そう。確かに京都にはレシピエはあっても、緑碧茶館はない(はず)のです。)持ってきてくださったのでした。金木犀の香りのする青茶(烏龍茶の系統とのこと。)というだけあって、アイスにしたらひじょうに爽やかでした。(が、しかし、時間の短縮を図るため、グラスに氷を入れた状態でスタンバイしていた為、濃い目のアイス状でポットに入れていたとはいえ、少し薄まり過ぎてしまったきらいも・・・。申し訳ありませんでした。)今ひとつアバウトな亭主に代わって、多岐に渡って細やかなお気遣いをいただいた吉村さんに感謝!です。 


さて、お待たせしました!(?)今回画像がたくさん入っていて、場所を取っているので、一旦区切り線を入れて、これからお茶の方のレポートをいたしましょう。

今回、お茶室の室礼のお軸は、陶芸家、滝口和夫さん作の『地球上の鹿』を用意させていただきました。(画像をクリックしていただくと、絵の部分の拡大写真のページが出て来ます。)地球上の鹿が「この頃地球も暖かいナ」とつぶやいているものです。

そして、お花(これもクリックすると別の角度から見られます。)は、当日吉村さんと待ち合わせた伊勢丹で吉村さんと一緒に選んだものです。まるい可愛らしい形と、色がこの茶室に合いそうだったので選んだ花は、何と!というか、知りつつだったのですが・・本来お茶花として禁忌である“あざみ”の仲間。その刺々しさと乾いた感じを和らげるべく二人とも名前を覚えられなかった黄色い小花のついた草と、アイビーを組み合わせてみました。そして、本来亭主がすべき仕事なのですが、お茶の先生として場数を踏まれている吉村さんに“生ける”のはお任せしました。(その間に着物に着替えた・・という裏事情も・・。黒の絽に雪の結晶の刺繍の着物を着ていました。)ちなみに、花器はガラスです。

その他のお道具類は、ガラスの茶杓を除き、6月の鈴木さんの展覧会で使用したのと同じもの(展覧会にも来てくださった方。ごめんなさい。)を使いましたので、参照していただければ・・と、思います。お抹茶も、まだ手に入りましたので、この間使ってみて気に入った、宇治は林屋さんの夏切り抹茶を使わせていただきました。青々した感じが好評でした。

そして、今回は、お菓子が充実!!そもそも前回の反省会の際、今回のお菓子を考える際に、吉村さんの側から「蓮根のでんぷんでできた西湖というお菓子」というリクエストがあり、初め、かつて“蓮根餅”と呼ばれていたお菓子にそんな風雅な名前がついているとは知らなかった私はピンとこなかったのですが、それ=和久傳さんの蓮根餅・・ということがわかり、すぐ、それがベストに違いない!!と、以前の中国編とは違ってすぐに決定しました。実は、和久傳の若女将の祐子さんとは学生の頃お仕舞のお稽古をご一緒していたご縁がありまして、ちょうどあちらのイベントの予約をする際に、電話でその話をし、予約をお願いしたところ、何と!提供してくださることに!!ですので、みなさんにご好評をいただいたこの何とも趣あふれるお菓子は、超ラッキーなことに、和久傳さまご提供・・・ということになったのでした。(下段・左の写真)

また、お客様に、一服とはいわず、二服でも三服でも・・というお考えの吉村さんが、その為のお干菓子として、前日行かれた比叡山のお土産のお煎餅と黄金桂と同じ緑碧茶館の無花果のドライフルーツもお持ちになってくださいました。(下段・中の写真。注:写真をとったのが、終わってからだったため、無花果の数が中途半端な4個になってしまっていましてすみません。)

そして、私が伏見桃山を愛するのと同じかそれ以上に近江八幡を愛しておられる第2回、第3回とご参加くださった中田さんが、近江八幡の名産、“丁稚羊羹”と“外郎”を人数分(!!)お持ちになってくださいました。(下段・右の写真)

と、よくよく考えれば、皆様に“持ち寄って”いただいた結果・・の充実ですので、亭主としては大きいことはいえませんが、こうしたそれぞれに美味しいお菓子とともに、茶室には3回に分けて入っていただき、その他の方々には床机で点て出しをお出しする・・というパターンでお茶を召し上がっていただきました。

