Diary

2001年1月22日(月)

 ようやく、ノートパソコンでも更新作業ができるようになった。(と思う。まだページを貼り付けていないので、わからないのだが。)

 実は、ホームページを作成するにあたって、「いつでも、どこでも」更新するためには、やっぱりノートじゃなくっちゃ、と、大枚はたいてVAIOノートXRという当時のVAIOのノートで最高峰に位置していたノートPCを買っていたのだが、その当時、「これからを考えると、こちらの方がいいはず。」と思って「Windows 2000プロフェッショナル」搭載モデルにしたのだが、これが誰かと共用するわけではない個人ユーザーの私にとっては大間違い。これまで「Windows98」では問題なく動いていたプリンター、TAなどなどの周辺機器を繋ぐのにも、それまでのドライバーでは全然役に立たず、仕方なく、「子供用」に買っていた、一番安いVAIOのデスクトップにインターネットからまずTAのドライバーをダウンロードして、それをVAIO同士なのでi-linkで繋いで取り込み・・・・・・と、一日がかりで使えるようにしたものの、一事が万事この調子で、使いこなせるには至らず、結局これまでのホームページは全てその「子供用」で作成したのだった。

 ところが、その「子供用」のメモリがだんだん一杯になってきたようで、ちょっと複雑な画像を印刷するとエラーを連発するようになり、これではいけない、と思うのに並行し、そのデスクトップはちょうどダイニングテーブルやリビングなどに「背を向ける」ように設置されていて、それこそ、「遠くの他人とのコミュニケーションはとれても、近くの家族とのコミュニケーションはどうなん?」状態だったのと、南の大きな窓に面しているため、昨日のようないいお天気で、しかも昨日中に何とかしたいと思っている時にはUVカットフィルムを貼っているとはいえ、日差しの強さは如何ともしがたく、サングラスをしつつPCに向かう、という、嘘のようなほんとうの体勢で臨まねばならず、これは、やはり更新が一段落した今、ノートで作成できるようにしておかないと・・・。と、先日DMを外注した際に話題に上って思い出し、「やはり、記録させるのの速さと簡単さと容量の大きさではこれか・・。」と、思い切って買った640MBのMOのお世話になり、データを移動させ、サイトの設定を終え、ここに一件落着となった。

 噂では、Windows MEの次のヴァージョンでは、そのラインと、2000professionalのラインとが統合されると聞いているので、一日も早く、そうなってくれれば・・と、思う。

 と、1年前まではずーっと、Macユーザーだった私が言っていること自体「?」だけれども・・・。

 このところ、学校うが休みの日などはそれこそ「よっしゃ!」と、気合を入れて、時間の許す限り、みんなに背を向けて、子供が膝に来ようが何しようが、ひたすらPCに向かっていたので、先に書いた、「遠くの他人とのコミュニケーションはとれても、近くの家族とのコミュニケーションはどうなん?」がちょっと気がかりだ。家族がいる以上、みんなが機嫌よくて初めてやってられる世界でもあるので、今週末は家庭サービスをしなきゃ・・・。

 と、まるきりオヤジな四方であった・・・。


 昼間のパパは夜はママ

 大体10年前、忌野清志郎の♪昼間のパパは〜♪という歌を大多数の人が口ずさめた、私が多分まだ会社に在籍していた頃、東京に行った時に、同僚と先輩の間くらいの人に、新宿2丁目に連れて行ってもらった。

 その店は、店の人達みんなが男の姿のままゲイの人達で、髭を生やし、妻帯もして、子供もいるそこのママさんが、その忌野清志郎の歌の替え歌で、表題のように歌を歌ってくれて、大いに受け、その後、♪あな〜た〜の〜ため〜に〜〜〜♪と、宮路おさむの『女の道』を歌いながらストローの袋の端に折鶴を折って、簪を作ってくれたのだった。見た目には無骨な男である彼は、そのような繊細な手先の技だけでなく、会話の端々にも気遣いが感じられ、ほんとうに居心地がよかったのを覚えている。

 ところで、これがどこに繋がるか?それは、「オヤジな四方」に繋がるのであった。

 私は、3人の子の母である。時々会う、私を子供の頃から知る人達は、会う度ごとに、「有紀ちゃん、立派なお母さんになって〜。」とおっしゃってくださるのだが、実際は、とんでもない。私の従姉が笑いながら、他のお母さんから「〇○さんを見てたら、『親はなくても子は育つ。』っていうのがよくわかるわ。」と、言っていたが、私もまさにそれと同じ。時代のせいの、最低限の親の役目と思われる、幼稚園、お稽古事への送り迎えはしているものの、例えば、夜中に布団を脱いでいるのをかけてやったことなど一度もない。(大袈裟か?)これは、したくなくてしないのではない。一度寝たら起きられないのだ。また、私がそういう性格なのに反して、マリウスは「眠たい。」と、言いながらも寝られないことがあり、寝ていても、少しでも音がすると、即起きるタイプで、例えば、「夜、子供達が布団を蹴飛ばしたままだったら心配。」と、思いながら寝たら、必ず夜中に何度か起きて布団をかけるのだ。

 このこと一つでもわかるように、うちではマリウスの方が、細かいことにウルサイ(よくいえば、細かいことによく気がつく)し、私の方が、小さいことは気にしない(大雑把ともいう。)。(細かいことを子供に注意することがあるとすれば、それは自分の意志でというより、それを言わないことでマリウスに怒鳴られない為だ。)そういう意味では、世間で言う「母親らしい」のは父親で、「父親らしい」のは母親なような気がする。

 よく、「普通」と言われると、「普通って何?」と思うのだけれど、個々の家族をよく見てみると、意外と今うちで起こっているような現象が起こっていたり、仮に「父親」が「父親らしく」、「母親」が「母親らしく」存在していたとしても、それは、自分があるがままにふるまってそうなっているのではなく、世間で言う「普通」に合わせようとしてそうなっていることがままあるのではないだろうか?

 それが普通(ってそもそも何?)からずれていたとしても、一人一人が幸せで、トータルでもバランスがとれていて、みんなが幸せなのが一番なのだと思う。家族でも、他のどんな社会を構成する単位でも。


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