Message from the owner  亭主敬白

2003.11.06/ 2004.02.06/ 2004.02.16/ 2004.03.19/ 2004.03.24 / 2004.05.09

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4月17日、坂田梁山さんのコンサートがこのコンサートシリーズを始めた時に思い描いていたような盛り上がりを見せて終わり、母が復活してくれていた為、子供達を母に見てもらい(日頃から自分達でできることは何でもできるようにさせているのでそれほど負担ではないはず・・だが・・)、久々!に、打ち上げにも行くことができ、そのよい気分に酔いしれるのかと思いきや、意外なことに、次の展望をあれこれ考え出してしまった。 それからほどなく5月29日の『唯識を歩く』の案内を出さねばならないので、その打ち合わせを吉村さんと進める時に、吉村さんも、“唯識の講師”でいらっしゃると同時に、ラ・ネージュのよき理解者であり支援者であるので、同じように今後の展開を考えてくださっていて、会費の設定、定員の設定、等、うちがなんとか通信費ぐらいは回収できるように・・と考えた上で、薬師寺さんへの御礼、ご自身の講師料(ほんとうに薄謝でごめんなさい!)を考えてくださり、ほんとうに有難いことだった。 『唯識を歩く』については内容は去年の秋頃から考えていたので、そういう実務的なことさえ決めればよかったので、すぐに話がまとまり、いざ、案内!となるところだった。そして、実際、吉村さんはその直後、4月の下旬にはご自身の周囲の方々に告知してくださり、既に何人かの方が前夜祭、遠足にはるばる東京方面から参加を表明くださっている

その一方、私の方は、以前から受信しているメールマガジンが久し振りに気に留まり、そのリンクからそのアーティストのHPにアクセスした時に目にした「ライブ会場募集中」というのが妙に目に留まり、そもそも友人に「いつかラ・ネージュでと思う人がいるんだけど・・」と言われて2年前にライブに足を運び、その時は“噂に違わぬ凄さ!”と思いながらも、まだラ・ネージュでどのように料理(?)してよいのか判らず棚上げにしていたのだが、坂田さん→吉村さん・・の流れがあり、今ならお願いしてもいいかも・・と思い、思い切って打診してみたところ、これまた、思いがけずトントンと話が進み、5月31日、『唯識を歩く』の翌々日にライブを決行することになった。

そのアーティスト、JINMOさんとのやりとりの中で、何せ、pluggedなライブが初めてで、ギターアンプすらないうちで果たしでできるのか。JINMOさんが提示された日にちが月曜日だった為、集客も含めて全ての点で自信がなく、とりあえず今回は「内見会」的な形ではどうですか?と、弱気なことを言っていた私に対して、JINMOさんより、                                                  > 子供達とピザを食べながらのサロン・コンサート、良いではないですか。                                          > 私は29日に都内、30日に京都、31日が空きで、翌1日が兵庫となっております。                                     > まさに好機、逃す理由は見当たりません。                                                            > “内見会”などとは考えておりません。                                                               > 今後の展開を探るつもりもありません。                                                              > 常に瞬間瞬間、本番であります。                                                                  > 私の演奏を聴きたいという観客が、たとえ四方さん御家族だけであったとして も、それは大地の意義であると考えます。            > 消極的姿勢がもたらす安堵よりも、積極的姿勢がもたらす不安の方が、必ず歓喜 に近いものです。                        > 集客や音響はなんとでもなりますし、さほど大きな問題ではありません。                                         > 私は前向きにガンガン進むという行為そのものが楽しいと思いますから、どうぞ 無謀であろうとも、ともにガンガンやって、楽しんでしまいましょう。

とのお言葉(ご本人に了解を得ての引用。)をいただき、それって、そもそも私の姿勢そのものなのに、いつの間にか気が小さくなっていたなあ・・と、思い知らされるもので、決行を決意。

