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更新日記#1

2001年1月21日(日)

 11月にホームページを開設して以来、ほぼ2ヶ月以上ぶりに、ようやく更新することができました。

 ほんとうは、12月のコンサートが終わった後、HPを持っているならではで、即、お礼、報告を書いて、次の告知をして・・・。と、するつもりでいたのですが、どこかで少し触れたかとも思うのですが、その後、ラ・ネージュの存在意義や、今後の展望をわかり易く説明する必要に迫られ、自分では設立する前から考えていたことと何ら変わらず、自明のこと、と、思いながらも即答できなかったので、振り返って再考することとなり、それにケリをつけないことには更新もできない・・という状態になってしまい、昨年内に自分なりに結論が出た後も落ち着かず、年を越し、待ったなしの2月のイベントのDM作成や4月のイベントのDM発送を終えて、2月のイベントまでは少し時間のある今、ようやくとりかかり、終えることができました。

 そんな訳で、今回の更新作業はそれこそ突貫作業で、中にはもうちょっと練ってから出したら?というものもありますが、とりあえず、初めのインデックスの全ての項目にリンクができました。練り足りないところは、あとで更新する時に練ればいいか・・と、いうことで、拙速を覚悟で出しています。

 さて、先程の再考したことの答えを今回の更新作業で反映させよう、と、思い、特にラ・ネージュについてのページを改めて読み返して見たのですが、やはり、設立する前から思っていたことと思いは同じなので、結局何ら変更を加える点を見つけることができませんでした。でも、それで判ってもらえてなかった為に、再考を迫られたので、一点だけ、「ラ・ネージュのコンセプト」の「同時代の茶室、ラ・ネージュにようこそ」を「四方有紀の茶室、ラ・ネージュにようこそ」に変更しました。

 形状が違うだけで、自宅の敷地内の離れに位置している点からも、やはりラ・ネージュは当たり前ですが、四方有紀のもので(厳密な意味での所有者は私ではないのですが。)、あそこは四方有紀の表現の場なのです。もちろん、「私がハッピー、みんなもハッピー、みんながハッピー、私もハッピー。」→世界を平和に、ということも本気で思ってはいますが、基本は私がハッピーと思うことをして、それを共有したいと思ってくださる方と共有して、一緒にハッピーになれれば・・。というそれだけです。それを「独り善がり」と感じられる方や、「どうしてサロンなのに(お金の意味で)ご招待じゃないの?」と思われる方には、反論はしませんが、言葉が通じない、と思うわけです。

 なので、このページの更新にせよ、イベントにせよ、こつこつと続けてはいきますが、決して、無理はしようとは思っていません。大事に育てていきたいです。私自身がしんどくなったら(=私自身がアンハッピー)、元も子もありませんから。

 私のことをご存知の方は、別に驚かれていないと思いますが、音楽の次が唯識のイベントなのも、決して思い付きではなく、これも音楽と同じく、10年来温めていたのもです。これまで出せなかったのは、「時が満ちていなかった。」これに尽きるわけで、決して思い付きなどではありませんし、落語にしても、然りです。

 プロフィールにも出していますが、私の特徴は「いっちょがみ」。何かで「天秤座はバランスをとってこそ。」というのを読んで以来なのか、自分で目指したのか判りませんが、小学生の頃から、得意科目に突っ走るよりは、苦手科目の克服に努力するタイプ。自分が○○ができない、ということが許せなくて、ひたすら球を目指す、というか、オールラウンドプレーヤーを目指してきました。

 ある種、それは流行りの生き方ではないので、一時期は、こんなことならちょっとやればできた、例えば英語など、得意分野を伸ばす方向で来ればよかった・・と、悔やんだこともありましたが、それは「いっちょがみ」の私には、所詮できない相談だということが最近わかりました。『私!』に、ちらっと触れましたが、そもそも私の出自自体が、父方は地場産業の酒屋。母方はハイテク・メーカー。と、てんでバラバラ。父方の祖父は哲学科出身。母方の祖父は電機工学科出身。父は経済学部、母は育児科と、くれば、遺伝かどうかは別として、やはりこうなるしかなかったような気がします。