お茶室で皆様の分のお茶を点ててくださったのは、我らが吉村さん!だったのですが、母が陰点て、私がお運びを担当してバタバタしていました為、画像がないのが残念です!茶室で吉村さんが亭主で皆さんと談笑されている様子を想像していただければ幸いです。

前回とはうって変わった不思議な空間でのお茶とお話を楽しんでくださったと確信しております。

         とにもかくにも、この初めての唯識カフェ・3回シリーズは無事終了しました。これもひとえに吉村さん、皆様のお陰だと思っております。

パイロット版を含めた唯識のイベントにご参加いただいた方々にはご案内をさせていただいたのですが、この日の終了後には吉村さんがご予定がお有りでしたので、前日の21世紀初めての七夕の夜には“打ち上げ前夜祭”をこのカフェに通しでご参加くださった村瀬さんの“麒麟亭”というお店で催させていただき、楽しい一時を過ごさせていただきました。

この次は、まず、“遠足”から始めよう・・・と、申しておりますように、今回の唯識カフェで生まれたご縁を大切に、硬軟取り混ぜてどんどん楽しいことをしていきたいと思っておりますので、これからもよろしくお願いいたします。

それでは、また、ラ・ネージュの“唯識”関連イベントなどなどでお会いできますことを、楽しみにしております。

See you!!

                

 

Events at La Neige 唯識を学ぶシリーズ#1

La Neige 唯識を学ぶ Series#1

唯識Cafe'with 吉村誠

吉村さんのレクチャーをフィーチャーした、パイロット版の#0に続くシリーズ第2段。本当の始まりといえる#1は、『唯識』のお話を聴くことを通して、ここに集う人全てが、個々に、また、共に考えたり、表現したり、交流したり・・という場をお茶を飲みながら、気楽に創れたら・・というワークショップ、『唯識カフェ』となりました。

#0で予告していた通り、それぞれの回で、印度→中国→日本と伝わってきた、唯識の歴史を辿りながら、まず、その基本的な考え(アーラヤ識縁起・三性三無性・五姓各別)について易しい言葉で解説してもらいます。そして、その後のティータイムで、それぞれの地にゆかりのお茶とお菓子を楽しみながら、それを聴いて、感じたこと、疑問に思ったこと、を気楽にお話しましょう。

『唯識』に興味を持った、という共通項はあっても、その背景、そこから感じたことは人それぞれでしょう。それを気楽に交流させることにより、なにか豊かなものが生まれれば・・と、思います。

「唯識カフェ」が、ご自身の「こころ」を見つめ直す機会になれば幸いです。

それでは、お会いできることを楽しみにしつつ・・。

ラ・ネージュ亭主 四方有紀 拝

 

 

第1回 2001年5月12日(土)

★印度編---こころの「縁起」                                   ブッダからアサンガへと継承された縁起の思想とは?                 唯識思想の淵源をインドに訪ねる。

         チャイとお菓子でおもてなし。

第2回 2001年6月3日(日)

★中国編---「空」の解釈学                                    『般若心経』と唯識は同じ思想か?玄奘三蔵の活躍にみる、             仏教思想統合へのアプローチ

        烏龍茶(ダージリン・ウーロン)とお菓子でおもてなし。

第3回 2001年7月8日(日)

★日本編---「仏性」とは何か                                   最澄は唯識を差別思想と批判した。                            平安時代の華々しい仏性論争の中に唯識は解体する。

         抹茶とお菓子でおもてなし。

各回共通  

時間:14:00〜17:00

定員:24名(電話、ファックス、または、e-mailで、お名前、ご住所、電話番号を明記の上、ご予約ください。)

料金:3500円 (3回通しでお申し込みの場合、3回で10000円。)

場所:ラ・ネージュ 075-622-5770            

吉村 誠 プロフィール

1969年生れ。早稲田大学大学院文学研究科(東洋哲学専攻)修了。 現在、早稲田大学文学部講師。唯識仏教が東アジアに伝播していく 過程について、玄奘三蔵の事蹟を中心に研究する。近年の論文に、 「玄奘の大乗観と三転法輪説」『東洋の思想と宗教』16(1999年) 「唯識学派における「一乗」の観念について」『印度学仏教学研究』48-2(2000年) 「唐初期における五姓各別説について」『仏教における善と悪』(2000年) がある。