さらに、

> それらの条件がどうのこうので、演奏を御断りしたり、演奏の質が変化したりと いう事はありません。                        > 演りたければ如何なる条件でも演りますし、演りたくなければ如何なる条件でも 演りません。                             > 四方さんの件につきましては、演りたいと思っております。

とのお言葉もいただき、それってまさに、「それでこそプロだよなあ。」でもあると同時に、うちも逆にどんなにお金を積まれてもして欲しくない人にはして欲しくないし、お金が得られなくてもして欲しい人にはして欲しいという心意気でやっているので、まさに「!!」。

さらに、それまでの経緯を踏まえ、「この仕事で儲けようと思ってはいけない=慈善事業をしろ。」とのある業界人のことばから始まりやってきたことへの疑問に対して“もちろん法外な利益を得る必要はないが、人と人、モノ、コトとが出会う“場所”としてそれを支持してくださる方がいらっしゃるなら立てるはず。”と、当初の志通り“場所”“network jointer”として立つ決意をして初めての催しなので、その辺も踏まえて色々な設定をして臨んだのがこのLIVE#0となりました。

坂田さんのコンサートを終え、吉村さんの温かなお心遣いから初めて場所として立つ可能性を考えられるようになった『唯識を歩く』とその『前夜祭』。やりとりをする中、場所として立つ決意をして臨む『LIVE#0』。どちらも、今後のラ・ネージュにとって、エポックメーキングな事柄となりますので、是非、立ち会ってください!

5月にそれらの布石を打ち、次にコンサートを再開する9月までに、懸案だったラ・ネージュが場所として立てる仕組みをじっくりと考え、皆さんに問いたいと思っています。よろしくお願いします。

そうそう。催しの回を重ねるごとに、この、従業員を雇ってお給料を払うなんてとんでもない!状態のラ・ネージュのお手伝いをさせてください!と言ってくださる奇特な方が出現し、ほんとうにこれは私にとって望外なことで、感無量!!です。

それでは。また!

2004年5月9日 岸和田に横笛を聴きに行く前に・・・

ラ・ネージュ 亭主 四方有紀拝

追伸:今読み返すと 〜だ。調と、〜です。調が混在してますが、敢えてそのまんま行きます!気分なので。 ではでは。  

 


 

一昨昨日19日付けのメッセージで触れていた、旅から帰って来ました。とてもSUPER!な旅でした。

旅の途中、ここに書いたことを思い起こし、「あ、あの人のあの仕事のことを書くのも忘れてた!帰ってからそれも加えなきゃ。」と思い、また、次の瞬間、「色々と仕事のこと書いたけど、結局それって“肩書きの羅列”。最終的にはその人が何をする人かなんてあまり関係なくって、とにかくみんな“素敵な人”だってことが一番大事なんだ!私がとっても素敵な人だと思う人達だから、交流して欲しいなあ・・と思うんだ」。ということに気付きました。

その時の旅のSUPER具合は、これからのラ・ネージュの展開にも影響してくる・・と思うのですが、その時に会った人達とも、ただ「氣が合いそう→氣が合う」から繋がっただけで、今ではその人達が何をしている人か一応知っていたり、一度聞いたことがあったような気はするけど忘れていたり・・なんです。

「そんな、何をしている人か判らないで付き合っているなんて、なんて危険な!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、その人がしていることなんて、その時々で色々変わるけど、本質的なものはそうそう変わるものではなく、その部分で氣が合うかどうかが一番信頼できるのではないか、と、改めて思ったのでありました。

このHP作成ソフトを買ったのと同時にwebアニメが作成できるflashというソフトも買ったのに、まだ使いこなせてなくて現実にはなっていないのですが、そもそもHPを立ち上げる時、表紙には、まず、中心となる点が降って来て・・もしくは、三角形が6つ降って来てあつまって、核となり、そこから放射線状に枝が伸び、葉が茂り、最後にハートの花が咲いて、ラ・ネージュのシンボルマークである雪の結晶マークとなる・・というアニメーションを作りたかったんですね。(今でもその気持ちは変わっていないし、それができる頃には英語版を初めとする外国語版もアップさせたいな・・と思っているんですが・・・。)