 自分が「いっちょがみ」「転がる石」なだけに、それぞれの道の「スペシャリスト」の方には並々ならぬ尊敬の念を抱いています。また、自分自身はそういう意味では何者でもないわりに、いつの間にか面白い方々に取り囲まれていて、その中にはいわゆる「スペシャリスト」の方も多数おられます。自分はどこにも属していないので、比較的自由に、そういった方々をコーディネートできるのではないかと思っています。自分は、台風の目のように、何にもないのだけど、周りをぐんぐん巻き込んで、大きな風を起こせたら。そして、その風が幸せを運べたらいのに、というのがyuki-laneige.comです。

 indexからメールやBBSへの書き込みができるようにしましたので、どんどん利用してください。

 

更新日記#2

2001年4月3日(火)

 今、ようやく更新することが出来、体裁を整えるのに、前の日記をコピー&ペーストして日付を見てびっくり!2ヶ月以上更新できてなかったんですね・・。

 前回の更新の後、ターミナルアダプタを介してフレッツISDNと繋ぐ設定がうまくいくことを確認したので、ノートパソコンの方にもデータを入れ、5メートル(これがUSBの規格では最長らしい。)のUSBケーブルを買い、デスクトップPCとターミナルアダプタを共有できるようにして、「よっしゃ!」これでダイニングテーブル上のノートPCで随時更新できる。家中の人に背を向けて、何かの景品で当たった丈夫な蓋がついてるので踏み台にもなる、中に子供たちのスリッパの入った巨大なタッパーウエアを椅子代わりにPCに向かう生活にはおさらば!と、意気揚揚といわゆる日記のような、雑記帖ページの最初を書き終え、「いざ、接続!!」という段になって、TAを認識していることも確認できるのにどうしてもダイアルが出来ず、そのことで時間を取られるのも・・ということになり、また意気消沈してしまい、色々な意味で更新どころでもなくなってしまっていたこともあり、14日のイベントも近づき、5月の『唯識カフェ』のこともあるし、その告知をするなら、その前に2月や3月の報告もしなければならいので、そろそろ!!と、お尻に火が点き、ようやく取り掛かれました。

 毎度のことなのですが、いざ、やりだしてしまうと、特にボチボチ雛型は揃いつつあるので、「何で今までこまめにやらなかったんだろう?」と思え、そんなにタイソウなことではないのですが、未だに今作業をしているノートPCはラインに繋げられないので、MOでデータを移動して・・の更新となるので、いくらUSBで機器の取り付け・外しは簡単とはいえ、ちょっと面倒です。今のTAとの相性が悪い(だけなのか、他に何か問題があるのか?)とすれば、一番面倒がないのはP-in CompactみたいなPHSになるカードを使うのがワイヤレスにもなるし早道なんでしょうかね・・・。それができるまではこれで頑張ってみようと思います。

 すみません。ほとんどの人には関係のない、接続の話になってしまいました。

 もう、BBSを見てくださっている方はご存知だと思いますが、その更新を妨げていた色々の「その1」は、2月の唯識のイベントの前から3月4日まで、延々と風邪を引いてたことでした。風邪を引きながらも、同じく順番に風邪を引く子供達を連れて通院したりしなければいけなかったので、長引いたのだと思います。あんまり治らないので、だんだんと、「いつまでも治らないのでは?」と、弱気になりました。

 「その2」は、3月5日に(日付を覚えているのがスゴイでしょ。それくらい歴然と差がありました。)風邪が治り、8日のイベントの準備にきちんと取り掛かれ、始まるまでナーバスになっていたのが、いい感じで終わることができ、いい気分になっていたため、疲れもあまり感じずに、重たいものを持ち、何度も階段の上り下りをしつつ後片付けをしていたら、病み上がりの身体は相当に疲れていたようで、11日の夜、ふとした拍子に左足のふくらはぎに筋断裂を起こしてしまったことでした。急に歩きにくくなったので、ズボンの裾を捲り上げてみると、ふくらはぎの盛り上がりの下一帯がどす黒く内出血を起こしていて驚きました。

 翌日、整形外科に行き、テーピングで固定してもらったら、普通にしている分には痛みをあまり感じないのですが、やはり歩きにくく、3週間要固定で、全治4週間ということで、途中、2週間が経った時点で暫く伸縮帯だけにしていたのですが、やはり無理があるようで、またテーピングに戻っている状態なのですが、初めは、こういう時こそ、「更新」とか、じっとしていないといけない時にこそ・・、の作業をしようと思っていたのですが、やはり心身というのは密接に関係しているようで、クリエイティブなことができるような状態ではとてもありませんでした。病床にありながら、闘病記などを書く人というのは、もの凄い意思の力だな、と、思いますが、それは、回復の見込みがないと自覚する状態だからこそ、出る力なような気もします。

