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Myself!--a personal history

 

私!--私のこれまでの履歴書
生まれた背景

 私は、昭和41年10月に、大正15年生まれの父と、昭和ヒトケタ生まれの母が結婚してから15年ぶりの初めての子として生まれた。その当時、当然のことながら、それは、即ち一人っ子となることを意味していた。

 父方の曽祖父は、酒造会社の創業者。母方の祖父は電機メーカーの創業者。でもその結婚は、お見合いによるものではなく、父の妹が母の友達であるという縁によるものだった。父と母が結婚を決めた頃、父方の会社の方が伝統があり、その会社に当時入社したてだった創業者直系の孫で長男である父は、おそらく将来の社長を嘱望されていたはずで、母はある種玉の輿に乗ったはずだったのだと思う。が、2人の婚約中に、当時その会社の副社長をしていた父方の祖父が、過労のため、出張で向かった東京から帰ってくる汽車の中で、岐阜の辺りで亡くなってしまい、その後は創業時の共同経営者であったお家が世襲することになり、父方の家は、急速に疎んじられることになる。つまり、将来の社長と思われていて、おそらく自分もそのつもりで入社した父は、その瞬間からプライドや会社を思う気持ちはそのままに、一介の社員になったわけだ。いや、それは、後から考えると「その瞬間から」であるが、父はどこの時点までかは知る由もないが、「いつかは・・。」と、希望を持っていたのかも知れない。

 そして、それから私が生まれるまでの15年の間に、夫を亡くした父方の祖母と、父母の結婚より以前に妻を亡くしていた母方の祖父が再婚をする、というかなり珍しい事態が起こっていた。父方の祖母は母方の祖父の家にお嫁入りした。その時から、母の実家には母のお姑さんがいるということになり、「お義父さん」は「お父さん」に、「お義母さん」は「お母さん」にもなったわけだ。その後、母方の会社はどんどんと大きくなり、母は、結婚していても「○○さんの奥さん」と呼ばれるより、「××さんのお嬢さん」と呼ばれる場面が多かったと思う。前者は父母両方にとって。後者は父にとって、後から考えると関西弁で「キッツ〜。」と思える状況があったわけだが、私にとっては、生まれた時から唯一対の祖父母がこの2人だった。

 私が生まれたのが祖母と同じ丙午であったため、祖母にはものすごく可愛がられた。祖父にとっても長女の子であり、好き合って一緒になった祖母の孫でもあるのでとても可愛がられた。よくよく考えて見れば、祖父の家に行って、誰にも気を遣わずにいられたのはこの私だけだったのかもしれない。私が3歳の時から、2年に一回、年末年始に祖父母にとっての子供と孫を集めて旅行をしたのだが、みんなと血が繋がっていたのは私だけだった。そんなことは考えたこともなかったけれども・・。

 父にも母にも勿論可愛がられて育ったけれど、遅くからの子だっただけに、父は自分が私がそんなに大きくなるまで生きられないかもしれない、ということを感じていたらしく(実際、既に亡くなってしまった。当時私は幼かったわけではないけれども・・。)、「雑草のように育って欲しい。」というのをモットーにしていたし、生まれる前から家にお手伝いさんがいたので、母も私にべったりだったわけでもなかったように思う。

 そういう環境に生まれ育ったことは、自慢でもなんでもないが、例えば、社会的地位が高い人に会っても物怖じしない、とか、そういうことを基準で人を見ない、とか、「玉の輿」というか、「ここにさえ入れば安泰」みたいなことを信じない、とか、自分のそういう部分に影響はしていると思う。こういう背景を書くと、おそらくそれだけで拒絶反応を示す人や、引いてしまう人もいるだろう。でも、そういうことは、小学校低学年の時に、仲よくしていて家も行き来してしていた友達が急に疎遠になったので、「なんで?」と聞いた時に、「お母さんが、四方さんとは生活が違うから遊んだらあかんって言われた。」と、言われてショックを受けて以来、いつまでも慣れないが、よくあることだ。こういう背景もいいことばかりではない。