意志を持って愚直にことにあたっていると、色々な素敵な人が色々素敵な人を連れてきてくださって、また新しい展開が出来・・・と、当初からそうなればいいなあ・・・と思ってきたことが、少しずつ形になっていて、ほんとうに有り難く思っております。

公言した方が夢は叶うと言います。

今私が想っている、ラ・ネージュの課題は、前回言った「素敵な人同士の交流」その延長線上の「国際化」そして、ずっと模索状態が続いている「子供」です。

ここ、伏見桃山に住んでいると、世間の少子化ってほんと?と思えるくらい子供がたくさんいます。(私も貢献していますが。)(自分の子供達も含めて)子供達が大人になった時、「近所にラ・ネージュがあってよかった〜。」と思ってもらえる場所にいつかなりたいなあ・・と思っています。

私がかつて、パンダが幼稚園に来る!と聞いていて、本気にしていてとってもわくわくしていたら、実際に来たのは(善意なんだけど)パンダの着ぐるみをきた近所の写真屋さんで、がっかり→怒った私は、「あんなの偽物パンダや!石を投げろ!」と、みんなを扇動して「に〜せも〜のパ〜ンダ!に〜せも〜のパ〜ンダ!」と石を投げたことのある子供なので、子供騙しとかそんなものではなく・・・。

例えば、今までのコンサートも、実際に連れて来られた方もいらっしゃしますが、決して子供お断りというわけではないのです。連れて来て大丈夫かどうかは子供の意思、また、親の子供に対する信頼度にかかっています。みんな同じ物を享受するわけですから子供料金は存在しませんが。

今は、丁丁発止!的なものが多くなっていますが、もう少し気楽なものも増やしていこうと思っていますので、乞うご期待です!

それでは、コンサートでお会いしましょう♪

                                 2004年3月24日 ラ・ネージュ亭主 四方有紀 拝


毎回、コンサートが終わり、次のイベントが近づいている時、終了するや否やHP上ですぐにレポートをして、次の案内をして、メールでのDM、郵送でのDMを発送して・・・と思うのですが、実際のラ・ネージュでグラスやカップの後片付け、椅子の片付け、必要なものの発送(主にアーティストの方がらみのあれこれ)、を終えるとついついほっと一息ついてしまい、特に、母屋と離れといっても二日間ほとんど母親不在で乗り切ってくれた、特に4女の相手をしたりして気分転換をして・・・今回もやっと!更新が出来ました。

前回、メールでのDMに返事をくださった方の多くが「興味はありますが、都合がつかなくて・・」という内容で、なかなか予約を受けることが出来ず、キリキリといたしましたが、結局遠方の方も含めて大勢の方に集まっていただけ、アーティストの方が東京から来られるのでお弟子さん的なアシスタントの方が来られることが望めず、お客様にご迷惑をおかけするのでは?と案じてもいたのですが、幸い“お手伝い枠”で参加くださる方もそれぞれに集まり、ほっといたしました。

前回の更新案内DMで敢えてできればお返事を・・と望んだのも、それで反応がなかったり、予約の電話がなかなか来なくて落ち込むのも、常に、ここでの諸々は誰に頼まれたわけではなく自分が望んで、でも、共感してくださる方もいらっしゃるはずだと信じてしていることなので、「独り善がりなのではないか?」という疑念を持っているからです。

ですから、何らかの反応をいただけると、とても嬉しく、調子よくも、今度はあんなことをしてみよう・・・などと思ってしまうのでありました。

そんなわけで、毎回、独り善がり→より共感していただけるものに・・と思うので、反省点が一杯出てきます。

特に、前回反省したのが、これまでも思ってきたことですが、「演奏終了後のトークタイムをもっともっとお客様と出演者の方、また、お客様相互の交流の場にできないか。」ということです。