 身体の調子が良くないと、やはり、心の調子も悪くなり、そういう時には何事も否定的に捕らえがちになり、その結果、心の状態がさらに悪くなり、それで身体もさらに悪くなり・・・という悪循環になるのだな・・ということを改めて感じました。

 その悪循環に陥りかけていたのですが、何とか抜け出すことができ、というか、抜け出すために更新しました。

 前回の更新で、イタズラを恐れつつBBSをつくり、今のところ、このサイトのことを知るのは信頼できる人だけのはずなので、まず大丈夫なことが確認でき、ネット通の方には「何をいまさら?」でしょうが、、ここでの展開を結構面白いと感じ、今のBBSが、ややプライベートな方向に流れている(で、それはそれでいいと思うので、それはそのままにしておいて・・)ので、それとは別に、イベントBBSと唯識BBS(Virtual 唯識Cafe・・・ところで、この"e"の上に、"´"をつけたくって、Wordではできるようになったのですが、そのWord上で作成したものをここに貼り付けても“´”は消滅するし、ここで直接入力しても、うまく付かないし・・で、そんな些細なことで結構時間を取ってしまいました。ネット上の文書で"e"に"´"をつける方法をご存知の方、教えてください。)を設置しましたので、建物のラ・ネージュに直接訪れるにはタイミングがなかなか合わない方で、ここでのコミュニケーションは面白そう・・と、思われる方、ぜひぜひ気軽に書き込んでみてください。

 web上でも、建物の中でも、どんなテーマでも、『双方向』のコミュニケーションのある場、というのがLa Neigeのテーマの一つです。

 それでは、各種BBSや、ラ・ネージュの建物でお目にかかれることを楽しみにしつつ・・・。

 

更新日記#3

2001年5月21日(月)

 うわ〜。今回更新日記を書く前に、#2を読み、びっくり。この時も体調が悪かったんだ・・・。思えば今年に入って、予定されていた(プラス、突発的にすることになった)イベントをこなし、“時々”ではあるにせよ、HPの更新をしたりはしていますが、ず〜〜っと、体調が今いちでした。告白すると、2月の唯識のパイロットバージョンに続いて、4月のコンサートの時も熱があり・・とにかくすっきりしない中の色々でした。

 で、それまでの経緯で、たとえ動けないことがあっても何とか直前の集中力でイベントは切り抜けられ、結果には満足することができたので(と、ここで、私の学生の頃の試験前と試験のパターンに酷似していることを認識。人間って、行動パターンを変えられないのでしょうか?また、無理に行動パターンを変えようとすると―ex.私の場合、短期集中型→コツコツ型へ―ストレスが溜まるのでしょうか?)4月の終わりにはどうせ足の調子もまだも一つで、あまり動くわけにも行かないのし、風邪も慢性状態になってきたので、立て直しを図り、休養を決め込み、4月の23日(月)に『エリザベス』『シックスス・センス』『海の上のピアニス ト』『エリン・ブロコビッチ』を借りたのを皮切りに、『ロッタちゃんのはじめてのおつ かい』『U-(番号忘れた。)(潜水艦の映画)』『インサイダー』『ロッタちゃんの赤い 自転車』『スチュワート・リトル』『グリーン・マイル』『宗家の三姉妹』『MI-2』『バ スキア』『ミッション・トゥ・マーズ』『サイダー・ハウス・ルール』『オール・アバウ ト・マイ・マザー』をビデオで『チキン・ラ ン』『トラフィック』を同じ日に違う劇場で見て、さらに『運動靴と赤い金魚』『ワンダー・ボーイズ』。 数えてみると、10日間で20本の映画を見て、かなり元気になりました。

 もともと特に映画好きとか通というわけではなかったのに、これらの映画を見て、様々な人生を垣間見た気になって、実際に元気が出ると、「映画ってほんとにいいものですね〜。」と、思うようになりまして、『唯識カフェ』の翌日には『ショコラ』を見に行ったりもしました。

