La Neige 唯識を学ぶ Series #

 

 

 唯識Café

―中国編―

第2回 「空」の解釈学

 

2001年6月3日(日)

 

 

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0.こころの器

他者から愛されつづけたい こころの器が小さい人々

→ 傷つきやすい自己愛 ・・・ 強迫的防衛(几帳面・完全主義) ・・・ 外界への怯え・恐怖

→ 尊大で万能な自己像 ・・・ 自他のコントロール ・・・ 外界への怒り・攻撃

 

私の中にいろいろな私がいて、どれが本当なのかわからない人々

→ 人格の不統合、自罰から他罰へ 自己の統合、真実の自己を見つめる

 

1.法の要約――ダルマ・ウッダーナ

苦しみが生起する原因はどこにあるのだろうか?

→ すべての作られたものは移り変わる。

→ 自己を構成しているすべての要素は固定的ではない。

 

一切の形成されたものは無常である。

一切の事物は我ならざるものである。

一切の形成されたものは苦しみである。

――と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。

『ダンマパダ』

 さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい。

――これが修行を続けてきた者の最後のことばであった。

『大パリニッバーナ経』

法印

諸行(しょぎょう)無常(むじょう) 諸法(しょほう)無我(むが) 一切(いっさい)皆苦(かいく) 涅槃(ねはん)寂静(じゃくじょう)

 

 

2.「空」――ニ諦説

われわれは「連続」する世界を、言葉によって「分析」し、「判断」を繰り返している。

流動的世界の「全体」を正しくとらえるためには、どのように観るべきか。

 

滅しもせず、生じもせず、断絶もせず、恒常でもなく、

単一でもなく、複数でもなく、来たりもせず、去りもしない依存性(縁起)は、

ことばの虚構(戯論)を超越し、至福なものであるとブッダは説いた。

『中論』

ニ諦説

我(実体) 自性  :自立 常住 単一 ⇒ 言葉・観念の世界、分別  = 俗諦

 

無我(空) 無自性 :縁起 無常 複合 ⇒ 知覚・事実の世界、無分別 = 真諦

 

〔六波羅蜜〕@布施(ふせ)  A持戒(じかい)  B忍辱(にんにく)  C精進(しょうじん)  D禅定(ぜんじょう)  E智慧(ちえ)

 

 

スブーティよ、菩薩はつぎのようにして智慧の完成(般若波羅蜜)に近づくべきである。あらゆるものは名前だけ、言語表現だけで述べられているにすぎない。

あらゆるものは言語表現を離れており、表現されることはないのである。

『八千頌般若経』

一切法無自性・・・すべての存在には固有の実体がない。

一切法但仮名字・・・すべての存在は単なる名称にすぎない。

一切法不可言説・・・すべての存在は言語表現を離れている。

 

実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。

また、物質的現象は実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

『般若心経』

 

 

3.こころの「空」――三性説

唯識学派の人々は、すべての存在はこころが作り出したものにすぎないという。

彼らは「空」の思想を再解釈し、三つのこころのあり方として示す。

  

三性説

(へん)()(しょ)(しゅう)(しょう)・・・言語表現によって概念化され、外界に実在すると想定される世界。

()()()(しょう)  ・・・依存性(縁起)によって生起される世界。

(えん)(じょう)(じつ)(しょう) ・・・真実の世界。

  

かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく――これが般若心経、空のこころなり。

高田好胤

 

4.「定」――念いをおちつけて

 心の器をひろげ、外界とのつながりを「回復」するために。

世界と連続する自己、統合的な自己に「気づく」ために。

 → 心を一点に集中し、静かに思いをこらしてゆく。

苦しみが生起する原因を観察し、そこから離れてゆく。

愛情・人情・意味を感じる心、真・善・美に感動する気持ちを高める。

 

身体についてつねに真相を(おも)い、つねに諸々の感官を慎み、

心を安定させているものは、それによって自己の安らぎを知るであろう。

『ウダーナヴァルガ』

 

〔四摂法〕 布施  愛語  利行  同事

 

〔四無量心〕 慈   悲   喜   

 

感性を養ういくつかの方法(なだいなだ編『〈こころ〉の定点観測』参照)

@自然や美しいものに接する。

A価値あるものに敏感になる。

B他のものに共感する。

C崇高なものに感動する。

D驚きや好奇心を大切にする。

E自分の気持ちを素直に表現する。

F他人に自分の感動を話して聞かせる。

G他人の感動体験を聞く。

Hイメージする習慣をつける。

I美しいものを鑑賞する。

J美しいものを創作する。

 

 

5.唯識思想の中国への伝播

玄奘602-664):隋末唐初に唯識の綱要書『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』を学び、インドに行くことを決意。ナーランダーで唯識の大著『瑜伽(ゆが)師地論(しじろん)』を学び、645年に中国に帰る。17年にわたる旅行の記録は『大唐西域記』『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』に詳しい。帰国後は唐朝の支持をうけて翻訳に従事し、751335巻の仏典を翻訳して、東アジアに唯識思想の体系を伝えた。

 

なだいなだ編『〈こころ〉の定点観測』岩波新書

横山紘一『心の秘密を解く:仏教の深層心理・唯識(上)』NHK出版

小泉吉宏『ブッダとシッタカブッダ』メディア・ファクトリー

長尾雅人訳『維摩経』中公文庫

志賀直哉『暗夜行路』

 

五蘊(ごうん)色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊

 

六根(ろっこん)眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根

六境(ろっきょう)色境・声境・香境・味境・触境・法境

六識(ろくしき)眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識

 

十二処(じゅうにしょ) 六根+六境 眼処〜法処

十八界(じゅうはっかい) 六根+六境+六識 眼界〜意識界

 

五位(ごい)色法(11)・心法(1)・心所法(46)・心不相応行(14)・無為(3)

 

四諦(したい)苦諦(生・老・病・死)

集諦(苦の原因=渇愛(かつあい)無明(むみょう)

滅諦(苦の消滅=涅槃(ねはん)

道諦(苦の消滅に至る道=(はっ)正道(しょうどう)

〔十二縁起〕

老死―生―有(生存)―執着)―渇愛)(感受)―触(接触)

―六入(六根)―名色(心と体)―識(心)―行(形成力)―無明(無知)