出演者の方もいつもおっしゃることで、私もそこがラ・ネージュならでは!と思うのが、お客様が多様なこと。中身の濃いコンサートには、マニアックな方が集まりがちだと思うのですが、ここではマニアックな方もいらっしゃいますが、まったく○○を聴くのは初めて・・という方もたくさんいらっしゃり、でも、その道にかけては初めてだとしても、様々な科のお医者さん、陶芸家、画家、染織家、京繍の専門家、音楽家、学校の先生、(取材とは関係なく)新聞記者、主婦、フライトアテンダント、アーユルベーダのスペシャリスト、氣功のスペシャリスト、植木屋さん、ブティックのマダム、僧侶、議員、銀行員、デパートの外商員、公務員、メーカー勤務のエンジニアの方、メーカーの経営者、学生、薬剤師、花屋さん、コンビニの経営者、etc.etc.と、ざっと思いつくだけでもこれ位様々な職業・立場の方が、うちのご近所、伏見区以外の京都市、大阪府全域、奈良・滋賀、神戸、遠くは福島、東京、神奈川、石川、淡路、徳島から集まってこられています。

「異業種交流会」などと銘打ったものに集ったのではなく、ただ、一つのイベントに何がしかの理由で興味を持たれ、その日のその時間に都合がよかった・・という理由でそこに集われた、それぞれとっても素敵な多種多様な方々がもっともっと、その「縁」を楽しまれる場にできないかなあ・・・と、いつもいつも思っては、この場では何となく「匿名」でいたいと思ってらっしゃるのでは?とも思ったりして、そのお手伝いがなかなかできず・・・。

ただ、そんなところなので、それも楽しむつもりで来ていただきたいな!と思うのでした。これからは、それをもっと前面に打ち出していきたいと思っていますので、イベントに参加される方は「覚悟」してください。

かく言う私はサイトのプロフィールにもあるように「人間の一本釣り」が特技だと思っています。

この連休はその特技を生かしてまだ見ぬラ・ネージュのお客様を訪ねるのを主目的に旦那と子供4人と車で愛媛は松山に。で、道後温泉に一泊。その途中、鳴門を通るので、一昨年、4女がお腹にいる時に一人で子供3人を連れて参加した徳島の出羽島で出会った友人と会い、松山市内、もしくは彼女の本拠地川之江で、これまたまだ見ぬメキシコ人の友人を介しての友人に会って来ま〜す。

人間、って、上の子達もそうでしたが、今1歳半の摩耶を見ていても、本来、例えば食べているものが美味しければ、人にも分けてあげたい本能?があるようなのです。そして、一緒に食べて美味しさを共有できた時に一人で食べているよりより幸せを味わえるようです。

私にとって、様々な人、事との出会いはこの上ないご馳走で、それを共有したい・・・。それがラ・ネージュの底流を流れています。

では、4月のコンサートで、楽しい場をご一緒できますように。

楽しい場作りに、一緒にご参加ください!

                                     2004年3月19日(金) 松山に旅立つ前に・・。 ラ・ネージュ亭主 四方有紀 拝


普段1更新につき1メッセージなのですが、今回は最もお知らせしたい3月のコンサートの告知をアップさせ、亭主敬白のメッセージもつけ、さらに前回の更新の後色々な方がリンクを張ってくださったのでそれらを「相互」にさせたり、古くからのリンク先がかなり移動していたのでそれらを訂正するべくリンクのページを更新し、それからDMで告知するべくアドレス帳を更新して・・と思っていたら、更新挨拶を打ってからずいぶん時間が経ってしまいました。

DMにも打っていると思いますが、コンサートまで約3週間。これまでだったら遅い!!と焦るところですが、最近の自分(=4児の母)のことを考えても心づもりをしていても家族の健康状態、子守りをしてくれるだろう人の都合や状態などを考えると当日まで行けるかどうかわからないので当日券がある場合は当日に飛び込むのが常となっているし、音楽業界以外の仕事を持つ人にコンサートの為に前々から予定を空けておくのはほとんど不可能だし、「24席だとすぐに埋まってしまうでしょう?」と思われるでしょうが、実際に席が埋まり出すのはその数日前・・というのが現状なので、今回はあまり焦っていません。