 で、もとはといえば、去年サッカーのユーロカップを見るために遅まきながら契約したWOWWOWでもどちらかといえば、全仏オープンテニスなんかをみるくらいで、これまではあまり映画を見ることはなかったのですが、一昨日、昨日の週末何気なくつけていたら結構面白いのをやっていて、映画好きの人なら当たり前にご存知のことなのだと思いますが、前から大好きだった『シザー・ハンズ』のシザー・ハンズが『ショコラ』の役名は忘れたけどジョニー・デップだと知って「ひょ〜。」と、驚きました。ちょうど一昨日にはその中間ぐらいの役どころの『スリーピング・ホロウ』もちらっと見ていたので・・・。『グラディエーター』のラッセル・クロウと『インサイダー』のラッセル・クロウも別人だと思いましたが、ほんと、これらの映画を見るたびに、すごい俳優の人がごろごろいるのね・・と、思ってしまいました。

 でも、好調を確立できたのは、やはり、『唯識カフェ』のワークで、ブッダの言葉(『スッタニパータ』や『ダンマパダ』の日本語訳)を音読してからですね。これまで書いたように、今年に入ってから、ずーっと体調が悪くて、その結果、心もブルーになることが多く、色々なことを悪く考えてしまうこともよくあったり、本来向いてないことや関りたくないことでも、「今の時代、それをしなければ・・・。」と、自分を追い立てて向かっては、神経が「キー」っとなったりしてたのですが、例えば、ブッダの

“聖者は誠実であれ。傲慢でなく、詐りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪まな貪りと慳(ものおし)みとを超えよ。”という言葉や、

“世間における諸々の欲望を超え、また克服しがたい執著を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思い焦がれることもない。”

“「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には怨みはついに息むことがない。”

“実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。”

といった言葉が、ほんとうに心に沁みました。(より詳しくその時のワークで使われた、ブッダのことばの抜粋を見たい方は、@ABCへ。)

 かねてから、吉村さんは、唯識や仏教を学ぶ意味は、心がすっきりとさわやかなになることだ・・というようなことをおっしゃっていましたが、ほんとうにその通りだな。と、思いました。

 一人では、なかなかこういうことに触れる時間はとれないのではないでしょうか?いわゆるお茶会などでの時の流れもそうですが、このガサガサした世の中で、時に、一見浮世離れしたかのような時間に身を置いてみると、すっきり、さわやかになれるきっかけになるのではないかと思います。

 と、いうわけで、今は聖者になるには程遠いですが、すっかり好調になり、『唯識カフェvol.1』、『ショコラ』+焼肉の週末の明けた月曜には鈴木さんの鳴滝のおうちに朝からお邪魔して打ち合わせをし、火曜にはその展覧会の案内状をVAIO&インクジェット・プリンタとプリント・ゴッコを駆使して制・製作して、Mac&レザー・プリンタで宛名ラベルも印字し・・途中で変わった紙とプリンタの相性が悪くて予定の枚数がその日中に刷れなかったのがちょっと誤算でしたが、なかなか快調に進み、水曜にはハガキの紙を変えて続きを刷り終え、気分がよかったので、長女がバレエに行ってる間にここまで気分が乗らなくて春の新色を買ってなかったこともありシャネルのアンフラ・ルージュ4色と、久々に気に入った香りだったのでココ・マドモワゼルを買い、木曜にタックシール貼りを終え、金曜は朝からコメントを添え、料金別納で発送し、その足で展覧会のお茶席のため、泥縄で、4年ぶりにお茶のお稽古へ・・。で、もちろん時期が時期なので、急がなければならなかったわけですが、気がつくと、『唯識カフェvol.1』から1週間も経たないうちに、色々と事を進められ、本来なら一気呵成に週末にHPのアップ→eメールのDM発信と行きたかったところですが、子供達が母のところへ泊りに行くことになったので、ちょっとスローダウンして、土曜は夜、ちょっと遊びに行き、昨日はその余波で、折角子供達のいない日曜なのに、昼間はちょっとずつしか更新が進められず、夜、子供達が帰ってきて、寝かしつけてからノッてきて、予定通り、週明けの今日には何とかなってきました。“テンポよく、事が進むでしょう。”という、メルマの毎日の星占いのご託宣の通りだわ・・・。

 では、これをリモートサイトに貼り付けて、そろそろ“お迎え”に行こうと思います。

 また、BBSにどしどし書き込みまたは、メールください。もちろん、ラ・ネージュでお会いするのも楽しみにしています。

更新日記#4

2001年6月16日(土)

何故か今回、「〜だ」調に。

 初めてイベントを連続してこなした週が終わった。

 3日の「唯識カフェ」を終え、4日に撤収。茶室の組立(最近2人ですることも多かったが、今回は手伝いに来てもらった私の先輩の他、鈴木先生ご夫妻にまでお手伝いいただき、感謝。結局身長のない私はあまり役に立たず、深謝。)、搬入。次女をバイオリンに連れて行く。5日に必要なもの(毛氈・テーブルクロス・お香の道具・下駄・お菓子・お茶とその小物)を買い揃え、6日から10日まで展覧会。と、ラ・ネージュ的にはここで一段落。が、しかし、私(わたし)的には11日に幼稚園のPTA関連行事に出て、その後すみれ組役員としての担当イベント(桃山城貸しきりプールでの親子水遊び)の打ち合わせ、次女をバイオリンへ。夜、翌日が〆切のレポートを仕上げる。12日、午前中に日本音楽著作権協会京都支部まで前日に仕上げたレポートを提出。午後より展覧会の撤収。家に子供達のピアノのレッスン。13日にリフレクソロジーを受け、長女を学校まで車で迎えに行き、保健所でのツベルクリン接種に連れて行き、堺町蛸薬師のバレエ教室まで連れて行き、レッスンの間に大丸で自分の靴と帽子を買い、帰って"中食"すべく、各種お惣菜を買う。14日は雨だったのでHP更新にいそしみ、幼稚園のき組保護者としての大掃除。15日は場所を見せてもらう為、11時過ぎにでて、12時までに帰るべく、微妙なご近所・藤の森まで展覧会を見に行き、1時に家を出て、この間のお茶席の為の泥縄式のお稽古をきっかけに再開することにしたお茶のお稽古へ。帰宅後6時9分の電車に乗り、家族全員で食事へ・・。と、ここで追いついて今に至る。

 実は、この中で、3日の「唯識カフェ」と4日の撤収までの間に、打ち上げ(?)の後、うちの夫婦のみ飲み足らず、帰宅後、家に届いたばかりのアルザスの白がちょうど飲みたかった味で、たいしたおつまみもなしに2本も空けてしまい二日酔いに・・。が入ったり、月・木にはゴミ捨てがあり、月・火・木・金には幼稚園のお弁当作りがあり(と、いっても手抜きの極みだが・・。)、こういう時の迎えはほとんどマリウスにお任せ・・というものの、毎朝送りはし、6日から10日までは着物を着たわけだが、うち、お昼頃着替えた6日は除き、7・8とは送りを済ませてすぐに着物に→10時に開ける・・。という状態だった。

  そういえば、これまで、「更新日記」を書きつつ、そして、一応これはpersonalの方に属するものでありながら、どこか糠みそ臭く―私は糠漬けを漬けたこともないし、いわゆる"家事"という意味では相当マリウスに手伝ってもらっている上、火・金にはお手伝いさんにも来てもらっているので、そうとうサボっているので、適当な言葉ではないと思うが、他にいい言葉が思いつかない。―ならないように配慮したのか、プライベートなドタバタのことは排除してきたように思う。そして、その度、日記、エッセイというのは相当都合よく編集するものなのだな・・と、思ったのだが、今回は、ちょっとバラしてみた。

 どうしてここでバラす気になったかというと、別に、「こんなに忙しいのよ。私って。」とか、「こんなに頑張ってます。」ということが言いたいのではなくて、"成せばなる。"というか、"その気があれば、欲望を満たす時間は作れる"と、思ったからだ。その一例として挙げてみた。そして、多少制約があった方が、なんとしてもその中でこなそうと時間のやりくりを考えるようになり、やってみて実績ができると、ますます諦めなくなる。ちなみに、9時から14時までという、子供が幼稚園に言っている時間の中で、今まで一番遠くに行ったのは奈良の桜井まで展覧会を見に行ったことだ。

  こうしてみても、色々なジャンルのことに関っているなあ・・と、思うのだけれど、そのどれが欠けても自分ではなくなるのだろうとつくづく思う。 ラ・ネージュの設営にしても、ずっと同じジャンルのことをし続けるのであれば、そんなに毎回毎回たいそうなことにならないのだろうが、自分としては、「これ一筋に絞りなさい。」と言われる方が、よっぽど抑圧を感じる。〜ちなみに、今回、久々に展覧会をしてみてつくづく思ったのは、私には、何時来られるかがまったく予想もつかないお客さんをひたすら待たねばならない「お店」一筋には絶対に向かないということだった。だから、きっと関る内容が少しずつ変わるだろうが、一生こんな感じで行くのだろう。

 きっと身体も疲れているのだろうけれど、このようにテンポよく動けていれば気分もよく、更新にもスムーズに臨めた。ただ、いつ行っても、リフレで目・肩・胸部リンパゾーンと腎臓・子宮ゾーンの痛みが半端でなく、左の筋断裂をかばっていたら、右腰に異様な痛みがくることがあるので、19日には整体に行くことにし、7月8日の『唯識』が終われば、少しクールダウンしようと思っている。

 それでは、また。次回の更新までにリフレッシュなるか?