もちろん、今回の三絃と笙の組み合わせというのは高田さん曰く「世界でこの組み合わせの曲を弾くのは私だけ!」とおっしゃるいつもにも増して“他にない”ものなので、早くから予約をバンバンいただけると嬉しいし“安心”できるのですが、そのように↑心得てもいますので直前でも「!!」と思われたら「どうせ一杯だし」なんて躊躇わずに是非是非075−622−5770まで電話、もしくはwebmaster@yuki-laneige.comまでメールください。

昨秋、光ファイバーに変えて更新がすいすいできるようになり、実はその直後に家庭内無線LANを構築すべくブロードバンドルーターと子機を買っていたのですがバタバタしていて全然できていなかったのをこの更新の最中に構築し、そもそもその当時HP更新の為に買っていたけど色々な不具合で64kの無線公衆回線以外ではネットに繋がらなかったVAIOのノートがようやく!無線で光で繋がるようになり、家中どこででも更新できるようになり、ついでにIP電話もできるようになり(^0^)/で、これからはますますちょくちょく更新できる!!と喜んでいたら、何と、一昨年ウイルスでやられて以来、再インストールしてもらっていてもうまく立ち上がらず、場所を取るだけだから・・と、ゴミに出すべく外に出していたデスクトップのVAIOで彼が捨てる前にあることを試そうとして家に持って入り、繋いでみたら「これ、どこが悪いの?」と言うので何を言っているのかと思い見たら、何と!!正常に立ち上がっているではありませんか!!結局外に出す為に全てのケーブルを外したのが本当のリセットになったということのようで・・。子供達もそろそろPCメールがしたいお年頃なので、これもそのLANに繋いで・・・と思っています。

ラ・ネージュはやはり私の「茶室」として存在させつつ、web上で色々なことを表現できれば嬉しいな・・と思っております。

それでは、茶室・ラ・ネージュでお会いできるのを楽しみにしつつ・・。

        2004年2月16日(月) ヴァレンタイン・デーから2日経った日に・・。    ラ・ネージュ亭主 四方有紀 拝 


いつも更新までに間があくのは「色々あるから」な私ですが、今回も、前回折角紙面(?画面?)をリニューアルして臨んだのだから、すぐにコンサートのレポートして、展覧会のレポートもして、今回の告知までに前々から思っていたラ・ネージュの新しい試みをお知らせして賛同してくださる方を募って、それから告知して・・なんて思っていたのに暦には逆らえないような、つまり一昨日の立春までは身動きが取れないような事態(大げさか!?)に見舞われていました。

ここで書くと、ご心配いただくことになるから・・とも思っていたのですが、一応事態の収拾はついたので書くと、それこそ前回のコンサートの午後の部にお越しいただいた方はその場に立ち会ってしまわれることになったのですが、11月8日の麻植さんと菅原さんのコンサート#6の午後の部が始まる直前、お客様もたくさんいらっしゃって開演をお待ちになっていた際、一緒に受付をしていた母がもう開場していいのかを出演者の方々に尋ねに階上に上がっていった時に、3階の階段から2階へ、足を滑らせたというよりは“ふっ”と気を失って額から転落。階下にいた私はお箏が倒れてきたらしき音に何事か??と上がっていき、さらに3階へ向おうとしたところ、2階から3階にかけての踊り場に仰向けに倒れている母、額の止血をしてくださっている麻植さんのご主人がいらっしゃり、意識があるので大丈夫だけれどもすぐに救急車を・・ということになり、お客様に今ひとたびお待ちいただくようにお願いし、家人にもそのように伝えに行き、たまたまその部には叔母がお客として来てくれていたので救急車→病院にはその叔母について行ってもらうことにして、私はお手伝いを志願してくださっていたお客様、そしてまた、先の叔母と同じように、本来純粋にお客様としてきてくださっていた娘の同級生のお母さん、麻植さんのお弟子さん、とにかく皆さんのご協力のもと、既に寒い気候の中、遠くからいらっしゃったり、初めていらっしゃったりしたお客様にお茶をお出しして落ち着いていただきつつ、自分も落ち着くように努め、麻植さん、菅原さんと共に、コンサート#6をスタートさせたのでした。

結果的には私もさることながら、目の前でそんなアクシデントに見舞われた演奏者の方々もお客様も気が気でなかったと思うのですが、麻植さん、そして、菅原さんのお人柄による素晴らしい演奏、トークでとても和やかなコンサートとなり、みんなで喜び合えました。

午後の部の成功を受け、母がやはりとりあえず無事だということもわかったため、夜の部はそれにも増して、和やかで楽しいものとなり、どうしても知らせておく必要があった一部の方以外のお客様には午後にそのようなアクシデントがあったことはわからなかっただろうと思いました。

その月は、久しぶりにコンサートがあった後、すぐに展覧会があるというスケジュールで、ちょうど野村さんの展覧会の初日に母が救急病院から日赤へ転院することとなり、どうしても私がついていく必要があったので、初日の幕開けは野村さんにお任せすることに。 その後も会期中も毎日一往復はしていたのですが、不思議と今後の打ち合わせなどでどうしてもお会いする必要があった方などとは特に何日の何時と約束したりはしていなかったのにお会いできたりしてそのご縁に不思議なものを感じることとなりました。

その後、母は12月の頭まで入院し、その間に展覧会の翌週には三女の七五三もこなしていたもので、母の退院後ほっとしたら今度は自分が何となく体調を崩し、年末から年始にかけて3年に1回祖父の死後は母方の叔父叔母、従兄弟姉妹、その子供総勢今回は54人で行く旅行(この旅行等に関してはいずれどこかで詳述したいと思います。)には何とか全員で参加して、その旅行でみんな風邪をもらって順々にダウン。母は何とか風邪引きを免れてマンションで一人ゆっくりすべく荷造りして美容院に行ってシャンプー台で仰向けになり、起きた瞬間激しい眩暈と嘔吐に見舞われて、それ以降主に自宅療養するもその症状は軽快するどころかむしろ24時間体制の点滴などできるわけもない家に於いては症状と脱水が悪循環をして、おそらくは過労に端を発するものだろうと思いつつも、そもそも初めの転落時にどうして意識を失っていたのかの原因を調べるつもりで京大病院の脳外科に外来で行く予約をしていた20日、やっとのことで車に乗せ連れて行ったそこで検査云々以前にまず体力の回復を・・おまけにその数日前から出ていた風邪様の症状は既に肺炎のそれになっていたのでその治療をということで、即入院となり、節分の日まで、ほぼ毎日また一日一往復する日が続いていたのでした。

そもそも12月にほっとして風邪を引いてからずーっと、何となくすっきりしないままだったので、そんな中私自身もぐずぐずとしていて、この更新も、そして1月18日に京都造形芸術大学で三絃の高田さん、マリンバの通崎さんがコンサートをされる際(一部こちらのお客様にもご案内させていただいたにも拘らず、自分自身がよう伺えず、足を運んでいただいた方にはほんとうに申し訳ないことでした。この場を借りてお詫びいたします。)、そこで配布していただくべく告知のチラシを作成したのですがその発送もまだままならないまま、取り急ぎ、このご挨拶から打っている次第です。

あ。申し遅れましたが、母はその入院の間に脳外科的な詳細な検査を済ませ、やはりそういう意味での異常は認められませんでした。ただ、耳鼻科的には若干問題があるようで、外来に行くことになっています。

母が転落してからこれまで、色々な病院に通ってみて、連れ合いがカイロプラクターであること、また、これまでに何人もの身内を看取ってきた人であることなどから色々なことを考えさせられました。