 明日は幼稚園の父親参観日。うちは2人在籍しているので、父母姉で対応予定。

 

更新日記#5

2001年7月11日(水)

 8月の夏休み(そう。ラ・ネージュは8月にはイベントを入れないのです。)前の最後のイベント『唯識カフェVol.3』が無事終わりました。今回も、亭主がバタバタと右往左往する姿を見かねてお客様に受付やお運びなど色々お手伝いしていただいたこと、申し訳なく思いつつも、ほんとうに、感謝、感謝しております。

 去年の12月に再スタートして、ほんとうは今年は年4回程度のイベント開催を予定していたのが、大企業とは大違いの決裁システムと、案内状も自作しちゃえ!最後にはメールもあるさ!ってな調子でほぼ月1、時には月2・・と後ろを振り返る間もなく進んできたのをこの1ヶ月で身体もリフレッシュしつつ、特に、ここまでちゃんと手がつけられなかった実は一番大切なお金の面での収支決算などをきっちりとして、今年後半〜今後のイベントへと生かしていきたいと思っています。何せ、これまではやってみないとこれにこれくらいかかって・・というのが今ひとつわからなかったもので・・。キャパがキャパなだけに、普通より割高になってしまうのが申し訳なくはありますが、それにも応えられるようなものを創り、何とか、“創り続けて”いきたいと思っています。

 こういうことをしていると、“色々企画するのがたいへんでしょう?”と言われるのですが、そもそもアイディアが色々とあってラ・ネージュを建てましたので、ようやくそれを未熟ながら何とか形にできている・・という段階ですのでそれは全く苦にならないのです。ただ、それがアイディアで終わらずに、形になるにはその話を持ちかけた時に承諾くださるアーティストの方々、そしてそれに来てやろう・・と思ってくださるお客様がないと成り立たないのだ!ということをひしひしと感じております。ですので、この桃山の地に足を運んでくださる方々に改めて感謝!です。

 9月からは、まだプログラムが完全ではありませんが、展覧会にせよ、演奏会にせよ、落語会にせよ、ラ・ネージュならではのものになるはずの企画が目白押しです。今予定している以外にも、例の如く、新シリーズなどがポンポン入る予感がしています。

 そして、一時期工事があまりにもたいそう&実際の使い勝手がよくなるとはいえないので断念しかかっていた営業許可を得る為の工事を8月に決行することにしました。ですので、秋以降、いよいよ“Romanian Rhapsody”を公にオープンできると思います。今、残念なことに、ルーマニアワインはドイツ系のワイン商社がドイツ経由で輸入している赤ワイン1種のみしか通常ルートでは手に入らないのです。そして、若かりし頃(法に触れるのであえて何歳だったかは申しませんが・・。(もう時効だとは思いますが。))ドイツワインの白でワインに目覚め、フランス・イタリアのどちらかといえば辛目の赤白・・と来て、フランス・アルザスがマイ・ブーム・・というのが続いていた(と、いうと、偉そうなようですが、いつまでもワインの薀蓄を語るには至らないただのおいしい酒好きの私であります・・。)ので、気分がドイツ回帰だったところに、その商社のセールスの方が「サンプルをお持ちします。」とおっしゃってくださったので、昨日の昼の2時に、8種類のドイツワインを試飲しまして、それぞれほんとうにおいしかったんですよ!そのうちの何種類かは実際に扱うと思いますので、お越しの節にはぜひぜひお試しください!もちろん、3月の杜氏さんの会の時に、日本酒と合うことも実証済みですので、美味しい日本酒も仕入れますよ!う〜ん。楽しみになって来ました。

 それでは、9月までお元気で。Au revoir!