さて、以前、自分だけでは乗り越えられそうにない問題が起こった時、ある人から紹介していただいたヒーラーの方より「(その方が自然のリズムに合っているし、人間も自然の一部であるから)旧暦で行動するようにするといいですよ。」と言われ、その時はそうは言われてもその暦を得ることができなかった(そのことを友人に話したら、友人は既にそのようにしていて、それにも陰暦が載っているのでいつも例のお正月前に新聞と一緒に入っていたりする高島暦的な暦を持ち歩いているとのことでしたが、その暦を持ち歩くのは何だかピンと来なかった。)のですが、今年は昨年末、ふと立ち寄ったサイトから今年の月の暦を基にしたカレンダーを買っていて、でも、それをまだ開封すらしていなかったことに気付き、開封してこのPCのある机の横の壁に掛けたのが1月の終わり頃。でも、そのカレンダーによると、陰暦の正月はこの(太陽暦での)1月22日から始まっているということで、開封もそれほど遅くなかったと“ほっ”。正式に退院が節分の日と決まり、その日は嬉しい手紙や互いの都合で行き違いになっていた電話がやっと通じたりして暦の上での立春がほんとうに自分にとっての立春になりそうな気がしていたら、まだまだ本調子とはいえないまでも、その通りとなってきた今日この頃、ようやく重い腰を上げてペンを執るならぬ、キーを打っている次第です。

本来三絃の高田さんと笙の豊さんの告知と同時にアップさせなければならなかったのですが、今日はここまで。取り急ぎこれを近況報告方々最新の更新とさせていただきます。

まだまだプライベートで何かあったらたじろいでいるなあ・・と思いつつ。

人間なんだからたじろいでいいのかも・・とも思いつつ。

あ、もちろん、私だけでなく、あなたも、そして、あなたも・・ですが・・。

              2004年2月6日(金)立春から2日経った日に・・。    ラ・ネージュ亭主 四方有紀 拝 


この前更新してから実に2年強の月日が流れてしまった。

更新が滞った原因はPCがウイルスにやられ、だましだまし遣っているうち症状を悪化させ、ぶっ壊れたことだったのであるが、この春今のPCを導入し、「いざ更新!」と思いつつ。そして、今回久しぶりのコンサートの案内を郵送し、その挨拶状に、これを送ったらすぐに更新するので・・・と書いていたにも拘らず、何度も自分のページには訪れていて、BBSが荒らされていることも知っていながら放置してしまったのは、この2年の間に自分の置かれている状況があまりにも変わっていて、これは、「更新」ではなく「一新」が必要だと感じ、ついついその着手にしり込みしてしまっていたからだった。

そして昨夜、ある友人から「今度のコンサートのこと友達に知らせようとしてサイトを教えたけど出てなかったのでチラシ送ったよ。」とのメールをもらい、「そんなことさせていてはいかん!」と、今度のコンサートまで後2日という正に焼け石に水のこの時期ではあるが、思い立ったら吉日!と着手した。

久し振りの更新でソフトを使うのも実に2年ぶり。毎日のように使っていた時は何ともなかったことに「これは何だったったけ・・・」「どうするんだっけ・・・」と立ち止まり、立ち止まり・・・。ソフトの機能はほとんど発揮されることのないやり方で、上の3姉妹が小学校に行った後、一番下の1歳2ヶ月がいる中(ほとんど一人で遊んでくれていた・・・)作業を進め、夕飯の準備までに何とか終了することができた。

とにかく、今回の更新を機に、ついついこのような私事を書いてしまいがちな私だが、できるだけページを軽くした。

プライベートのあれこれ、吐き出したいことはラ・ネージュのページとは完全に分けてひっそりとどこかに存在させようと思う。

プライベートで何があっても、更新にたじろがなくても済むように。         

                               2003年11月6日(木) ラ・ネージュ亭主 四方有紀 拝