 

更新日記#6

2001年9月19日(水)

 いやあ、9月までお元気で。と、前回締めくくったら、ほんとうに、丸々2ヶ月以上ぶりの更新となりました。おまけに、21世紀はじめての夏は、骨休め・・どころか、一生の思い出になる凄い夏となってしまい・・・。――その為、長女の誕生以来はじめて、子供達の写真入りの残暑見舞い葉書が制作できず、残暑や暑中見舞いの類が一切書けないという無礼をしてしまいました。

 そのことについて、ここでどこまで明かすべきなのか・・・。でも、更新のお知らせのDMを見たからといって、ここにアクセスする人はごくごく少数だと思うので、あまり憚る必要はないのか・・と、思い、簡単に(書くべきことではないのでしょうけど)明かします。

 そう。この夏は、離婚に向けてのアクションを起こし、子供3人を車に乗せての殆ど1ヶ月に及ぶジプシー生活の末、彼がルーマニアに帰ったことが確実になった(=もうDVの恐れがなくなった)ので、ギリギリのところで、新学期からまた通常どおりの生活に戻ることができ、つい先日の、10日の月曜日に正式に離婚が成立したのでした・・・。

 そのジプシー生活や、離婚に至るまでのやりとりでは、彼が海外に行った後ですら、携帯電話、携帯メールが生命線でした。そういう意味では、結果的に見てこのスピードで成立したのも、それらのお陰といえ、ある種、非常に21世紀的な離婚といえるのかもしれません。

 彼の居場所を何とか作りたい・・という気持ちでルーマニアン・ラプソディーを立ち上げるつもりだったのですが、何度かの実験を経て、逆にそれを正式に立ち上げ、それに縛られる形で私生活での問題を抱えたままずっと行くことが恐ろしくなってしまったのです。

 お陰様で、今のところ、そこをいがみ合わずに清算できたため、お互いに良好な関係を保てそうです。良好な関係を保てるのなら何故?と、思われるかもしれませんが、私がかつて、父を亡くしてから、父と良好な関係となったように、書類の上での夫婦でなくなったからこそ、良好な関係と慣れたのかもしれません。そういう意味で、こんなことを考えたりしましたので、ジプシー生活中にお世話になった友人に離婚成立の報告をしたメールの一部を下記に引用します。

 ――さて、今回のように、法的な結婚→離婚を経験してみて思うことは、 一体、法的な結婚(=入籍)って何?ってことです。 大っぴらに一緒に暮らせるということ?子供を人からの好奇の目無しに生み、育てる為の もの?・・何となく関係が永遠に続くような幻想を与えてくれるもの?財産を分かち合う 為?一緒にお墓に入る為?・・・????です。――

 これは、今の私だからこそ考えることで、例えば、これから結婚しようとしている人には言うべきことではないのかもしれません。それに、私はたまたまこう考えるに至ってしまいましたが、何の疑問も持たず結婚して、その後も何の疑問も抱かなくて済む、幸せな結婚生活を送ってらっしゃる方も多数いらっしゃると思います。でも、私はこう考えてしまいました。

 こういう時、家や土地に縛られ、しかも職住が非常に接近していると、“リスクの分散”という意味では非常に危ういものだ・・ということを改めて思い知りました。が、しかし、ジプシー生活をしていていつ帰って来られるかわからなかった時点では、仕事もいつ再開できるのか、全く見通しがつきませんでしたが、折角こうして帰ってこられている今、やはり、やるつもりだったことはすべてやるべき・・と、思い、当初より多い位のイベントを行っていく所存です。

 ですから、ルーマニアン・ラプソディーを楽しみにしてくださっていた方には申し訳ありませんが、その分、他の素敵なこと色々をお伝えしようと思いますので、是非是非、月並みですが、倍旧に、今後ともよろしくお願いいたします。

 それでは、また、次の更新の時まで・・・。

 

更新日記#7

2001年10月29日(月)

 いやあ、もう寝そうなくらい、眠たいです。でも、辻褄を合わせる私としては、もうこれ以上更新を遅らせるわけには行きません!何とか今夜中にやり遂げなければ!

 10月14日という奇しくも私の34歳最後の日にあった落語の会は、#6でお伝えしたように、夏前後から色々あり、復帰をこのイベントからと決め、ラ・ネージュで落語は絶対に贅沢で楽しい!と、確信してはいたものの、何と言っても初めての試みで、しかも直前になって、ずっと13日といわれていた幼稚園の運動会が当日の午前中に入ることになったので、ちゃんとできるのかどうかほんとうにドキドキでした。 それだけに、動員的にはその辺りを反映してか、今ひとつだったのですが、場の雰囲気などは予想以上にいい感じとなり、皆様に喜んでいただけたと確信できての打ち上げの一時は、ほんとうにホッと気が抜けることとなったのでした。その結果・・・。 調子よく飲みすぎてしまい、宴も一段落か ・・というところでちょっと気分が悪くなってトイレに行ったが最後、トイレで寝てしま い、母が何度呼んでも答えず、鍵も閉まっていて、心配になった母が遂に救急車を呼び、レ スキュー隊の人達に助けられる・・という騒ぎがあり、私はその間もずーーーっと寝てい て、とにかく支えられて家の玄関まで送ってくれはって、そこからは自力で2階まで上が り、気が付いたら朝の6時前。ベッドの上。着物のままでした。

  お陰で35歳の始まりである15日は午後1時頃までずっと死んでいましたが、幼稚園は代休で、ほんとはそれでもす みれ組では親子で北堀公園に行く・・という計画があったのですが、さすがにそれをパスさ せてもらったので、ようやく本当の意味での休養日となり、、夕方には予定通りすっかり復 活。家族でお祝いの為、予約していた高島屋の萬養軒に5時過ぎに行き、しっかりフルではないけどコースを食べ、グラスワイン の白で迎え酒をしました。  何せ、片付けの為、打ち上げのテーブルを見たところ、その場にいたのは5人で、ビール沢山と、私と都丸さんの仲人・和醸の会井上さんならではの、杜氏さんを囲む会でお馴染みの都鶴さんのラベルのついていないお酒の2合瓶そこそこと、“おつまみなしでもいけますよ・・”と、私が勧めて、どうも殆ど私が飲んだような気がするルーマニアワインが3本空いていたので、それな、しゃあないなあ・・という感じでした。 当然、見送らせていただけなかった、みなさま方には復帰後すぐに、携帯に電話を入れさせていただいてお詫びをしました・・・。

 ほんとうは、その翌日から展覧会、コンサートの案内の発送に取り掛からなきゃ・・と、思っていたのですが、さすがに少し“抜く”ことにさせていただき、でも、と、まずは郵送分から・・と、金曜日から土曜日まで徹夜で作業を勧めました。その時の様子は、

 展覧会の案内状のハガキ+落語会の時に配ったものと、落語会の内容と来年2月のコンサートの 内容とを差し替えた通崎さんのコンサートのチラシ+ちょうど再始動後そのコンサートで人 的に一巡、12月のコンサートでイベント的に一巡するのでそれに関しての挨拶状の3点を 同封して郵送する事にしました。挨拶状の内容を纏めるのがなかなか難しく、結局A43枚に渡ってしまったのですが、とにか く土曜日中に郵送しなければ!ということで、金曜の夜10時頃、子供を寝かしつけた後、ラ・ ネージュにあるリソグラフでチラシと挨拶状を印刷し、11時頃からこちらで挨拶状3枚を順に一纏めにしたものとチラシを別々に3つ折にし、葉書とともに予めタックシールを 貼ってもらっておき、名前のはんこを押してもらっておいた封筒に封入し始めたのですが、 なかなか紙の山が減らなくって、しかも単純作業で泣きそうでした。テレビを共に、結局土曜の朝8時頃によう やく終了し、それからお風呂に入ってお昼まで寝て、3女にたたき起こされ、約束の動物園 に3人を連れて行く前に伏見の本局に寄り、そこは今から子供達をマンパワーとして活かす 私のこと、土曜の郵便局はすいていたので、台を占領して杏奈と手分けして料金別納のはん こを押し、はんこを押したものを羅麗に10通ずつ山にさせ、佑香にその山を5つずつ椅子 の上に纏めさせて数え、みんな楽しませつつ効率よく作業を終えました。

 というような具合でした。

 でも、本来なら翌日=昨日中にHPの更新を終えているつもりだったのですが、さすがにその後約束通り動物園に行ったら非常に疲れていて、昨日はオフとなり、今ごろジババタしています。

 それにしても、その挨拶状を思わず作ってしまったように、もうすぐ再始動から丸1年経つのか・・と、思うと、ほんとうに色々な事があり、色々なことを形にしてきて、感慨深いです。今回のHP更新なども、かなりの部分、以前の同種類のイベントで作っていたものを活用できましたから・・・。

 やはり、最初が肝心ということでしょうか?

 来年も初心を忘れず、2巡目となるものはどんどん進化、深化させつつ、まだやりたくてもできていなかったことをどんどん形にして、素敵なモノ、コト、ヒトとの出会いの場を創っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします!